第42話

裕介と蓮は一階にある売店から階段で自分たちの部屋のある五階まで登っていた。ホテルの階段は廊下の明るさとは対照的に仄暗い。

「階段ってこんなにあるのかよ。大人しくエレベーター待てば良かった。せっかく風呂入ったのに、また汗かいちゃうだろ」

 蓮が長い髪をかき上げながら言った。

「今からでもエレベーター乗ってもいいぜ」

「いやどうせ、あと二階だ。ここまで来たら登った方が早い」

 そう言いつつ、二人はホテルのスリッパでさらに上階を目指した。

 すると四階の踊り場にやって来たところで、人影を見つける。

「おい慎司。こんな所で傷心中か?」

 そこにいたのは慎司だった。慎司は踊り場から壁に隠れて廊下の方を伺っている。

 蓮が話しかけに行くと「静かに」と言い放った。指を口に当て、蓮を黙らせる。

「どうしたんだ?」

 裕介も追いついて、小声で慎司に尋ねる。

「あそこ見ろよ」

 慎司が指差した先には給湯室があった。狭い室内に電子ケトルやら電子レンジやらが置かれているのだが、そこに身を寄せ合って何かを話している大人が二人いる。

「決勝審判の柳と百沼の監督だ」

 慎司に言われて裕介も給湯室に目を凝らした。

確かに百沼の監督の曲がった背骨が良く見える。柳は部屋の奥にいるのかよく見えなかった。

「怪しくないか?」

 慎司が言った。

「確かあの審判には………」

 蓮が小声のつもりだろうが、まあまあの声量で喋った。

 裕介と慎司はすかさずイケメンの口を押える。

 蓮は音量を調節してまた話し出した。

「あの審判には八百長疑惑があるって優太が言っていたな」

「会話が聞きたいけどここだと何言ってるのかさっぱり分からない」

「もっと近づくか?」

 そのときである。

「ワッ」

 裕介たちを誰かが背後から驚かした。給湯室に視線を向けていた裕介たちは全員飛び上がってしまう。慎司なんかはかなりの声量で悲鳴を上げたが、幸いにも給湯室までこちらの声は届かなかったようである。

 裕介たちが一斉に振り向くとそこにいたのは西園寺先生だった。

「何やってるんですか」

 慎司は怒りを西園寺先生に向ける。

「バーから帰ったら、たまたま君たちを見かけたもんでな」

 西園寺は呑気にお酒を飲んでいたようである。確かに若干、頬が赤くなっていた。それにしても教師が生徒たちを脅かすとは。酔っぱらっているとはいえ子供みたいな大人だと全員が思った。

「お前たちはこんな所で何をしておったんだ?」

 西園寺が聞いた。言い終えたと同時にゲップをして、慎司が顔を顰める。

「給湯室で百沼の監督と決勝審判を見つけたので、観察していたんです」

 そう言って慎司たちが給湯室に視線を移すと、そこに人影はなかった。代わりに百沼の監督と柳が喋りながらこちらに向かって歩いてきている。柳はホテルの中でもあのゴツイスポーツ用眼鏡を着けていた。

「やばい。逃げるぞ」

 裕介が言って、階段を上り始める。連も後に続いたが、西園寺はのほほんとした顔で突っ立っていた。慎司は溜息を吐くと彼の手を取り階段を駆け上がる。

「なんだ鬼ごっこか」

 西園寺が大きな声で言ったので慎司はその口を無理やり塞いだ。

 五階の踊り場に来たところで慎司が口を開く。

「ってか、俺たち逃げる必要あったのか?」

 そう言うと、裕介も蓮も言葉を返せなかった。

「確かに」

 裕介が言う。

「普通にホテルの客としてすれ違えば良かったんじゃないか?」

「慎司の言うとおりだ」

 蓮が腕を組んで首を縦に振る。

「戻って後を追おう。何か会話を聞き出せるかもしれない」

 慎司が言うと西園寺の腕を掴んで今度は階段を駆け下りる。振り回される西園寺は「ジェットコースターみたいだ」とはしゃいでいた。

 廊下に出ると柳らは角を曲がった先を歩いていた。

慎司たちが後を追っていくと二人はある部屋の前で立ち止まる。柳がキーでロックを解除し、二人して部屋に入っていった。

 二人の姿が見えなくなると、慎司たちはすかさず例の部屋の前に移動する。部屋の番号は404だった。

「何か聞こえるか?」

 扉に耳を当てて中の会話を聞こうとしている慎司に蓮が聞いた。

「駄目だ」

 慎司が首を横に振る。

「無駄に防音がしっかりしていて、何を言っているか分からない」

 裕介らはやることもなく、404号室の前で立ち止まっていた。ホテルの廊下は皮肉なほど静かである。

 しばらく廊下に留まっていると、404号室の扉が開いた。中からは筋肉質な柳が頬を赤らめて出てきた。筋肉の塊から、横にいる教師と同じ匂いが漂ってくる。柳はその場にいた裕介たちにも気づかず、部屋の中に向かって挨拶すると去って行った。

 その足取りはふらついていて、途中開いていた別の部屋の扉に正面から衝突し尻餅をついていた。

 裕介たちがそんな決勝審判を目で追っていると、404号室から声がした。見ると百沼の監督が卑屈な笑みを浮かべて永赤の面々を見ている。

「君たちはこんな所で何をしているのかな?永赤の部屋は五階のはずでしたが」

 裕介たちは返答に困って、酔っぱらった教師の方を見た。

 視線を感じ取った西園寺は咳ばらいをすると一歩前に進み出る。

「決勝戦の相手監督と審判が怪しげな密会をしていたので尾行していましてね」

「おい」

 蓮が思わず叫んだ。イケメンの顔にも動揺が走っている。

「すいません。この人酔っぱらってて」

 裕介が言った。裕介は苦笑を浮かべつつ、西園寺の頭を下げてその場を去ろうとした。

 しかし百沼の監督に呼び止められる。

「待ちなさい」

 卑屈な男の背骨が猫よりもさらにまるくなる。

「君たちが疑う気持ちも分かる。せっかくの機会だから、怪しいことなど何もないと証明して差し上げよう」

 そう言うと背骨の曲がった男は404号室の扉を大きく開けた。

「大した部屋ではないが、くつろいでいくと良い」

 裕介たちは顔を見合わせたが、結局中へと入ることにした。扉を潜った慎司が、西園寺を引っ張って中に連れ込む。

 百沼の監督は不気味な笑みからさらに口角を上げて、404号室の扉を閉めた。

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