第28話
翌日、タイマーの音で亮太は目を覚ました。カーテンの隙間から外を伺うが、まだ日は登っていない。家族は誰も起きていないと思っていたが、部屋を出てリビングに行くとキッチンに母の姿があった。
「もうちょっとで朝ごはん出来るから、先に顔洗ってきなさい」
亮太が洗面所で言われた通りに顔を洗うと、キッチンを通る時母が言う。
「忘れ物、ないでしょうね?」
「大丈夫だ。念のため、朝飯食ったらもう一度確認する」
亮太がそう言って母親の後ろを通り過ぎようとした。すると卵焼きを作っていた母親の手が、亮太の頭を掴んだ。
「あんたの久しぶりの試合がグランドリーグだなんてね。お母さん、応援してるよ」
母親が髪をぐしゃぐしゃにするのをすり抜けて、亮太はリビングに戻った。
その後母の車で学校に登校すると、ようやく空が明るくなり始めた。いつもの鞄に加えてキャリーケースを引いた亮太が校門を潜り、駐車場に入る。校門はすでに空いていた。
早朝の空気が頬を刺す中、バスまで歩いていくと扉の前に一人の人影がある。集合時間より早く着いたつもりだったが、亮太よりも早く慎司は来ていた。
「早いな」
亮太が言うと慎司は顔を上げた。
「なんだかうずうずして、いてもたってもいられなくなったんだ」
慎司は言った。
第一駐車場にはまだバスしか止まっていない。渡り廊下を挟んだ第二駐車場には数台の車が止まっていた。中には梶井の者と思われる、高級そうな車もあったが、亮太には車種は分からない。
するとまさにその渡り廊下に繋がる扉が開かれ、釜本が飛び出してきた。
「おーい、お前たち。大変だ」
朝から釜本が野太い声で言った。釜本は相当慌てているようで、上履きのまま駐車場に出てくる。砂で汚れることにも気づいていないようだった。
「普段俺たちが靴を履き替えないと怒ってくるくせに」
慎司が言う。
しかしその釜本の姿から何か異変を察知した二人は荷物をその場に置くと駆け出した。
釜本に従って校内を靴下のまま歩いていくと、亮太たちは第一会議室に辿り着く。
そこには今まさに相手に噛みつくかのような顔をした谷崎校長と腕を組んで沈黙する梶井がいた。その二人の前には、あの猿、前校長の来間と知らないおじさんがいる。さらに両者の間、教室の班で行ったらお誕生日席に当たる位置に化粧の濃いおばさんが見えた。
釜本が亮太たちに猿の横のおじさんが理事長であり、化粧の濃いおばさんが理事の一人だと説明した。
「運転手がいないとはどういうことだ」
谷崎が机を叩いて吠えた。一人立ち上がり、来間たちを睨んでいる。
来間はパイプ椅子にもたれかかって、冷ややかな目を谷崎に向けていた。
「どういうこともなにも、私は運転手を用意して欲しいなんて話、一言も聞いてないですよ」
「なんだと。梶井は確かに来間さんが引き受けたと言っているんだ。それなのに何をいまさら」
「そんなこと言われても知らないことは知りません。梶井さんの記憶違いでは?ともかく、私がそんな約束をした証拠もないのに喚き散らさないでください」
谷崎は唸り声のようなものを上げていたが、これ以上反論の言葉が思いつかないようだった。
亮太はそこで状況を理解する。どうやらグランドリーグへ行くためのバスの運転手が当日の朝にも関わらずいないようだ。亮太は僅かに焦りを感じるが、梶井がどうするのかという好奇心もある。
そうやって梶井の横顔を見ていると、黙り込んで頭をひねっていた梶井が立ち上がる。梶井は何も言わず理事長らに背を向けると亮太たちを連れて廊下に出た。
朝の廊下は薄暗く、梶井の表情に影が差す。
「君たちよく来てくれた」
梶井が亮太と慎司に言う。
「君たちも見ていた通り、どうやらバスの運転手がいないようだ。状況は良くない。私もこれからしばらく会議室にいなくてはならない。おそらく私は、試合にも行けないだろう」
「私はって、生徒たちは行けるんですか?」
釜本が声を上げる。
それに梶井が口に指を当て音量を下げるようにジェスチャーで伝える。
「まだ手はあります」
「それは一体どんな」
釜本が小声で聞く。
「この学校にバスがあるという事は、職員の中に免許を持つ人がいるのではありませんか?他の部の遠征でも、その方がバスを運転していたはずです」
梶井がそう言うと、釜本は目を見開いた。しかしすぐにその眉間に皺が寄る。
「確かにいますが………」
釜本が言いにくそうにしていると、梶井が容赦なく言った。
「すぐにその先生に連絡を取ってください」
「ですが、その方とはあまり関わり合いにならない方が」
「どうして?」
「いや、その、なんというか彼は研究者色が強いと言いますか、ようするに相当の変人でして」
「今はそんなことを言っていられる状況じゃないでしょう。バスを運転出来るなら誰でも良い。むしろ面白いじゃないですか。変人、大歓迎だ」
梶井が不気味に笑った。テンションがいつもとは違う。
亮太は普段穏やかな男の不気味な顔に、背筋が凍る物を感じる。
「それにしても、猿があれほどまでにクズだとは」
梶井が拳を握り、目を滾らせる。
どうやら来間は怒らせてはいけない男を怒らせたようだと直感で理解した。
「その教師の名は?」
梶井が切り替えて釜本に聞く。
「西園寺先生です」
「その西園寺先生を叩き起こして、すぐ学校に来てもらうんだ」
梶井が言うと、釜本は首を横に振る。
「いえその必要はないかと」
釜本はそう言うと、廊下の端を指差した。するとそこには白衣を着て、何かのプレートを抱えた男がいる。男はまさしく廊下に足を踏み入れて来たところである。
釜本が手招きすると、西園寺は餌につられた狸のような足取りで近づいて来た。
「何か御用ですかな」
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