第30話
慎司は体の力が抜けたように、地面へ伏した。西園寺は突然の事に目を丸くしている。
亮太はすぐに慎司へ駆け寄った。
「おいどうしたんだよ」
亮太はそう声をかける。しかし体に触れていいのかも、分からず喋りかけることしか出来なかった。
「気持ちわりぃ。それに手のしびれが………」
慎司はそう言うと右手を亮太に見えるように上げた。確かに右手は痺れているようでプルプルと震えている。さらに慎司がえずき始めた。
亮太の顔が青くなる。
「お前、何を飲んだんじゃ」
そう言うと西園寺は慎司が口にしたビーカーを取り上げる。すると驚いて口を丸く開いた。
「お前。これは蛇毒入りのハブ酒だ。今まで私はなんともなかったが、経口投与でも害が出ることがあるのか。いや………」
西園寺がぶつぶつと、分析し始める。
それに亮太は声を大きくした。
「そんなこと、今はどうでもいいだろ。とにかく何か対処法はないのか」
亮太に叫ばれて、西園寺は慌てて棚から何かの粉末を取り出し、ビーカーに入れて溶かし始める。
「一応、血清は用意してある。だがわしも経口投与は初めてだ。どれだけ効果が出るかはわからん」
そう言って西園寺が亮太にビーカーの中身を飲ませている間に、亮太は救急車を呼んだ。
大会直前であるにも関わらず、バスの運転手がおらず、慎司が毒を飲んでしまう。亮太は椅子に座ると、机に肘を立てて頭を抱えた。
しばらくして亮太は病院に運ばれて行き、付き添った先生から亮太の無事が報告される。
理科準備室に報告に来た赤坂健太郎が言った。
「医者は念のため大会は休むように言っているが、本人は出る気のようだ」
「そうなったら、あいつを引き留めるのは不可能だ」
「分かった。慎司はすでに学校に向かっているらしい。後は運転手だけだが」
赤坂がそう言って、亮太は西園寺を見た。西園寺は亮太が救急車に運ばれるのを見てようやく自身の過ちに気づいたようである。今は反省するようにして部屋の隅で体育座りをしていた。
「おい」
亮太が西園寺の前に立った。
「あんたのせいで、こっちは大事な仲間が死んだかもしれないんだ。責任を取れとは言わないが、その代わりに俺たちに協力しろ」
西園寺が力なく頷いた。
それに亮太は溜息を吐く。そして西園寺に手を差し伸べた。
西園寺は亮太の手を、目を丸くして見つめる。
「私の事を責めないのか」
「さっき十分責めただろ。もう終わりだ。あんたには運転手として俺たちを大阪まで連れて行って貰わなきゃならない。そうなった以上、俺たちはもう仲間だ。そして俺の仲間にそんなくよくよした奴はいらない」
亮太がそう言うと、西園寺は一気に笑顔になった。
「そうか。私の力が必要なのだな。それならそうと早く言えば良いのに。この偉大なる西園寺が貴様らの望みを叶えてやろう」
「都合のいい奴め」
亮太が言った。
それから三時間ほどして、小型バスは大阪に入った。バスの中では拓実と博明が爆睡しそのいびきが響き渡っている。他の面々は静かにバスの外を眺めたり音楽を聴いたりしていた。
空はあいにくの曇り空で、その色が亮太たちの表情にも移っている。
「もっと急いでください。試合が始まってしまいます」
助手席に座る釜本が西園寺に言う。
「分かっとるわい。これが最速じゃ」
バスは安全運転でゆっくりと進んでいた。よくハンドルを握ると性格が変わるというが、西園寺はどうやら臆病になるタイプらしい。
珍しいと思いつつ亮太は冷静に伸びをして、体をほぐしておく。このままいけば、まともにアップの時間を取れなさそうだった。
「もうすぐ着くぞ。降りる準備をしておけ」
運転席の隣から釜本の声が届いた。それを合図に、亮太たちは身の回りの物を片づける。蓮と慎司が拓実たちを起こした。
「うわぁ、でっけぇ」
そのとき、目を覚ました拓実が窓の外を見て言う。
バスはまさに専用駐車場に入った所だった。駐車場はそれだけでサッカーコートが十個以上は書けそうな広さである。そこに各高校のものと思われるバスが並んでいた。中には学校名がデカデカと書きだされているバスもある。
亮太たちは早々にそのスケールの大きさに飲み込まれた。
西園寺が点在する誘導灯を持った警備員に従いバスを停める。それを合図に、亮太たちはバスから飛び降りた。
「ホテルに向かっている暇はない。とにかく本部へダッシュだ」
釜本が言うと、亮太たちと向影サッカー部の面々は最低限の荷物と共に走り出す。
会場は舗装された道の左右に人工芝のコートが幾つも作られていて、馬鹿でかかった。それぞれのサッカーコートは壁のような高さの金網で覆われボールが飛んで行かないようになっている。
「試合前に体力使い切っちゃうよ」
拓実が弱音を吐く。亮太は拓実のリュックを押しつつ進んだ。
周囲の好奇の目も無視してそのまま数百メートル走ると、ようやく本部に辿り着く。本部では白い屋根のテントが並べられ、中央に受付と張り紙のされた長机がある。亮太たちはそこに集まった。
テントの奥には審判団が扇風機の前で涼んでいたり、運営と思われる人々が集まって雑談をしている。運営の人たちはみんなジャージやシャツ姿だが、みな日に焼けいかにもスポーツマンといった風貌だった。
亮太は審判団を横目に見やりつつ、釜本が手続きを済ませるのを待つ。すると隣の裕介が小声で言ってきた。
「あれが決勝戦の審判か?」
裕介の示す先に、一人で二つのパイプ椅子を独占し足を上げている審判がいた。腕を組んで自ら大物だと言っているような人である。歳は四十代後半くらいだろうか。体は筋肉質で顔もかなり引き締まっている。
「いけ好かない奴だ」
亮太はそう言いつつ、大会の冊子を確認する。すると審判団の所にバッチリ顔が写っていて、決勝戦を担当する柳という人だと分かった。
「柳ってプロの試合でも吹いてる、すごい審判じゃないか?確かオリンピックとかの試合もやってたよな?」
裕介がそう言って柳を見つめていた。
すると優太が横から口を挟んで来る。
「でも柳は八百長疑惑も多い審判だ。本当にあんな奴が決勝で大丈夫なのか?」
さすがサッカーの事情に詳しい優太は疑いの目を柳に向けている。
そこで釜本の手続きが終了し、亮太たちは本部に挨拶をした。
それが終わると再びダッシュで指定のロッカールームに向かい、着替えを済ませる。試合まで時間が無く、ゆっくり雑談する暇もなかった。
しかし亮太は胸の内がひんやり興奮してくるのを感じている。
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