第2話 新世界


 何事もなく僕は五歳になった。残念ながらこの五年、平凡な人生に抗えなかった。

 今世での母は僕を『あっくん』と呼ぶが、僕の名前は犬神敦司というのだそうだ。

 犬神なんて中二病っぽい苗字なのに、敦司という意味もイメージも想像つかないような名前。

 でもきっと何か想いを込めてこの名前にしたのだろう。そう信じたい。

 今世の生き方として、前世の知識を使って天才少年になるという手もあったが、後々苦しくなるのは目に見えてるからそんなことはしない。前世の経験を使って前世よりましな人生を送ろうと思っている。

 そんな時になぜか、久しぶりに女神が現れた。

「あ……ひ、久しぶり!あっくん……」

 やたらとぎこちない話し方だし、焦りを隠そうとして、隠せていないように見える。嫌な予感以外しない。

 だがそれは意外な申し出だった。

「あっくんを転生させた時に、間違えて新しい世界を作ってしまったみたいで……。あっくんを、異世界に飛ばす代わりに」

 そう言った、相変わらずゆるかわな女神は後頭部をぽりぽりと掻いた。

 待てよ。僕を異世界に飛ばす代わりに新世界を作った?どうしたらそんなことが出来るんだ。

 女神は続けた。

 

全自動オートで作ったから、生き物たちがみんな無個性で機械的なんだよ。外界からの干渉で治るんだけど……。まさか五年も気づけなかったなんて」

 肩を震わせる女神はなぜか半笑いだ。反省していないに決まっている。

「それで、僕にその世界を変えて欲しいって?」

 夢の異世界ライフ!チャンスが再び訪れたのかと思い、僕は食い気味に尋ねた。

「そう!……出来る?嫌だったら」

「やるやる!やりたかった!」

 僕は迷わず叫んだ。


 女神の計らいで、異世界と現世を行き来できるようになった。

 初めて降り立った異世界はまるで灰色の世界だ。それに、この世界は季節が違うのか、少し寒い。温かいココアを飲みたくなる。

 景色は異世界で、道ゆく人も動物も異世界のものなのに、皆一様に死んだような、感情のない顔をしている。試しに近くにいた若い女性に声を掛けてみる。

「すみません。ちょっといいですか?」

「……何ですか」

 抑揚も感情も何も無い声が返ってきた。長い黒髪、ワンピースの上の襟付きの上着はカーキ色だ。

 僕は女性の手首を掴んだ。女性からは何の反応もない。

「きっ、君さ!名前何て言うんだい?」

 すごく緊張する。僕は元来そんなタイプでは無いのだ。

 前世でもナンパなんてしたこともなかった。黙々と勉強して、仕事をして、一人でゲームをして漫画を読んだ。友達なんていなかった。

 そんな僕にこれはかなりハードルが高い。だが相手の反応も薄いので、このまま続けるしかない。

「レイカと言います」

 彼女は、『それが何か』という顔をしている。僕は勇気を振り絞った。

「へぇ……レイカちゃんって言うんだ。可愛いね」

 すると、女性ーーレイカは、不自然に視線を泳がせだした。僕は最初の方こそ戸惑ったが、やがて今までなかったことを言われたから動揺しているのだと気付いた。なるほど。これがこの世界を変える方法か。

「え、えと……あの」

「僕は敦司!よろしくね」

 女性が僕を見た。長い黒髪が揺れる。

「あ、あつし……さん、よろしく、お願いします」

 レイカはぎこちなく頭を下げた。

「そんなさん付けで呼ばなくても、敦司くんとかでもいいよ!呼び捨てでもいいし」

 自分で自分を君付けで呼んだことに気付いて何だか恥ずかしくなり、慌てて付け加える。レイカはこくこくと頷いた。

「えと……えと……、あつし、君、よろしくお願いします」

 どこまでいこうと機械的に聞こえる。人間だよな?

「うん、よろしく!そうだレイカちゃん、一緒に映画とか……」

 機械的な人間を前に僕の声は震えている。これだから普通の人と話せないのだ。

「……映画?」

 しまった。ここは異世界なのに、陽キャっぽさを意識しすぎてしまった。異世界なんだから、もっとありそうな……。

「えっとね、カフェとか!一緒に行かない?僕奢るから!」

 お金持ってたっけ?自分。出来もしないことを口走って、迷惑をかけそうな気がする。

 傍から見ると、子どもが奢ると言うのだから面白いものだ。だが必死の僕は気付かなかった。

「カフェ……て、何ですか」

 カフェが通じないとは思わなかった。彼女の後ろにある店が、どう見ても喫茶店風だからだ。

 店先にいくつか椅子とテーブルがあり、数人が座って無言で運ばれた料理を機械的な動作で飲食している。

「ほら、あれ。カフェじゃない?」

 僕はその店を指差し、言った。レイカが振り返る。

「あの店、カフェというのですね」

 彼女の声に、僅かに感情が含まれていることに気付いた。自動音声のAIと人が混ざったような、おかしな抑揚になっている。

「違うのかな……。レイカちゃん、あの店行ったことある?」

 急に自信がなくなってきた。

「ありますよ。料理が出てくる店です。ただ、店に名前があるとは思っていませんでした」

 店に名前があるという考え方が存在しないのか。確かにカフェの店先をよく見ると、客は皆単独で来ているようだ。

「よかった。僕は行ったことがないから。じゃあ入ろうか」

 あ。自分で誘っておきながら、この世界の通貨を持っていない。どうしよう。


———あっくんは準備が悪いなぁ。ズボンのポケットにお財布あるよー


 間違えて新世界を創った女神にだけは言われたくなかったな。

 ポケットをごそごそと探ってみると確かにあった。ほっとし、レイカのあとについて店に入った。

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「僕の異世界」転生日記 蒼鷹 和希 @otakakazuki

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