第3話 皇帝の真意

 玲蘭は緊張しながら、皇帝・涼王の私室に足を踏み入れた。豪華絢爛な部屋だが、その装飾以上に圧倒的な存在感を放っていたのは、その中心に座る涼王自身だった。


 彼は冷静な瞳で玲蘭を見つめ、何も言わずにただ彼女を待っていた。背筋を正して立つ玲蘭は、内心の動揺を隠しながらも、その視線をしっかりと受け止めた。


「よく来た」


 涼王が静かに言葉を発した。その声は冷たく、そしてどこか無機質であったが、彼の目には何か鋭いものが宿っているのを感じた。


「昨夜のこと、よくやった。お前はただの女官ではないな?」


 玲蘭はすぐに答えられなかった。どこまで話すべきか、そしてどこまで彼に見透かされているのかを探ろうとしていた。


「ただ、偶然その場にいただけです」

 玲蘭は控えめに答えたが、涼王の目はそれを見透かすかのように鋭く光った。


「偶然か……だが、お前の動きは尋常ではなかった。武芸の心得があるな? 誰に教わった?」


 この質問に、玲蘭は一瞬、過去の記憶が頭をよぎった。幼い頃、彼女に武術を教えたのは父だった――。しかし、その過去を話すつもりはなかった。玲蘭は目を伏せ、答えを曖昧にした。


「……昔、少し教わっただけです」


 涼王は沈黙を保ったまま、玲蘭をじっと見つめた。そして、その無言の圧力は、玲蘭にこれ以上の嘘を許さないように思えた。


「お前の真意が何であれ、今後、後宮を守るためにお前の力を借りることにする。断る理由はあるか?」


 玲蘭は驚きつつも、冷静さを保っていた。まさか皇帝からこんなことを言われるとは思わなかった。だが、後宮内の陰謀が少しずつ動き出している今、彼の言葉には裏があるようにも思えた。


「私はただの女官です。そんな大それた役目は――」


「私が命じたのだ。それに逆らうことは許されぬ」


 涼王はそう言い切り、彼女に一切の選択肢を与えなかった。玲蘭はため息をつき、目を閉じた。


(ここで拒んでも、意味はない……)


「お受けします。皇帝陛下の命に従います」


 その言葉が彼女の口から発せられた瞬間、涼王の目にはわずかな満足感が浮かんだように見えた。


「よし、それでいい。お前には後宮の守護を任せる。ここでは誰が味方で誰が敵か、容易に見極めることはできぬ。だが、お前ならばその目で真実を見抜けるだろう」


 涼王の言葉には、まるで玲蘭の過去をすべて知っているかのような響きがあった。彼はなぜ、ここまで玲蘭に信頼を寄せるのか――それは、彼女自身にもわからなかった。


---


 皇帝との対話を終えた玲蘭は、自室に戻ったが、心の中は静かではなかった。彼女は後宮の一部でありながら、その中枢に近づきすぎてしまったような感覚に包まれていた。


「玲蘭、どうしたの?」


 秋蘭が心配そうに声をかける。玲蘭は微笑んで答えたが、その微笑みはどこか硬かった。


「大丈夫よ。ただ、少し疲れただけ」


 秋蘭はそれ以上何も聞かず、ただ静かに玲蘭を見守っていた。だが、玲蘭の心は複雑な思いで満ちていた。


 皇帝との会話の中で、彼が見抜いていたもの――それは、彼女自身もまだ気づいていない何かだったのかもしれない。そして、後宮内で渦巻く陰謀。それに巻き込まれていくのは、もはや避けられない運命のように感じていた。


---


 その翌日、玲蘭は後宮内の見回りを命じられた。以前はただの女官として影の存在だったが、今では彼女に注目が集まっていた。それは、彼女の身の回りの人間にも影響を及ぼすことになる。


「玲蘭、最近何か変わったことはない?」


 後宮で最も権力を握る皇后・蘇妃(そひ)が、玲蘭に声をかけた。玲蘭はその問いに慎重に答えた。


「特に変わったことはございません、皇后様」


 だが、その一言がまるで蘇妃にとっては何かを探るきっかけとなったかのようだった。彼女の目は冷たく、玲蘭をじっと見つめている。


「そう……。だが、あなたの目には何かが映っているように見えるわ。気をつけなさいね。後宮は危険よ」


 その言葉の裏には、明らかに警告の意味が込められていた。


 玲蘭はその場を立ち去りながら、自らの胸の中で新たな決意を固めていた。


(私は後宮に飲み込まれない。必ず、自分の道を見つけてみせる――)


 そう心に誓った玲蘭は、誰よりも強く生き抜く覚悟を抱いた。皇帝から課された任務、そして後宮内の陰謀――そのすべてを乗り越えていくために、彼女は剣を取る覚悟を新たにしたのだった。

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