第5話 つらすぎる現実
犬という種族の脚力なのか、それとも私が変えられてしまった種類の犬が、特別すごかったのか。森の中を走る速さは、今まで感じたことのないもので。
そのおかげなのか、あっという間に森を抜けだしたかと思えば。そのままの速度で、王都の門を誰に止められるわけでもなく通り過ぎてしまった。
(正直、後ろから声が聞こえてきていたような気がしないわけでもなかったけど……)
とはいえ、そこで止められてしまったら最後、きっと王都の中には入れなかっただろうから。
心の中ではごめんなさいと謝りながらも、足は止めることなく駆け抜けてきた。
そうして、行きとは逆の景色を辿りながら、ようやく到着したオットリーニ伯爵邸の前で。
「こら! あっちにいけ!」
「ここはお前の家じゃないぞ! 飼い主のところに帰れ!」
人間の大人の男性よりもずっと高い塀に阻まれただけではなく、入れて欲しいと叫んでいたら。
聞きつけてやってきた顔見知りの使用人の人たちに、私は思いっきり追い払われてしまっていた。
「わぅわぅ! わふっ!」
「違うんです! 私です!」という言葉は、当然犬の鳴き声になってしまうし。
「こんな大きな犬、どっから来たんだ」
「どこかの屋敷から脱走したんだろうさ」
「それで、帰る場所を間違えてるってことか?」
「犬からしたら、どこの屋敷も同じに見えるんだろ」
なんて、二人で呆れた顔をしてこっちを見ているし。
最終的には、危害を加えられたら困るからしっかり追い返そうとか言い出して、モップの柄の部分を振り回されて。
「わふぅん……」
伯爵様にもおば様にも会えないまま、結局その場をあとにするしかなかった私は。そのままトボトボと、行く当てもなく
気がつけば、街のほうへと向かって歩いていた。
でも現実は、ものすごく厳しくて。
「あっちへいけ!」
「危ないから! 早く追い払って!」
投げかけられる言葉もだけど、実際に石を投げられてぶつけられて。心も体も、痛くて痛くて。
「くぅん……」
逃げ込んだ路地裏で、じっと身を潜めながら。この先どうすればいいのかも分からないまま、泣きたくても泣けない体が嫌になっていた。
しかも追い打ちをかけるように、冷たい雨が降り出してしまって。
当然、屋根のある場所で雨宿りなんてできるはずがなく。雨に降られるまま、びっしょりと濡れていってしまう。
(もう、やだ……)
水を吸って重くなった毛皮と、徐々に冷えていく体。
それでも誰かに助けを求めようと、必死に路地裏から小さな声で助けを求めるけれど。やっぱり避けられるか、石を投げられるか、暴言を吐かれるか。
つらすぎる現実に、背を向けたくなって。寒さも限界に近くて、動けなくなる前に安全な場所を見つけようと、路地裏の奥へ向かおうとした、その瞬間。
「どこの犬だ?」
かけられた声に振り向けば、そこには一台の馬車が止まっていて。
「エドワルド様、危険ですから……!」
「だが、明らかに貴族の飼い犬だろう? 私が見過ごすわけにはいかない」
「……承知いたしました」
本来であれば、人には聞き取れないはずの声量でのやり取りだったんだろう。
でも犬の姿に変えられてしまっている私には、その声はハッキリと聞こえてきていて。
「飼い主を探してやる。馬車には乗れるか?」
犬相手のはずなのに、まるで言葉が通じること前提のような言葉を投げかけてくる姿に、この時は疑問を持つ余裕もなく。
開けられた馬車の扉の中へと、寒さに震える体を必死に動かして、ゆっくりと入っていった私は。
寒さで体力を消耗していたのか、それともようやく得られた安心感からか。そのまま意識を手放してしまったのだった。
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