第二十三話

 大規模な犯罪の取り締まりなど、怪我人が出る可能性が高い場合、神殿は王国から、治療魔法と回復魔法が使える聖職者の派遣を要請される。

 この日は、戦闘になる可能性が高い現場で危険もあるため、ある程度、戦闘経験のある聖職者を派遣してほしいと国から要望が来ていた。

 神殿の警備団と傭兵を生業としている聖職者ルカは、八名の聖職者と共に現場へ向かった。


 今回は、ある貴族が係る隣国の犯罪組織の隠れ家への突入作戦だ。

 事件の詳細まではわからないが、法に触れる魔法実験をしていたらしく、隠れ家には危険な魔術師達とその護衛として腕の立つ隣国の犯罪者が多数潜伏していると言う。

 この国の誇る王国魔術師も参加し、今回は騎士団長自ら陣頭指揮を取ると言うからかなり危険度が高い。

 聖職者達は、少し離れた場所で待機して身を潜める。

 しばらくすると、魔法を行使しただろう爆発音が何度も響き渡り、建物が崩れ土煙があちこちから上がった。

 だが、鎮圧はすぐに終わったらしく、ルカ達の元に騎士が駆け寄ってきた。


「聖職者の皆様、想定外に地下に子供が何人も囚われており、数人は危険な状態です。急ぎ、治療をお願いします」


「子供?」


「はい、とにかく急いでください!」


 まさかこんな危険な場所に子供が囚われているとは誰も思っておらず、急いで救護に向かう。

 崩れた建物の一角に、地下へ続く石造りの階段があり、魔法で光を灯し、視界を確保しつつ進む。

 地下は、地上の建物から想像できないほど広いようで、長い通路が真っ直ぐ伸び、その左右には、部屋だろう扉が規則正しく並んでいた。


「こちらです。急いでください!」


 騎士の先導の下、進んだ先にある広い空間に何人もの子供達が横たわっていた。


「これは‥‥ひどい‥」


 あばらが浮き出るほど細く、襤褸切ぼろきれを纏った幼い子供達は、足を繋がれていたのだろう、足首の皮がズル剥け、血と膿がこびり付きひどい有様だった。

 中には、殴られたのだろう、目や頬が腫れ上がっている子供も数人。

 聖職者達は、それぞれ子供に駆け寄り、懸命に治療魔法をかけ始めた。

 ルカも、子供に駆け寄ろうとすると、一人の騎士が子供を抱き抱え、涙を流しながら「この子を‥‥一番小さな子で‥‥さっきから息をしているかもわからないくらい静かで‥‥」と助けを求めてきた。


「わかった。ここに寝かせてくれ」


 ルカは、すぐに治療魔法をかけ始める。

 土気色の小さな子供は、見ただけでは命が途絶えていてもおかしくないほど死を纏っているが、魔力が触れた瞬間、感覚で生きていることがわかり一先ず安堵する。

 一番酷い足首に治療魔法をゆっくり馴染ませるようにかけ、魔力を小さな体全体に広げて行くと、ルカは、息を呑んだ。

 聖職者は、患者の身体に治療魔力をかけ、魔力を体全体に流すように注ぐことで、怪我や弱っている箇所を感覚的に感じ取ることができるのだが、この小さな子供は、ほぼ全身がいた。それは、均等に、満遍なく。意図せずここまで全身同じように蝕まれるなどあり得ない。

 ルカは、傭兵として、聖職者として過去、見るに耐えないような怪我も何度も診てきたし、病に蝕まれた重症者も診てきたが、ここまで内臓もボロボロで、生命力のない状態は診たことがなかった。

 隣で、騎士が涙を流しながら「もう大丈夫だ」「頑張れ」「生きるんだ」と、声を掛け続ける。

 子供は、瞼を閉じる力すらもないのだろう。薄っすら開く瞳は、何も映していないように光がない。

 乾いてひび割れた唇はわずかに開き、ピクリとも動かない。


「すまんが騎士様、水があれば唇を湿らせて、一滴ずつ口に水を入れてみてほしい」


「ああ、ああ、何でもする、言ってくれ」


 騎士はそう言うと、近くの騎士に声を掛け、水の入った水筒をすぐに持ってこさせた。懐から出した綺麗な刺繍の施された手拭いに水を含ませ、子供の唇を濡らす。

 反射的に唇なり舌なりを動かすかと思ったが、子供は反応がない。

 騎士とお互い悲壮感の漂う目を見合わせ、どちらからともなく頷くと、一滴、また一滴と垂らされる水滴を見守る。一滴、二滴、三滴‥‥七滴目が垂れると、子供はゆっくりと小さな口と細い喉を僅かに動かし嚥下した。

