第5話

「それってつまり、どういうことなんだ」

 空き教室で、亮太は梶井達也と向かい合っていた。空き教室と言っても、少人数クラスなどで使われているため床は綺麗である。むしろ机の方が落書きや傷で溢れて見るに堪えないものもあった。

 梶井は中でも最も落書きがひどい教卓の天板に腰を傾けている。亮太はその少し先の通路に立っていた。

「この学校が無くなるってことだ。校舎だけが残って、後は全てが変わる」

「でも俺たち、卒業は出来るんだろ?」

「君たちは卒業できるだろうね」

 梶井の口調はさっぱりしていた。

「なら俺たちには関係ない。答えはノーだ。もうユニフォームを着てサッカーをすることは無い」

 亮太はそう言うと、梶井から視線を外す。

「だが五月台麻衣がどうなるかは分からない」

 だが再び、大人の生真面目そうな顔を凝視せざるを得なかった。

「なに」

「調べたところによると、彼女の家は早くに両親を亡くしてかなり貧しいようだ。残されたのは家だけで大した財産もなく、面倒を見てくれる身内もいなかったとか」

「それがどうした」

「つまり彼女はうちの授業料全額免除の制度が無ければ、卒業出来ない」

「免除が無くなるかもしれないのか?」

「可能性は高い」

「そんなのありなのかよ」

「グレーだろうね」

 僅かな間、沈黙が教室を埋める。

「でもまだ売却が決まった訳じゃない。先ほど理事の一人にもし次の大会で優勝できたならば、売却に反対してもらえるという確約を貰った。つまり優勝さえすれば、この学園は救われる」

 梶井が亮太の肩に手を回した。

「だからどうか学園のために力を貸して欲しい」

「大会っていうのは?」

「サッカーをやっていた君なら、名前くらい聞いたことがあるだろう。全日本高校生グランドリーグだ」

「うちみたいな弱小校が出れるのかよ」

「この大会は全国の高校の過去二十年に及ぶ公式戦の結果からポイントを集計し、上位の八校のみが参加できる。十五年ほど前まで、無類の強さを誇った我が向影学園はその頃のポイントのおこぼれで今年も出場できる。だが、誰も優勝どころか一勝すらできると思ってないだろうな」

「そこで優勝すれば、話題にもなりうちは立て直せると?」

 梶井が頷く。

「だがポイント的にも、参加できるのは今年で最後だ。正真正銘、崖っぷちって訳だな」

 亮太は俯いてしばらく思案した。

「駄目だ。やっぱり俺たちはもうコートには戻らない。直哉がユニフォームを脱いだ日、俺たちもサッカーはしないと誓ったんだ。直哉が一人苦しんでいるのに、それを無視して俺たちだけサッカーをする訳にはいかない」

「聞いたところによると、今でも市民公園に集まってサッカーをしているそうじゃないか」

「あれはサッカーじゃない。サッカーに似た何かだ。みんな他に夢中になれるようなこともなくて、仕方なく集まってボールを蹴る。家でダラダラとユーチューブやティックトックを見ているようなものだ。それ自体に意味はない。その一時は楽しいが、後には何も残らない。もう俺たちはサッカーから本当の楽しさを感じることができないんだ」

 亮太が言い終えると、梶井は頷いた。

「そうか」

「なんだ。意外とあっさり諦めるんだな」

「これはあくまでお願いだ。君には拒否権があり、学校を守る責任はない。君が嫌だというなら受け入れるしかないだろう」

「あんた、弁護士なんだろ。あんたなら他に色々と方法を考えているはずだ。麻衣のためにも頑張ってくれ」

 亮太はそう言って、出口に向かって歩き出す。

「ない」

「は?」

 亮太の足が止まる。

「今のところ、予備の案はない。この学校の経営状態は君が想像しているよりも悪い」

「どういうことだよ」

「言葉通りの意味だ」

「じゃあ麻衣は、高校を卒業できないかも知れないって言うのか?」

 亮太が梶井に詰め寄った。勢い余って、亮太は梶井のシャツを捻る。梶井は受け入れるしかなかった。しばらく至近距離で睨みあった後、亮太は梶井を離した。

「どうして」

 亮太は言う。

「どうしてあんたは、ここを守りたいんだよ」

 梶井はシャツの乱れも直さず、窓際に行き、グラウンドを見下ろした。

「単純な話だ。俺も昔は貧乏だった。でもこの学校のサポートのおかげで、夢を追うことが出来た。今時、生徒のことを本気で考えている学校は少ない。だから守らなきゃいけない」

「それだけか?」

「俺にとってはそれだけで十分だ」

 亮太は窓の外を眺める梶井の背中を見た。後ろ手を組み穏やかな表情をしているが、その瞳は真剣そのものである。

「中学の時、全国で優勝できたのは俺の力じゃない。あいつらを呼べ」

 亮太は言った。

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