第26話

 慎司と麻衣は夜の大通りを小走りで進んでいた。昨日の夜、慎司がオフだと知って麻衣から電話をかけてきたのである。慎司は麻衣の少し先を走っていた。麻衣は息が上がっているようだが、自分は何ともない。こういう所でも走り込みの成果が感じられた。

「早くしないと、始まっちまうぞ」

 慎司が振り返って麻衣に言う。麻衣はスピードを上げた。やがてガソリンスタンドを通り過ぎ、歯医者の駐車場を横断するとスーパー前の交差点に出る。目的の高台はそのスーパーの裏だった。

「ちくしょう。赤信号かよ」

 交差点で足踏みをしていると、麻衣が左右を確認する。田舎の夜の交差点。車通りは多くなかった。

「いくよ」

 麻衣はそう言って慎司の手を取ると、赤信号を走り始める。慎司はその大胆さに思わず笑みをこぼした。

「直哉君とは正反対だな」

「お兄ちゃんも、やるときはやるよ」

 そこで遠方から太鼓を叩いたような音が夜空に響き渡る。

「始まっちゃった」

 二人はさらに速度を上げて、全速力で高台に登った。高台の上には、木で作られた展望台があり二人でそこに上がる。

 すると木々の間から、夜空に咲く花火を見ることが出来た。

「き、綺麗だね」

 麻衣が膝に手をついて、肩を上下させながら言った。慎司が持っていたペットボトルを渡すと、走り込み後の拓実のように水を飲み干す。

 この高台は地元の人しか知らない穴場スポットで慎司たち以外に人はいなかった。

 麻衣は息が整ってくると、無言で花火を見上げる。

 慎司はなんだか手持ち無沙汰になって、なんとなく高台の柵の上に座った。何発か花火を眺めていたけれど、すぐに飽きて視線を麻衣の方に移す。

 すると花火の光に薄く照らされた麻衣の顔がそこにはあって、胸がキューッと締め付けられた。花火が開く音と、心臓が跳ねる音が交互に聞こえ重なり合う。

 麻衣は黙って花火を見ている。慎司も黙って、というか言葉を出すことを忘れて麻衣の表情を見ていた。

 しばらくして麻衣が口を開く。

「せっかくだから、浴衣着てくれば良かった」

 慎司は柵の上から飛び降りる。

「浴衣着てたら、まだ花火にも間に合ってねぇぞ」

「浴衣着たならもっと集合時間早くします。慎司が遅刻しても良いように」

「悪かったよ」

 慎司は頭をかいた。

「でも浴衣なんかあるのか?」

「ない」

「ないのかよ」

「だからバイトしたお金で買おっかなって思ってた。結局貯金したけど」

 そこで柳と呼ばれる花火が打ち上げられた。花火玉が割れて光が柳の枝が垂れ下がるようにして夜空から落ちてくる。それはまるで、慎司の心に不甲斐なさが落ちてくるかのようだった。

 慎司は亮太の言葉を思い出し、自分じゃ麻衣を支えられないという事を痛感する。

 すると今までずっと花火の方を見ていた麻衣が初めて振り返った。

「亮太はお兄ちゃんに頼まれてさ、私の事を守らなきゃって思ってるみたい。それはとても嬉しいし有難い事だと思う」

 麻衣は花火ではなく慎司の方を見ていた。

「でも私だって、何も出来ないわけじゃない。自分の人生なんだから、自分で道を切り開く。受験勉強だってそのためにやってるの」

 慎司は突然語り始めた麻衣の言葉を黙って、全力で聞く。

「亮太は私が自分を追い詰めすぎてお兄ちゃんの後を追ってしまわないか心配見たい。でも私はそうはならない。だっていざとなったら全力で助けてくれるみんながいるって知っているから。今回だって、みんな私のためにサッカーを始めてくれた」

「当たり前だ。麻衣のためならなんだってするよ」

「頼もしいなぁ、仲間としての慎司は」

 麻衣が言った。

「でも恋人としての慎司はそうじゃなくてもいいかな」

「どういうことだ」

「恋人としての慎司は別に頼りになる人じゃなくてもいいよって事。むしろちょっと弱くてお互いに支え合っているって思えるくらいがちょうど良いと思うの」

「お互いに支え合っている?」

「そう。だから私のことを守ろうとしすぎないで。ただ私の事を好きでいてくれたらそれでいい。って、ちょっと重すぎたかな?」

 麻衣が照れたように笑った。

 慎司の心に落ちてきた柳を、心の中で咲いた菊の花火が弾き飛ばす。ちょうど麻衣の頭越しに、黄金色の菊の花火が開いた。尾を引いて四方八方に弾ける光はこの世の何よりも眩しく輝く。

 慎司は麻衣の肩に手を置くと、キスをした。

 麻衣は突然の事にびっくりしたようだけど、慎司を抱きしめてくれる。

 二人の頭上で、花火は続いた。

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