第29話

 亮太と慎司は理科準備室に連れてこられた。梶井は会議に戻り、釜本は集合してきた部員に事情を説明する係が任された。よって、亮太と慎司に西園寺先生を説得する役割が回って来たのである。

 二人は理科室にあるような黒い長机に、西園寺先生と相対するようにして座った。

 西園寺先生は、異様に縁の大きな眼鏡がずれているのにも気づかずフラスコに透明な液体を足らしている。

「すまないね。見ての通り今手がふさがっておる。悪いが自分たちで飲み物を取ってくれ」

 そう言って先生は顎で部屋の隅に置かれた冷蔵庫を示した。

「あの俺たち、飲み物は結構です。それよりも先生にお願いがあって」

 亮太がそう言うと、西園寺先生は突然大声を上げた。

「いかんっ」

 西園寺は続ける。

「茶を交わすことは人間関係の第一歩じゃ」

 そう言われて亮太と慎司は仕方がなく、立ち上がって冷蔵庫を開ける。

 その中にはラップのかかったビーカーが無数に置かれていた。

「どれがお茶ですか?」

 亮太は振り返ってそう聞くも、西園寺はフラスコに集中している。

 亮太と慎司は仕方なくそれぞれお茶っぽい色のビーカーを取り出し机に戻った。

 机に戻るとそれぞれ意を決して、ビーカーを喉に向けて傾ける。亮太が選んだものは麦茶だったようで味は濃いが飲めないものではなく安心する。

 一方で慎司は一口飲んだ瞬間、亮太にだけ聞こえる声で、

「まずっ」

 と呟いた。しかしこちらも飲めないものではなかったのか、亮太はそれ以降も茶色い液体を口に運ぶ。

「先生俺たち時間が無いんです。そろそろお話を」

 亮太がそう言ったが、その瞬間西園寺が立ち上がった。

「できた。できたぞ」

 西園寺はそう言うと、透明の液体が入ったフラスコを我が子を愛でるかのように取り外す。

「何が出来たんですか」

 慎司が聞いた。それが間違いだった。

「今に見てろ」

 西園寺はそう言うと二人に安全保護メガネを投げてよこす。二人がそれを付けると、フラスコの液体をビーカーに移した。そこに分厚いねじのようなものを取り出す。

「ステンレス製のボルトじゃ。私の考えが正しければ、これを液体に浸した瞬間、このボルトは『柔らかく』なるはずだ」

 そう言って、西園寺はボルトを液体に浸した。

 実験特有の謎の期待感が高まっていく。亮太たちはビーカーの中を見つめた。

 しかしボルトは湧き出る泡でよく見えない。ボルトは水槽に入れておくエアポンプのように泡を作り出していた。

「あの………溶けているようにしか見えないが」

 亮太が西園寺に言った。慎司もそれに頷く。ボルトは表面が剥がれ、変色し、見るからに脆くなっていた。とても柔らかくなっているとは思えない。

 西園寺は一縷の望みにかけてピンセットでボルトを取り出す。するとボロボロになったボルトが出てきた。手袋をした西園寺がそれを曲げてみせようとすると、ボルトはパスタのようにポッキリ折れる。

「くそっ」

 西園寺がボルトを机に叩きつけ、跳ね返って来たのを亮太は上半身を捻って避けた。

「また失敗だ」

 西園寺が言う。

「あれもこれも、学会の奴らが私の研究の価値に見て見ぬふりをするからだ。もしこの液体が完成すれば世界が変わり、私は教科書に名前を残すような偉人となるのに」

 ぶつぶつと言う西園寺に亮太が割って入る。

「あの西園寺先生、お話が」

 しかし亮太は西園寺に一喝される。

「うるさいっ。私は偉大な研究者だぞ。私の思考の邪魔をするな」

 そう言って西園寺がまた何か呟き始めたその時である。

 突如、慎司が苦しそうな喘ぎ声を上げて床に崩れ落ちた。

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