第10話 もっと楽しい人生を
目を開けると、見慣れた天井が視界に入って来た。無理矢理修復されているが、どこか歪で不安になる。軋んだ木の板で作られている、薄汚いこれは。間違いなく、俺の家である。
頭がくらくらしたので、手で押さえながら起き上がる。ベッドではなく、床の上で寝てしまったらしい。さっきまで夜だったのに、窓から光が差し込んでいる。
「えぇーっと……ここまでは、全く同じことになっている……」
『千道』
手元に転がっている望遠鏡から、声がした。両手で拾い、勇者さんと目を合わせる。顔を近づけないと、隙間に入っている埃に気がつかなかった。
「おはようございます、で……合ってますかね?」
『合ってますよ。ということで、鏡を見て来やがれください』
「はーい」
言われるがまま、洗面所まで歩いて行く。大欠伸をしてから、扉を開けて鏡の前に立つ。改めて自分自身を見つめ――安心した。
「わぁぁぁい! 片目になっているぅぅぅぅぅ!!」
洗面所から飛び出し、軽やかな気分になりながら部屋に戻る。テレスコメモリーを拾い、満面の笑みを勇者さんに向ける。彼も『良かったですね』と言ってくれた。
取り合えず、自分の頭を殴ってみた。叩いた場所から痛みが走るので、夢ではないと確信した。正しく俺は、呪いに打ち勝ったのだ。
普段の寝間着に戻っており、少し肌寒さを感じる。今日も気温は秋並みなので、部屋を暖める所から始まる。暖炉に火を灯してから、レットゥギャザーへ朝食を買いに行く。
本当は、大食堂も使える。あそこの調理はとても美味しいし無料なので、非常にお得である。だが、この時間帯は非常に混む。行くとしたら、利用者が少ない時間にしている。
「この見た目で、奇怪な視線を向けられるのが嫌なんですよね……まぁ、地球で慣れているけれど」
『やむを得ず行く時が、いつか来やがるかもしれねぇですね。今日は何を買うんです?』
「そうですね、スクランブルエッグサラダにしようかな。小さいパンも付いているので、お得な気がします」
ついでに、リンゴを使ったレシピブックも買った。時間が出来たら、ソーリヒ森へ行って果実を回収しようと考えている。俺は自炊の経験はあるので、材料さえ揃えたら、どうにか形にはなると信じている。
家に帰ると、談話室はそこそこ暖まっていた。先にパソコンを立ち上げ、フィデスを起動させておく。机の上にテレスコメモリーを置いて、朝食を食べ始める。「今日はどんな依頼が来るのか」や、「茶寓さんは大丈夫だろうか」と、世間話をする。
話題の一つに、ショーダウンの話が上がった。箱はまっさらに消えてしまったので、処分したということにしている。服装の話をしていたら、テレスコメモリーが少し動いた。俺を見つめているようだ。
「どうしましたか?」
『……千道は顔が整っているので、モテるのでは?』
「え、そうですかね? そんなこと言われたの、初めてだなぁ」
面と向かって容姿を褒められたのは、初めてである。向こうにいた時には顔面を初め、貶された覚えしかないのだ。少し照れながら、頬をポリポリと掻いた。
今の勇者さんの素顔も、いつか見てみたい。彼は『汚ぇですよ』と謙遜するが、きっとそんなことはないだろう。ちなみに、写真の中にいる英雄さんは、可愛いらしい顔立ちをしている。
『この数日間だけで、国民たちとも打ち解けた。性格も非常によろしいと思いますよ。いつか、告白されたりして』
「告白ですか。されたことが無いですよ。やっぱり、『好きです』とか『愛してる』って、言うんですかね?」
『あははっ! そんな薄っぺらい言葉なんかより、馬の糞の臭さのほうが信用できますよ。本当に好きだったら、身体が先に動きますからね。それに、愛にも種類がありますよ』
「嬉しいことですね。俺は劣悪な家庭環境のせいで、愛とか恋とかには全然詳しくないです。けれど、異性愛だけじゃなくて、連帯感や尊敬とか、友情だったとしても。俺に『愛』を教えてくれたら……この先、もっと楽しい人生を歩けそうです」
そう言って微笑んだら、勇者さんはもっと声を出して笑ってくれた。異邦人である俺が、ここに住んでいる人と恋に落ちる日は、来るのだろうか。今はまったく想像すら出来ないが、悪くない気はしている。
『それにしても、茶寓は本当に遅ぇですね。今日は三日なので、会議があるとか言ってやがりましたっけ。それを理由にして、サボっていやがるんですかね?』
「いやいや、彼に限ってそんなことはしないですよ。ちゃんと待ちますよ、俺は。そして、団長たちを解放してみせます」
完食した俺は、力強く微笑んだ。テレスコメモリーから息が漏れたので、一緒に放浪してくれるようだ。確かに、何の音差も無いのは不安になる。スマホのメッセージだって、未だに一件も来ていない。
ソフィスタの制服に着替え、パソコンを見る。あと少しで、ローディングが終わる。相変わらず遅いが、スマホよりも見やすいのは事実である。ゼントム国内の依頼を承諾し、荷物を持って家から出る。
「行きましょうか、勇者さん」
『えぇ。今日もよろしくお願いします、千道』
DVCから出て、最初の依頼場所へ歩き始めようとする。しかし、反対方向から悲鳴が聞こえた。見ると、何人かがシニミに追いかけ回されている。
「シニミが現れたぞぉぉぉ!!」
「俺たちじゃ太刀打ちができねぇ、逃げろぉぉぉぉ!!」
ソフィスタというのは、本来ならば世界中を飛び回る存在だ。特に、危険地帯がある場合は優先的に配置される。ここは他国に比べると、平和ではある。
人口は元々少なく、交通機関はタクシー二台のみ。世界地図で見ても、隣国と言える地域は無い。辺鄙な場所に存在している、変な島。それがゼントム国である。
この国の依頼を、片っ端から遂行するのは、俺しかいない。テレスコメモリーを握り締め、颯爽と走り出す。前方から走って来る俺に気付いた住民たちが、指差して歓喜の声をあげる。
「来たぞ、スエナリだ!」
「チユキ! 今日も頼む!!」
「任せてくださぁぁぁぁぁぁぁぁい!」
決意のソウル――――
怪物の攻撃を避けながら一気に近付き、右腕を強化する。歪な望遠鏡の力で、強烈な右ストレートをお見舞いする。見事にクリーンヒットし、奴らは倒れて消滅する。
「お怪我はありませんか?」
「大丈夫だ。ありがとう、チユキ!」
「スエナリのおかげで、今日も安心できそうだぜ!」
去り際に、今日も放浪するのかと言われた。頷いたら、彼らはさらに笑顔になって応援してくれた。
こうして俺たちは、荒波に飲まれそうになりながらも、生まれた縁の中で生きていく。まだ見ぬ景色を求めながら。
魂たちの放浪旅 0 番外編 ヘクティック・ピルグリム
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