 騎士と共に安堵の息を吐きつつ、ルカは慎重に治療魔法をかけ続け、騎士はずっと声をかけ続けた。





 犯罪組織の隠れ家への突入作戦で子供達が救出されてから二月ふたつきが経った。

 子供達の多くは、八歳から十二歳で、我が国国内で誘拐された子供達だった。

 正気を一番保っていたのもこの子達で、捕らえた犯罪者達の話と繋ぎ合わせてわかったのは、地下室で行われていた所業が、忌々しく悍ましいものだった、ということだ。

 隣国は、失われし古代の魔法書の一部を発見、解析、実験を行っていた。


 それは―――精神を操る魔法。


 実験を主導していた魔道士は、意のままに操れる人間兵器を誕生させると息巻いていたと言う。

 精神を操るなど、そんな魔法は聞いたこともない。

 古代の魔法文明とは、そこまで進んだ魔法発展を遂げていたという事実に、関係者達は畏怖を感じずにはいられなかった。

 だが、実験はあまり上手くいかなかったようだ。

 どうやら、完璧に古代魔法を解析しきれていなかったのか、魔術師の技量が古代の魔法を扱う水準に達していなかったのか、子供達の自我は保たれ、極度の環境で衰弱するばかりだった。

 だが、状況が変わる。

 それは、ルカが助けた幼い子供が手違いで攫われてきてからだ。


 意のままに操る、とはその言葉通りだが、操るためには『命令』を『実行』する『理解力』を必要とする。

 命令とは、つまり言葉―――言語だ。

 隣国の魔道士達は、命令を聞き、その命令を理解する能力がなければならないと思い、言葉の意味を十分理解し実行できる八歳から十二歳くらいまでの子供達の年齢を誘拐の実行部隊に指示をしていた。

 だが、誘拐を実行する際に、現場に居た幼子も一緒に連れて行くしかない状況に陥ったらしく、一人の幼子が誘拐されてきた。

 隣国の魔道士は、素が悪性だ。

 流石に、ここまでの幼子に‥‥と、止める誘拐の実行部隊を無視して、物は試しにと魔法をかけた。

 すると、どうだろう。

 幼子が理解できる水準なので、かなり簡単な命令―――立て、歩け、座れ―――ではあるが、抵抗なく魔法がかかったのだ。

 けれど、その効果も数分程度。

 効果時間を伸ばすため、どこまで命令の実行が可能かを調べるため、連日誰もが目を背けたくなる実験が続いた。


 魔法効果が切れる度に、幼子はうめき声をあげて身体を捩りながら藻掻く。魔法効果が切れると、耐え難い苦痛が襲うようだった。

 ある時は、猫や犬などの小型動物を前に、幼子は刃物を持たされ「刺せ」と命令を受け、全身を血に塗れさせながら無表情にグシャグシャと手を何度も振り下ろさせられる。

 最初は、母親を探し呼びながら泣き叫んでいたその幼子は、数日もしない内に、実験時以外はただ横たわり蹲るだけになっていった。

 そうしてしばらくし、その子よりも一歳か二歳程年上の幼子が連れられてきた。

 次の犠牲者に、八歳から十二歳の子供達は、何も出来ずに祈るしか出来なかったところに、突入作戦で救われたのだ。

 殆どの子供達は、自我があり自分の名前も言えるので、家族の元へ無事に帰ることが出来ていた。

 だが、あの幼子は違った。


「ルカ、あの子はどうだ?」


 あの日、ルカの横で必死に幼子に呼びかけていた騎士――サミュエルが、小声で問いかける。

 その視線の先には、あの日助けた幼子が、ただぼんやりと神殿の中庭の木の椅子に座っていた。


「変わらずだ‥‥。魔法の効果はもうないし、体も治ったが、やはり心がなぁ‥‥‥」


 ルカはあの日からこの幼子に付きっきりで面倒を見ていた。サミュエルも放って置く事ができず、時間を見つけては神殿に通ってくれている。

 親を探しては見たが、見つからなかった。

 捕らえた誘拐の実行部隊の内、この幼子を攫った者達はあの突入作戦で全員が死んでおり、そちからからの手がかりもない。

 こちらの言う事はわかるようで、「こっちにおいで」「ご飯を食べよう」など、声をかければ素直に着いてくるが、言葉を発することはなく、いつも何の感情も示さない。

 そして、名前も――ない。


「それで‥‥その‥‥、この子はこの先どうなるんだ?」


 騎士サミュエルは、今まで避けてきた質問をした。

 サミュエルは、特別子ども好きというわけでもない。今までの作戦で、同じように子供を救出したことだって幾度となくある。なのに、あそこまでボロボロの幼子を目にしたのがはじめてで、この子の行く末が気になってしょうがなかった。

