第17話
亮太が階段を上がっていく。三階までやって来ると、端にある教室まで速足で向かった。
目的地まで辿り着くと、立ち止まって中を覗き込む。
そこには案の定、慎司と麻衣がいた。
先ほど亮太たちが散らかした教室は綺麗に整頓されている。その教室の中で二人、麻衣と慎司が向かい合っていた。
「私のために、どうしてそこまでしてくれるの」
夕日が二人をロマンチックに色付けしていた。夕日をこれほど憎いと思った日はない。
「麻衣のためなら、なんだってするさ」
慎司はそう言うと麻衣の肩に手をかける。
亮太は教室の陰に隠れて、こぶしを握るしかなかった。自分の心が教室に差し込む夕日に作られた影のように揺れているのが分かる。
やがてクラシック音楽が聞こえてきそうな雰囲気の中、慎司が麻衣のおでこにキスをした。
麻衣は照れたように黙り込んでいた。
慎司の手が麻衣を包み込もうとしている。
亮太は我慢できなくなって踵を返した。廊下を速足で進み、階段を下りる。
麻衣は自分の妹のような存在だった。
小学生の頃、亮太たちは毎日校庭でサッカーをしていた。そこにある日、麻衣と直哉がやって来たのである。二人は手を繋いで、俯きながら歩いていた。その表情に浮かんだ影を見て亮太は気が付けば二人に声をかけていたのである。
始めは戸惑っていた二人だが、亮太は無理やり二人をサッカーに引き入れた。すると直哉は意外な才能を見せ、すぐにサッカーを好きになったようだった。そして麻衣もボールを蹴るたびに自然と表情が柔らかくなっていった。二人が両親を亡くしていたという事には驚いたが、亮太たちは変わらず二人に話しかけサッカーを続けた。そして日が沈み始め解散となった時、慎司と麻衣は顔を見合わせて「楽しかった」と言って笑った。
夕日に照らされた二人の笑顔は今でも思い出せる。そして亮太はなぜかこの時、この二つの笑顔を絶対に守り通さなければと感じた。だからこそそのうちの一つを失ったことはショックだったし、もう一つは何があっても死守しなければと思ったのに。
亮太は麻衣の前に、夜よりも暗い暗雲が立ち込めているような気がする。
そんな心の中にある不安と迷いを踏み潰すようにして、足を踏み鳴らしながら階段を下った。
「仕方がないだろ、麻衣ちゃんももう子供じゃない」
ボールを投げながら裕介が亮太に言った。亮太は裕介の顔を睨むと、投げられたボールを強めに蹴り返す。するとボールは裕介の胸に一直線に飛んでいく。裕介はキャッチし損ね、胸に当たったボールは跳ね返って顎へと当たる。
裕介が情けない声と共に倒れた。
「ナイスパス」
横から蓮が言う。
亮太たちは今日も走り込みと外周を終え、基礎蓮を始めた所だった。
今は二人一組で向かい合い、一方が投げたボールを相手の胸に蹴り返す練習をしている。インサイドやインステップを使ってダイレクトで返したり、太腿や胸でトラップをしてからパスを返したりする。
亮太と裕介がペアを組んで練習しており、その横のペアが蓮と優太だった。
「でも確かに裕介の言うとおりだな。麻衣ちゃんは五歳じゃない。高校一年生だ。恋愛の一つもするし、受験勉強をするかどうかも彼女次第だ」
蓮はそう言いつつ、優太からのボールをインサイドで優しく返す。
「俺だってそれは認めている」
亮太が遠くで拓実とペアを組みボールを投げている慎司を睨んだ。
「ただ俺が怒っているのは相手だ」
「誰と恋愛しようが自由だろ」
裕介が立ち上がりながら言った。
「麻衣が俺たちみたいな阿呆と一緒になって、お前たちは不安じゃないのか?」
「何にも。本人が幸せならいいじゃないか」
優太が蓮からのボールをキャッチする。
「お前たち直哉の事を忘れたのか。あれだけサッカーが好きだった直哉が、一か月たてば勉強以外の言葉を口にしなくなった。あいつの頭の中はメッシやロナウドから織田信長や徳川家康に変わった」
「直哉は世界史選択だった」
蓮が口を挟む。亮太は横目で蓮を睨みつつ、続けた。
「あいつは俺たちみたいな何も考えてない連中とは違い、誰よりも繊細だった。麻衣だってその血を引いてるんだ。もし頭の中にナポレオンが住み着いたら、そいつが心の中で革命を起こして、麻衣は殺されちまう」
「誰に?」
裕介が聞いた。
「ナポレオンだ」
亮太が答える。
「麻衣ちゃんは日本史を選択するそうだ」
蓮が言った。
そこで裕介が亮太の足元にボールを投げる。亮太はそれを力任せに蹴った。
ボールは裕介のおでこに当たり、裕介がまたも情けない声と共に倒れた。
「ナイスヘッド」
蓮が言う。
「とにかく俺は怖いんだ。直哉との約束を果たせないことが。俺たちは直哉から『麻衣を頼む』と言われた。俺は自分の人生がどうなろうと知ったこっちゃないが、麻衣が不幸になることだけは阻止しないといけない」
亮太がそう言うと蓮たちはついに黙り込んだ。
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