第4話
八和田のもとを辞した志四郎は、まっすぐ真壁のいる女郎屋へ行った。
二日ぶりの真壁は、皮膚が黒くなりはじめていた。もう長くはない。
「何しに来た」
恨めしそうに言いながら、真壁が上半身を起こした。
志四郎は懐から宝条の髪を出し、畳に投げ捨てる。
「これはなんだ」
「宝条包次のものだ」
「なぜ、ここにある」
「俺が斬ったからだ」
真壁は少し間を置いてから、
「そうか」
と、つぶやいた。
そして、急に大きく咳き込んだ。あまりの激しさに、階下から真壁の世話を焼いている女がやってきて、その背中をさすった。
真壁が落ち着いたころ、志四郎は告げる。
「多田も斬った。少なくとも、多田派とやらはもう終わりだろう」
「なにっ」
骨と皮だけになった真壁のどこに、これほどの力が残っていたのだろうと思わせるほど、大きい声で叫んだ。その後、全身を震わせつつ、志四郎をじっと見つめる。やがて、両手を床につけ、頭を下げた。おそらく、頭も床についている。
「かたじけない。まことに、かたじけない」
声が震えていた。
しかし、志四郎は眉根を寄せる。
「やめてくれ。そんなんじゃないんだ。……あのなあ、俺はおまえを斬ろうとしているんだ。親の仇、俺の恨み。それが、あんた、真壁摩利俊なんだよ」
真壁は手をついたまま、顔だけをあげた。その目は濡れている。それが何か、志四郎は考えたくもなかった。
「ああ、わかっている。今こそ、その思いを果たしてほしい」
しかも、真壁はわずかだが微笑みさえした。
「ちがう、ちがう、ちがう、ちがうんだよ、ああもうっ」
気持ちの持っていき場が完全になくなった志四郎は、その衝動を地団太を踏むことで、どうにか表に出した。
最悪だった。いや、違う。うすうす感じていたことが、ただ現実として出てきてしまっただけだ。
真壁は死を恐れていない。恐れさせる方法もない。悔いを残して命を奪う方法はない。
そんな男を斬っても、自分はすっきりしない。自分の二十年もの間、積み重ねてきた恨みは解消されない。
真壁の背をさすっていた女は、いつの間にか部屋の隅に座っていた。こちらを見ているが、何も言わない。命乞いをしないし、許してやれとも言わない。哀れみの顔をすることもなく、ただなりゆきを近くで見ているだけだった。彼女のこの姿もまた、真壁の意思の表れに思える。実際、そうだろう。
静かだった。だが、黙ったままではいけない。
「なぜ、おまえは俺をはめたんだ。おまえほどの男なら、他にも方法があったんじゃないのか」
真壁は笑みを消した。
「なかった。あのときのわしは未熟で、しかも時間がなかった。己を守るために、もっとも利用できると考えたのが、おぬしの立場だった。だが、おぬしの父母の命を奪うつもりはなかった」
今の志四郎なら、それが嘘ではないことがわかる。
真壁は決して謝罪しない。志四郎がそんなことを求めていないのを重々承知しているのだ。真壁は志四郎をおもんぱかっている。その気遣いがまた、ひどく悔しかった。
どう転んでも気が晴れないのであれば、とりあえず斬ってしまうか。
悩むのにも飽いた志四郎は、刀の柄に手をかけた。
真壁がすっと目を閉じる。きっと彼なら、目を開けたまま斬られても、どうということはないだろうに。
斬るべきだ。
だが、斬るしかないのか――
志四郎に迷いが生じたとき、外から聞き知った声がした。
「真壁摩利俊はいるかっ」
窓からのぞいてみると、八和田が立っていた。今までに見たことがない恐ろしい顔をしている。しかも、何人もの武士を引き連れていた。まるで、討ち入りに来たようだ。いや、もしかすると本当にそうなのかもしれない。
「八和田、何をしにきた」
志四郎が顔をさらして訪ねた。
「篠塚っ、そこで何をしている」
八和田の顔が赤黒くなり、歪んだ。ひどく醜いものだった。
「俺は、真壁を斬りにきた」
「なら、さっさとやらんか。このままでは、謀反人として、おまえも討ち取るぞ」
志四郎は顔を引っ込め、真壁を見た。彼は難しい顔をしている。意図せずして見た二人の意外な表情に、志四郎はつい噴き出してしまった。
「そんなに面白い話ではないがな」
真壁の声には力が入っていないため、どんな気持ちで口にしたのかはわからなかった。
「八和田ってのは、お人よしだと思っていた。だが、あれではまるで多田派の一人だ」
「そのとおり」と真壁がうなずく。「八和田は多田派の一人だ。まあ、あとから便乗しようとしていただけで、多田たちからも軽んじられていたがな」