 神殿ここを出た後の処遇が、安全が少しでも確保できるところまでは見守り、できる範囲ではあるが手を尽くそうと思っていた。


「神殿にも孤児を育てる施設はあるが‥‥聖職者だけだ。聖職者でない場合は、普通の孤児院か。魔法の才能でもあれば養子の話もあるのだが‥‥この子の場合は‥‥」


 心が壊れてしまっただろうこの幼子は、ただ生きている人形のようだった。人は一人では生きられない。ましてやまだ幼い子供だ。何かを自発的にすることもなく、他人にも自分にも一切の興味も示さない。人と関わる全てに対応できる気がしない。

 成長すればどうにかなるのではないか、と言う者もいるが、ルカにはそういう問題ではないと感じていた。

 せめて、親が見つかり、愛情を注がれ、親を思い出し感情の一欠片でも見せてくれればと思うが、親は見つからないままだった。


「実はな、傭兵は休業して、神殿の警備団に専念する変わりに三年はこの子を神殿の施設に置いてくれるように神殿長の許可は貰ったんだ。それなら毎日様子を見れるし世話もできるからな」


「ルカ、いつの間に‥‥」


「何故だかわからないが、この子を絶対に見捨ててはいけない気がするんだよ。もしかしたら、神の導きかもしれない。とにかく何かしなきゃと思うんだ」


「そうか‥‥。私は聖職者じゃないから神の導きはわからない。だが、この子を心配する気持ちはルカと同じだ。私にできること‥‥、親を、この子の親を探し続けるよ。きっと見つけてみせる」


「ああ、お互いできることをしよう」


 それから、ルカとサミュエルは、互いに精一杯の事をした。

 そして、いろいろなことがあった。


 まず、名を尋ねても、いや、何を尋ねても一言も発しないこの子に、神殿長に頼み込み名を付けてもらった。

 新しい名前は、パウロ。

 不運な人生ながら、努力し高い治療魔法で多くの人の命を救った昔いた偉大な聖職者の名だ。

 本来、聖職者の孤児以外は受け入れないが、『神の導きかもしれない』とパウロの面倒を見ると言い切ったルカの話を切り捨てられず、神殿長も何かとパウロを気にかけてくれていたので、この名付けには、神殿長の想いも籠もっていたのだろう。


 神殿の施設では、一人の子供に付きっきりで構えないので、ルカは警備の仕事を夜間に変え、昼間は付きっきりで世話をした。

 言葉も発せず、表情もないパウロの心を動かそうとあれこれ試す日々だ。


 サミュエルは、騎士団の伝手を頼り、行方不明の子供の情報をひたすら集め、確かめに奔走した。それは、思った以上に辛い日々だった。

 自分の子供かもしれないと期待した親に、サミュエルが会いに行ったり、実際にパウロに会いに来てもらったり。その度に、パウロが自分の子供ではなかったと落胆し嘆く親を何度も何度も諌めた。

 そして、これほどまでに多くの子どもが行方不明になっている事実に何度も打ちのめされる。

 だが、決定的な事実に辿り着くことになった。

 それは、とても残酷なもの。

 パウロの両親は、パウロが攫われたその日に殺されていた。

 あの隣国の誘拐実行部隊が犯人かと思ったが、殺したのは騎士団だった。

 パウロの両親は、野盗の一味で、現行犯で捕らわれそうなところを抵抗し刃を向け、結果、騎士団にその場で切り捨てられていたのだ。

 そんな中、どういう事情でパウロが攫われたのかは今となってはわからない。

 だが、結果として残った事実は、もうパウロには両親がいないということだけだった。


 事実だけ見れば、パウロは犯罪者の子で、誘拐された被害者。

 なぜこの子がここまで不運を背負わされたのか、とルカは毎日神にパウロの幸せを祈り続けた。

 サミュエルは、時間を見つけてはパウロに会いに行った。同じ騎士団が、任務とは言え、パウロの両親の命を奪ったことに後ろめたさがあったのだ。


 そして、それから二年。

 ルカの神への祈りが届いたのか、サミュエルの想いが届いたのか、元々こうなる運命だったのか。


 ある日を境にパウロの目に光が戻る“奇跡”が起こることになる。

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