第6話 エドワルド様

 次に目が覚めた時、真っ先に目に飛び込んできたのは、ふっかふかのタオルの山。

 どうやら雨に濡れて冷たくなっていた私の体を拭いた上で、これ以上体温が下がらないようにと大量のタオルを用意して、寝床にしてくれていたらしい。


「わふぅ……」


 おかげで寒さに震えることなく目覚めることができて、思わず「感謝……」と呟いてしまったのだけれど。相変わらず、口から出てくるのは犬の鳴き声だけ。

 でもどうやら、今はそれだけで十分だったみたいで。


「目が覚めたのか」


 聞こえてきた声のするほうへ顔を向ければ、読んでいたのであろう書類をテーブルの上に置いて、こちらを見てくるメガネの人物と目が合う。

 私の記憶が正しければ、確かこの声は馬車の中から最初に話しかけてくれた、エドワルド様と呼ばれていた人物のはず。

 フルネームが分からないので、どこのお宅のエドワルド様なのかは分からないけれど。少なくとも、貴族であることだけは間違いない。


「この時期に王都にいる貴族は限られるから、お前の飼い主もすぐに見つかるだろう」

「くぅん……」


 いや私、飼い主とかいないんですけどね。

 なんて言いたくても、言葉として伝わらないので意味がない。


「心配するな。それまではここで過ごしていればいい」

「わふぅ」


 でもとりあえず、すぐに追い出されるということはなさそうで安心する。

 むしろ飼い主なんて見つかるはずがない分、元の姿に戻れるまではご厄介になるしかないし。


(となると犬の姿とはいえ、きちんとご挨拶しておかないと、失礼よね)


 そう考えて、顔を上げていただけの状態からしっかりと起き上がる。

 二本足で立つことはできないので、犬らしくちゃんとお座りをした状態で。

 よくよく見ると、ものすごく整った顔立ちをしているエドワルド様であろう人物の、青みがかったグレーの瞳を見つめながら。


「わふぅん」


 よろしくお願いしますの意味を込めて、頭を下げてみた。

 これで少しでも、気持ちが伝わればいいんだけど……。


「おや。どうやら、とても頭のいい犬のようですね」

「!?」


 突然別の方向から聞こえてきた声に、驚いて顔を上げれば。入り口付近の壁に控えている、おそらくこのお屋敷の使用人であろう人物の姿が。

 オールバックのオリーブグレーの髪に、ダークブラウンの瞳のその男性は、たぶん見た目からしてエドワルド様と同じくらいの年齢だろう。

 ただ言葉とは裏腹に、その目はどこか警戒しているようにこちらを見ているので、私が急に暴れ出したり襲い掛かったりしないかと、注意深く観察しているんだとは思う。

 若干、視線が痛い気もするけれど。


「大型犬だからな。しっかりとしつけられているんだろう」

「それなのに、脱走しちゃったんですもんね」

「……たまには冒険でもしてみたくなったんじゃないか?」

「おや、珍しい。エドワルド様がそんな冗談を口になさるなんて」


 彼らの会話から、やはり私に声をかけてくれたのはエドワルド様で間違いなかったことと、私の姿が大型犬であるということが分かった。

 あと、主人と使用人にしては、かなり距離が近いのだということも。


「先に茶化したのはお前だろう。まぁ、明日にでも王都に滞在中の全貴族に、飼い犬の脱走についての問い合わせをすれば、すぐに見つかるさ」

「短い冒険でしたね」


 そしてどうやら私が街にいた理由は、冒険のために飼い主の元から逃げ出したということで落ち着いたらしい。


(現実は、全然違うんだけど)


 今はそれを伝える手段もないので、大人しく二人の会話に耳を傾けていたけれど、突然。


「では、まずは汚れをしっかりと洗い流しましょうか」

「そうだな。このまま屋敷の中を歩き回らせるわけにはいかないだろう」


 そんな短いやり取りのあと、オールバックの使用人が私のほうへと近づいてきて。がばっと、タオルごと持ち上げてきたのだ。


「!?!?」


 意味が分からないし、状況も掴めなくて。とりあえず暴れないようにだけは、ちゃんと気をつけたけれど。

 これから何が始まるのかと、内心でビクビクしている私に。


「あたたかい湯を用意させているから、まずはその泥汚れを落としてこい」


 エドワルド様はそれだけ告げて。再び書類を手に取って、そちらに意識を移してしまった。

 そうして、名も知らぬ使用人の男性に、部屋の外へと連れ出される直前。

 初めてその姿を上から見た私は、エドワルド様のブリュネットの髪を見下ろしながら。


襟足えりあし、長いんだ。意外)


 なんていう、どうでもいいことを考えていた。





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