「へえ、それは知らなかった。実はな、あれは古い知り合いで、俺がやったことを話してしまっているのだ」
「なんと」と、真壁が絶句している。
「知らないってのは、怖いものだ」
志四郎はしみじみと言った。
八和田は大事なことを黙ったまま、志四郎と会っていたらしい。策をめぐらすというには何も仕掛けてこず、裏切りというほど心を預けてもいない。
確かに、八和田に自分のなしたことをべらべら喋ってしまったのは、志四郎の失策だったが、それはどうでもいい。いずれにせよ、いつか誰かにはばれる。
志四郎は、二十年経つと、お人よしもこうやっていろいろやるのだな、とただただ感心していた。多田段々についたがために、今となっては八和田もまた尻に火がついていることが伝わるからだろう。
結局、八和田という男は、お人よしの部分を除けば、いくつになっても、平凡よりも下の存在にすぎないようだ。
悲しくて面白い。それは、篠塚志四郎も同じだった。
「で、どうするつもりだ」
真壁が志四郎に聞く。
「あれは、俺の客じゃない。おまえの客だ」
真壁は首を振った。
「おぬしがわしを斬れば、わしのほうはおしまいだが、そのあと八和田は刃をおぬしに向ける」
「わかっている。だが、それの何が悪いんだ」
志四郎は心の底からそう思っていた。実のところ、ほっとしていた。真壁を斬っても恨みを晴らすこともできない今、行くところまで行ってしまえば何も考えなくて済みそうなのだ。
あれこれやってきたが、結局のところ、志四郎はただ平穏が欲しかっただけだった。それが、もうすぐ手に入ろうとしている。
真壁はため息をつき、隣の部屋とを隔てている襖を開けた。病人にしては元気だな、と志四郎が思っていると、そこに積み重なっていたものの一つを、真壁が手にした。
鉄砲だった。
隣の部屋には鉄砲が何丁も転がっていて、横には木箱に入れられた弾が大量に置かれていた。
「もともとは、わしもただで死ぬつもりはなかった」
志四郎に言ったあと、真壁はそばで見ていた女を向いた。
「迷惑をかけて悪いが、店のみなは逃げてくれぬか。ただ、その前に火が欲しい」
そばで見ていた女は黙ってうなずくと、階段をおりていった。
その間に、真壁は鉄砲に弾をこめる。
「まだかっ」
八和田の声がした。
「まだ話し合いの最中だ、黙ってろ」
志四郎が怒鳴り返した。お人よしをやめた八和田は、本当につまらない人間だった。
すぐに、女は火打石を手に戻ってきた。
「早いな」
弾をこめおえた真壁は、ゆっくりと立ち上がった。命のほうは燃え尽きようとしているのに、動作の一つ一つに力強さが見える。これこそが武士、なのだろう。
「みんな、とっくに逃げてましたよ。さあ、火縄に火をつけましょう」
「胡蝶、おまえは逃げぬのか」
女――胡蝶は、優しく微笑んだ。
「わたしも肺を病んだ身。どこまでもお供しますよ」
真壁は黙ってうなずき、改めて志四郎を見た。
「篠塚、まだ逃げられるぞ」
志四郎は肩をすくめた。
「俺はまだ、おまえを斬っていない」
「……そうだったな。では、どうする」
「まだ鉄砲はあるな、俺もあれを借りよう。どうだ、ひとつ勝負をしないか。この鉄砲で、八和田たちを撃ち、たくさん当てたほうが勝ちってやつだ」
「くだらん児戯だが、退屈しのぎにはなりそうだな」
真壁がにやりと笑った。
志四郎も銃に火をつけながら、笑い返す。自分でも驚くほど自然に顔が動いていた。
「だが、弾は一つ残しておいてくれ。最後はおまえを撃ってやる。その眉間にずばんとな」
「それは楽しみだ」
「では、まずは一発目」
二人は窓の外に鉄砲を向けた。驚愕する八和田の顔が視界に入る。同時に撃った。
八和田の眉間に穴が開き、その場にくずおれた。
「あれは、わしだな」
「いいや、俺だね」
またも二人は笑い、次の弾の準備をする。
志四郎はもう悩まない。
さすがにあの連中も、ここまでやれば、いつかは建物に乗り込んでくるだろう。そのときは、刀を振り回してやる。きっとたくさんの武士が集まってくる。その頃にはとっくに真壁も、胡蝶もいない。志四郎は一人で戦う。
――それで、全部終いだ。何も考える必要はない。
志四郎と真壁は、木箱から弾をわしづかみにし、ごそっと取った。鉄砲には、一発ずつしか入れられない。それでも、二人はそうしたかった。まるで宝物のような気がした。
再び二つの銃声が同時に轟く。
志四郎は、まだまだ遊べそうだった。
志四郎の望み どんより堂 @donyoridou
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