第38話
向影のキックオフで試合が再開された。
亮太が優太へとボールを回す。真似されたとはいえ、向影の攻撃は優太が主軸だった。
パスを受けた優太が前を向く。
しかしいつものようにドリブルを始められない。優太の前には熊田トルエがいた。
「ポジションを変えてきたか」
梶井が呟いた。
「全員がそれぞれ平均的に高い能力を有しているため、相手は柔軟にポジションを変えられる。それも地味だが、大きな強みの一つだな」
熊田は親の仇を見つめるような目でボールを睨んでいる。集中力が研ぎ澄まされているようだった。
「しかも全員が基本的な動きを出来る故に、あのゴツイ選手は優太の対応に専念できます。これは厳しい勝負になるかもしれないですね」
釜本が西園寺に状況を説明する。
優太が体や足さばきで揺さぶりをかけるが、熊田は動じない。
やがて熊田との呼吸が僅かにずれた隙を突き、優太はスピード勝負の縦突破を試みた。
ボールを大きく蹴りだし、走り出す。
しかし熊田が素早く反転。そのまま優太とボールの間に体を入れ、一対一を制した。
「あ~」
教師の中から、落胆の声が上がる。
梶井の手にも力が入った。
「おい、どうする」
裕介が亮太に大声で聞く。優太が封じられたとなれば、このまま行っても勝ち目はない。だが亮太は沈黙を貫いていた。
「クソっ。お前のケツを拭くのは、いつだって俺の仕事って訳か」
裕介はそう呟くと走り出した。
「おい、あいつ。自分のポジションを捨てて、下がってきているぞ」
西園寺が裕介を指差す。
「亮太のカバーをするつもりなんでしょう」
裕介が戻って来た勢いのまま白鳥にスライディングを仕掛ける。見事にボールを奪い取った。
「これは意表を突かれたな」
ボールを取られた白鳥に笑みがこぼれる。
「私は分かっておったぞ。お前ならやってくれると」
西園寺が立ち上がって裕介に拍手を送った。
裕介は優太サイドが駄目ならと、中央突破を試みて慎司へとパスを預けた。
自身もまたフォワードの位置まで駆け上がる。
「慎司」
裕介が慎司にパスを要求した。
しかし慎司は応じない。というよりも、亮太の声が聞こえていないようだった。慎司は下を向いて、ボールを見つめている。
「おい小僧、そいつにパスを出さんか」
西園寺が喚くもその声は当然、慎司には届かない。
慎司が相手センターバックに向かってドリブルを仕掛ける。二対一であろうとお構いなしだ。
慎司はフェイントで二人の重心をずらす。それによって僅かに隙間が空いた。そこに迷わず向影のフォワードは突っ込んでいく。
左右に永赤のセンターバック二人がついた。
二人は両サイドから慎司を押しつぶすようにしてプレスをかけた。慎司も負けじとボールを大きく蹴りだす。それと同時に加速した。
一歩抜け出したかと思われた。しかしセンターバックの一人が慎司の前に入りボールを奪う。
慎司も諦めずそのセンターバックからボールを奪い返そうと、プレスをかける。
その時、観客から悲鳴のような声が上がった。
相手のセンターバックはプレスに来た慎司を見て、キーパーへとパスをした。しかし慎司の勢いは止まらず、ボールを持っていない選手を突き倒してしまう。
審判の笛が響き渡った。
慎司の頭上にイエローカードが提示される。
「全く何をやっとるんだあいつは」
西園寺が苛立たし気に声を上げる。
釜本は西園寺をぎっと睨んだ。すると西園寺は肩を竦める。
「なんでだよ」
ピッチ上で慎司の声がした。慎司は審判の判定に納得がいかないようで、審判に詰め寄っている。
「今のはちょっと当たっただけで、こいつが勝手に転んだんだろ。ファウルじゃねぇよ」
慎司は声を荒げていた。
拓実や蓮は心配そうな顔で慎司を見つめている。
「またやったか。最近はしなくなってきたと思ったのにな」
裕介はそう言うと、宥めるため慎司の元へ駆けつけようとした。しかし、それを肩に掛かった手が止める。
亮太が言った。
「俺が行く」
亮太は審判から慎司を引き離した。
「なにすんだよ。あんなのでイエローなんて貰ってられるかよ」
慎司が亮太に文句を言い出す。
「今のは明らかにファウルだ。レッドカードじゃなかっただけ、有難いと思え」
「なんだと」
慎司が亮太を睨み、一触即発の状況である。
「何度言ったら分かるんだ。お前は天才かもしれないが、万能じゃない。実力に見合ったプレーをしろ」
「もうちょっとで、行けそうな気がするんだよ。なんというか、もうここまで来ているんだ。あとちょっとで、何かが掴めそうなんだよ」
慎司が唾を飛ばしながら訴える。
テレビに亮太と慎司の言い合いが抜かれていた。それを麻衣と梶井が見つめている。
「何か、喧嘩しているようだな」
「いつものことです」
「彼らも少しは大人になってくれれば良いのだが」
「でも見てください」
そう言って麻衣が画面を指差した。
慎司はダンサーのように手を振り上げたり、突き出したりしている。さらに首の血管も浮かび上がって、目は充血していた。
「あんなに主張をしている慎司、始めて見ました」
慎司が叫ぶ。
「あんたには分からないだろうな。自慢のパスを真似されて、しょぼくれているようなあんたには。もうあんたの言う事なんて聞かない。俺は俺の力で点を取る」
「駄目だ。お前のプレーはよくて退場。最悪、選手生命を絶たれるぞ」
「俺の事は俺が一番分かっている」
二人が言い争っていると、そこにチームメイトが集まり始めた。最初にやって来た裕介が二人の間に入る。
「二人とも落ち着けよ」
だが二人は落ち着かず、むしろヒートアップした。
「みんなで仲良く、お遊びサッカーでもしてろよ」
慎司がそう言うと亮太を突き飛ばした。亮太も負けじと慎司に掴みかかろうとする。それを日に焼けた腹心が必死に止めた。
そこに優太もやって来て、慎司を抑え込む。
「あいつにはパスを回すな」
亮太が集まって来てチームメイトたちに言った。
「ふざけるな」
輪の外から優太に抑えられている慎司が叫ぶ。
「このまま行ったら永赤には勝てないぜ」
蓮がお手上げポーズをする。
「そうだな」
亮太は言った。
「おいおい。そこは『策はまだある』とか言う所じゃないのか」
「残念ながら、俺たちは即席のチームだ。その上、個々の実力も相手の方が上。完全に詰みだな」
「じゃあ僕たちここで負けるの。あんなに練習、頑張って来たのに。せっかくまたサッカーを始めたのに」
拓実が言った。
すると亮太が腹が出た仲間の肩に手を置く。
「誰も負けるなんて言ってないぞ。ただ勝つのを諦めようって話だ」
「それは一緒の意味じゃないのか?」
赤坂が怪訝な顔を浮かべる。
「いいや全然違うな。俺たちはかつて日本一になった。その誇りが心の何処かに塵積もって、相手と真っ向勝負を挑もうとしてしまっている。だが相手の方が実力が上だと認めるんだ。選手として相手には負ける。だが試合には俺たちが勝てばいい。正攻法で勝てないなら、泥臭くなれ。徹底的に相手の嫌がるプレーをしろ。粘れ。それを最後まで続けるだけで、状況は容易に変わる」
亮太が言うと、各々がその言葉を噛みしめる。亮太の目はまだ諦めていなかった。
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