花吹雪

ここに来て二回目の春。あなたと出会ってもう一年。こんなにも今きれいに咲き誇るこの桜とともに私の人生も儚く散ることだろう。残り約一週間のこの人生は―



背中に痛みを感じて母と訪れた大学病院。川沿いにあるこの病院は、川に移る空の色を忘れさせてしまうくらい白くて大きい。今は火曜日の午前中だからだろうか、誰の姿もない。待つことなく診察室へ向かい、お医者さんからの質問に答えながら検査を進める。

生まれて初めてうけた余命宣告。残り約8年のこの命。それは今までの人生のちょうど半分だ。生まれてから8歳になるまでの8年間。小学3年生から今までの8年間。長いような短いような、どうもピンとこない長さだ。一人になりたいと言い、母と別れて私は大学病院に行く途中にある、木でできた秘密基地のようなカフェに入った。中には店員さんの若くておしゃれな女性が一人でコーヒーを飲みながら本を読んでいた。私のほうをちらっと見てから、好きな席に座っていいよと一言。その女性の声はこの世界から残り数年でいなくなってしまう私に、ここにいていいよと伝えてくれているかのようなそんな声だった。私はココアとスコーンを頼みカウンター席に座る。今は誰にでもいいから、伝える言葉も決まっていないけれど打ち明けたい気分だった。そんなことを思い私は店員さんに話しかける。

「もし、あなたがあと8年しか生きられないとしたら。最初に何をしますか?」

感情が交わりながら、本当に伝えた言葉同士がぶつかり合いながら口にした言葉は店員さんを困らせた。

「8年か。私の人生の約3分の1。きっと私は何も始めなければ、何もできないだろうな」と。私より8年長く生きているその店員さんでも8年間の使い方はわからないらしい。8年あればお金を自分でためることも、そのお金で好きなところにも行ける。それが国内だろうが、海外だろうがどこへでも。でも8年しかないからすぐにでも動かなければ時間が無くなってしまう。わたしの小学3年生のころから変わらない夢、それは国語の先生になること。8年後の今でも覚えているだけで具体的な行動は何一つ起こしていない。小学3年生のときにクラスでやった百人一首大会。そこで優勝するためにほとんどの詩の意味まで覚えた。そこで覚えた日本語のすばらしさ。何十年後にもその時の状態、感情を鮮明に思い出せるように詠まれたたったの31文字は小学3年生の私でも感激を受けるものだった。私の一番好きな詩それは、

滝の音は 絶へて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほきこへけれ

滝が枯れてしまったあとでも、その滝の美しさは何年たった後でも語り継がれている。そんな意味の詩だ。

私も将来そんな風に語り継がれる人になりたい。そんな大きな夢を抱いた小さな私はその時の担任の先生が大好きで、私も将来は先生みたいな先生になるとみんなの前で宣言したのだ。でもあと8年、大学を卒業して残される時間は長くても3年。勉強に追われてたったの1年ちょっとしか教師にはなれないだろう。それならば、教師じゃなくてもいい、私は過去の私が描く理想の自分になれなくていい。今の私が鳴りたい私をその瞬間で作り上げる。だから、

「ここで働かせてくれませんか」そんな言葉はさっきの質問よりも店員さんを困らせた。お金.経験.店員さんの持つ余裕、それはどれも私には必要なものなのに持ち合わせていないものだった。このカフェは私を変えてくれる。そんなどこにも根拠のない夢は、「好きにしなさい」という店員さん言葉と開いたドアから吹き込まれた桜の花びらが私の前を通り過ぎたその瞬間から始まった。


目の周りを赤く腫らしたその少女は、肩を上下に動かし、長いサラサラと揺れる髪に1枚の桜の花びらを付けて私の目の前にやってきた。何も言わずに角の席に座る少女と、何も言われていないのにココアを準備する店員さん。私が食べたものと同じスコーンをお皿に盛り付け、おぼんに乗っけた店員さんは初仕事だねと、私のことを見ながらウィンクをしておぼんを私に預けた。少女の前に行っても顔を上げてくれないその少女にかける言葉も見つからず、ごゆっくりと一言だけ添えてテーブルにおぼんを置く。

店員さんの名前はみどりさん、大学卒業後にこのカフェをずっと一人でやっているらしい。翠さんは私をキッチンに招き自由に見ていいよと言ってくれた。棚の中も見ていいと言ってくれて、キッチンの隅から隅まで、扉のある棚は全部開けて確認した。調理場には全メニューのレシピが書かれている。誰かにあげるのだろうか、そう疑ってしまうくらい丁寧にポイントやコツが全部のレシピに書かれていて、それを見ていると翠さんが、あとで1つ作ってみようかとスコーンのレシピが書かれた紙を私に見せつけた。いつの間にかおぼんの上にあったココアとスコーンとともに少女は姿を消し、その代わりに百円玉3枚と十円玉9枚がおかれていた。

家に帰り、お母さんには高校を辞めること、カフェで働くことを伝えた。驚いた表情をしていたが、そっかと受け入れてくれた。お父さんは何も言わない。病院には毎週火曜日に通うこととなり、カフェには火曜日と木曜日以外の日にちは来ても来なくても良いということになった。翠さんには病気のこと、余命のことすべて話している。翠さんは私と8歳しか変わらないのに、人生1週目の過去の翠さんを見るかのような雰囲気を持っていて、それを感じさせる余裕はどこから生まれるのだろうと不思議に感じていた。翠さんは私の人生の先生のような存在だ。その面影はかつて好きだったあの時の担任の先生に似ている。

カフェに勤め始めてから約1年。店前にある桜並木のしたにはピンク色のじゅうたんが広がっている。仕事にも慣れてきた約半年前から私の体に異変が出てきた。背中の痛みを示すように背中が赤く腫れて、少し走ったり階段を上がるだけで息が切れてしまう。病院の担当の先生には8年はあくまでも平均で、それはつまり前後するということ。無理をしないことはもちろん、いつでも連絡が取れるように携帯を常備することを約束した。意識すればするほど苦しくなる。病院から帰る時もいつもなら歩いていくところを今日はタクシーを使った。病院に通う頻度も週に3回と増え、カフェに出勤する回数も週に多くて三回と減っていった。病院にいく回数が増えて気づいたことは、あの少女もよく病院に来ていることだ。少女は私がいることに気づいていないのだろう、目が合っても顔色一つも買えない少女はいつも誰かのお見舞いに来ていることが、少女の手にある花を見て分かった。カフェに出勤したある日、その少女はいつもと変わらない表情でカフェの角の席に座った。前と同じようにココアとスコーンを運ぶと、少女は私のことを見てびっくりしたように顔色を変えすぐに視線をそらした。それと同時に私は、彼女の視線で体を切られたかのように意識を失った。

倒れた後、うっすら聞こえた小さな声。泣きそうな声で「いいな」って。



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