第38話 逃げ道がなくなった

 その後は結局、前日と同じように丹念たんねんに全ての足を拭かれ、丁寧に全身のブラッシングをされて。

 泥どころかホコリ一つついていないような状態で、エドワルド様の元へと送り出され。


(そして今日もまた私は、宰相閣下の抱き枕になるんですね)


 もはや分かり切った事実に、諦めの心境にしかならない。

 これでも子爵令嬢なのだと言いたいところだけれど、今はむしろそれを忘れておいたほうが、気分的に楽になれる。

 昨日それを嫌というほど思い知ったので、今の内から私は犬だと心の中で言い聞かせておく。

 とはいえ、ディーノさんの後ろをついていく足取りは、どうやったって重くはなってしまうのだけれど。


「おいで、エリザベス」


 ただ、そうでもしなければ。


(このよく分からない色気に、打ち勝てる気がしない……!!)


 メガネを外しているせいなのか、それとも眠る前だから普段よりも一段声が低いせいなのか。

 理由は分からないけれど、なぜか寝る直前になって、いつもは完全に隠れている色気が駄々洩れになるエドワルド様は。


(たぶん、全く意識してないんだよなぁ)


 だからこそ、恐ろしいのだ。


「お前は、本当に……」

「っ……」

「あたたかくて、いい匂いがするな……」

「~~~~ッ!!」


 耳元で、低い声で囁くように落とされる言葉の数々が、本当に心臓に悪すぎて。

 叫び出したい衝動に駆られるけれど、もちろんそんなことができるはずもなく。


(私は犬、私は犬……! 人間じゃないっ、私は犬だっ……!)


 もはや心の中で必死にそう叫ぶことで、この状況を何とかしのごうとしているわけで。

 ちなみに、回避も打破も不可能だと分かっているので、耐えるしか選択肢が残されていないという、何ともつらい状況下であることも覚えておいて欲しい。


(エドワルド様に、ちゃんと寝てもらうためだから……!)


 そう。全ては、そのために。

 何の関係もない犬を、追い出すこともなく面倒を見てくれている、その恩返しのために。

 むしろそうでなければ、確実に逃げ出しているはず。

 そして実際、すぐに聞こえてくる穏やかな寝息が。私が耐えることによって、エドワルド様の睡眠が守られているのだと教えてくれるから。


(仕方がないよね)


 自覚なく色気を垂れ流すエドワルド様のほうは、あえて向かないようにして。

 聞こえてくる静かな呼吸音に、今日もちゃんとエドワルド様が朝まで眠れますようにと、心の中で小さく祈って。

 私もそっと、目を閉じた。


 この祈りが届いたのかどうかは分からないけれど、前日と同じように、目覚めた時にはエドワルド様もまだベッドの中で眠っていて。

 あぁ、これでようやくちゃんと役に立てるんだなと思ったのと同時に。逃げ道がなくなったことも、自覚した。

 つまり、私が一緒に寝れば、エドワルド様は朝までぐっすり眠ることができる、と。


「これで、確実になりましたね」

「あぁ。今後は毎晩これでいこう」

「かしこまりました」


 当然、全員の共通認識になったことに関しては、もはや言うまでもない。

 二日連続で同じ結果が出たのだから、私もそこについては認めざるを得ないのだけれど。


(納得できるかどうかは、また別じゃないかな!?)


 そう思いながら、必死に目で訴えてはみたものの。私の意見など、誰に伝わるはずもなく。

 この日、私は夜にエドワルド様の抱き枕になることが、正式に決定したのだった。





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