第32話

 やがてキックオフの時間が近づいて来た。亮太たちは爪やレガース等のチェックを受けるため、コート際に赤坂を基準にして横一列に並ぶ。

「早くしろ」

 赤坂が言った。スパイクの紐を直すのに手間取っている拓実を急かす。その声は震えていた。

「何緊張してるんだ」

 亮太が赤坂の背中を叩く。すると反対側から青田の声が聞こえてきた。

「そりゃ緊張もするだろう。俺たちは去年、このフィールドでぼこぼこにされたんだぞ?あんなのトラウマになるに決まっているさ。しかもその状態を全国に放送されたんだ。一生消えない黒歴史だよ」

 青田の言葉を受けて赤坂は笑顔を作ろうとした。しかし失敗する。

「悪いな、許してくれ。どうしてもここに立つと、恐怖を感じてしまうんだ」

 赤坂が亮太に言った。

 すると亮太はもう一度赤坂の背中を叩く。余計な力を抜くためだった。

「今から汚名を返上すればいい。この試合には俺たちがいる。もう無様な姿は晒させない」

 赤坂の緊張は幾分か落ち着いたようだった。

 両チームのチェックが終わるといよいよ入場となる。

 審判の笛と共に、亮太たちは赤坂を先頭にしてコートに足を踏み入れた。中央まで来ると再び横一列に整列して礼をする。

 久しぶりのセレモニーに亮太たちの気持ちは昂り始めていた。長らくやって来なかった公式戦に、ワクワクしている自分に気づく。

 選手同士で握手を交わすとポジションについた。向影のボールでキックオフである。

 試合開始の笛が響き渡った。

 相手チームはバランスのいいチームのようである。飛びぬけてうまい選手はいないが、全員が全員チームのためを考えてプレーをするチームだった。

 だがそういう相手は亮太たちにとっては戦いやすい相手でもある。

 早速相手チームは三人の連携を使って向影の左サイドを駆け上がって来る。サイドバックと中盤の選手のパス交換で優太は置き去りにされてしまった。このままサイドを突破されると、センタリングを上げられピンチとなる。赤坂と青田が身構えたようだった。

 相手のウィングはそのままスピードでサイドバックの博明を置き去りにしようとする。

 亮太は思わず笑みをこぼすと、博明に言った。

「止めろ」

 すると博明が気の抜けた返事をする。

「分かった」

 亮太たち以外は、試合中に集中していないのかと訝しく思っただろう。相手ウィングも博明の幼稚園児のような返事に困惑したようだった。

 そのウィングの前についに博明が立ちふさがる。

 相手選手はフェイントを挟み博明の重心をずらそうとした。しかし博明は棒立ちしたままで動かない。相手はそれを見て正面突破を試みる。スピードが一気に上がった。

 何の構えもしていない博明は反応が遅れる。

 誰もが抜かれたと思った瞬間、博明が体を捻ると相手とボールの間に腰を滑り込ませた。

 一秒後、ボールは見事に博明の足元にある。

 相手は勢いが止まらず博明の足につまずいて、そのまま数メートル先まで吹っ飛んでいく。

「ごめんね。悪気はなかったんだ」

 博明は転んだ相手に謝る。

 すると亮太が言った。

「博明、パスだ」

 博明が相手選手から目を離し言われた通り亮太に向かってパスを出す。それに気づいた相手のフォワードが突然横から足を伸ばし、博明のパスをカットしようとした。

 だが博明はわざとタイミングをずらすと、相手の股を通して亮太にパスを渡す。

「ナイスパス」

 亮太が褒めると博明は喜んだ。

「博明は指示さえすれば、どんな難しいことだってやり遂げてしまうんだぜ」

 拓実がマッチアップの相手サイドハーフに言った。相手は突然話しかけられ困惑するしかないようである。


「やったぁ」

 ショッピングモールの猫カフェの厨房で歓声が上がった。女性店員が隣にいる男性店員とハイタッチをする。

 二人は女性店員のスマートフォンでグランドリーグを見ていた。今まさに博明が相手の攻撃を止め、見事なパスを披露した所である。

「すごい。あの子がこんなにサッカーが上手だったなんて」

 女性店員はいつもよりもテンションが上がっているようだった。

「彼はチームメイトに恵まれているようだね。彼の事を理解し、その良さを最大限に引き出してくれる仲間がいる。彼自身も仲間の事を信頼しているからこそ、あんなプレーが出来たんだよ」

「本当にすごいです」

 女性店員は嬉しそうにして厨房を出ると、お客さんや猫たちがいるカフェスペースに出る。

 すると女性店員は驚いた。カフェに設置してあるテレビでもグランドリーグを流していたのだが、それを猫ちゃん達が見ているのだ。

 お客さんの膝に乗りつつ撫でられながらも視線はテレビに向いていたり、テーブルに寝転がりながらテレビを見たりしている。

 茶色い毛の賢そうな顔が特徴のペレちゃんも、キャットタワーの頂上からテレビを凝視していた。そして博明が良いプレーをする度に、褒め称えるようにして「にゃー」と鳴く。

 女性店員はなぜか瞼の端が熱くなっていることに気づき、慌ててハンカチで拭う。

 そしてそっとペレちゃんの元に行き、その毛を撫でながら一緒に博明の勇姿を見届けた。


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