聖職者の勇者パウロ
第二十二話
「あああん!まさか‥‥こんなことまでっ‥‥ぐふふっ」
パウロは、新たに得た情報に歓喜していた。
ここは、神殿にある、聖職者とある
「パウロ、涎を拭きなさい。貴重な書を汚すつもりか」
「あっ!すみません。つい興奮しちゃって‥‥」
パウロは、涎を拭いながら声を掛けてきた先輩聖職者のタイラーにペコペコと頭を下げた。
タイラーは、パウロをそれ以上は責めない。何故なら、パウロの気持ちが理解できるからだ。
パウロの読んでいる書は、この神殿に所属する聖職者の一人が、隣国の神殿に赴き、写本し先月この書庫に収められたばかりの新たな書の一冊。聖職者なら何を犠牲にしても読んでおきたい情報が満載の一冊だ。
争いを避けるため、神殿長が厳正な手順――くじ引き――で順番を決め、やっと回ってきた己の順番。
心ゆく迄、楽しんでほしいものだと、タイラーはパウロにひざ掛けを差し入れ、書庫を後にした。
頑丈な石壁に囲まれ、窓もないこの神聖な書庫は、冬でもないのにかなり寒い。
羊毛で編み込まれた分厚いひざ掛けを有り難く使わせてもらい、早速続きの次の項に移る。
「ああ、勇者様ぁ‥‥」
パウロは、再び書に没頭する。
勇者は、魔境に面した三国から選ばれる。
各地の神殿には、その国の歴代の勇者のありとあらゆる情報を事細かに聖職者たちが記録した神聖なる勇者の書が収められている。聖職者たちは、国を跨ぎ、お互いの神殿を行き来しながら、写本し合い、勇者の情報を長年に渡り共有してきた。
この世界で、神は
神を感じられるのは、魔術師の中でも、生まれ持って回復や治癒の魔法を使える聖職者だけだと言われている。
彼等、聖職者は、神を感じることができる。
ある者は、世界を包むような温かみを感じ、またある者は、自分の内側の奥底に神聖な存在を感じると言う。
姿形は誰も見たことはないが、聖職者たちは確信を持って皆声を揃える――神は確かに居る、と。
聖職者のみが使うことができる回復や治癒の魔法は、神が与えし恩恵であり慈悲である――奇跡。
そんな聖職者が、この世界に神が与えたと信じるもうひとつの奇跡が――勇者――の存在だ。
魔王復活に伴い、魔境に隣接する三国からのみ勇者は選ばれる。
勇者の武器は、光を発する聖剣となり、どんなに使い込まれボロボロだろうが、新品のように輝き刃毀れもせず、一切の劣化もしない神器となる。
勇者の身体能力や魔力は、人の域を超え、神の如く強化される。
こんな奇跡のような存在は、この世界に神が与えた奇跡としか言いようがない。
故に、聖職者は、神の与えた奇跡である『勇者』を盲信しているのである。
「おい!パウロ!勇者ロイド様のお知り合いの方が神殿にいらっしゃったらしいぞ!」
勢いよく書庫の扉が開き、タイラーが叫んだ。
「マジですか!!!」
パウロは、すぐにタイラーの後を追い、神殿の狭い廊下を全力で走る。
勇者ロイドとは、先々代の勇者様だ。
神殿入口の広間に人集りが出来ており、がやがやと騒がしくなっていた。
「ああああ!この勇者狂共めっ!儂は腰痛の治療に来ただけじゃ!!あああ鬱陶しいっ!!」
一人の老人が大勢の聖職者に囲まれ杖を釣り回し叫んでいた。
「まぁまぁそう言わず!腰痛の治療の寄付は取りませんから~」
「むしろ、毎日ご自宅に出張治療させて頂きにお伺いしますから~」
「神殿の一番良いお茶をお入れしました~さぁさぁこちらへ~」
聖職者が、ギラついた目で次々と耳障りの良い言葉を紡ぎまくる。
「おじいちゃん‥‥ポロッと聖職者に勇者様のお話を話しちゃったのが運の尽きよ。もう話すしかないわ。じゃないと帰れないと思うわ。諦めて‥‥」
老人の付添だろう二十代のくらいの女性――多分、孫だろうか?――が、悲壮感を滲ませながら老人の背中を擦った。
「はぁぁぁ‥‥そうじゃ‥な。ただのパン屋だと思ったのに聖職者じゃったとは‥‥。見た目で聖職者が見分けられれば良いのにのう‥‥」
この老人は、神殿の階段を登ろうとして躓き、たまたまそばに居た男に支えられ転倒を免れた。礼を伝えた後、世間話になり盛り上がった。その際、男は近所のパン屋だと言うので、油断して話の流れでポロッと昔話として勇者ロイドの話をしてしまったのだ。
聖職者以外から“勇者狂”と恐れられている聖職者に、勇者の話をしようものなら、あっという間に囲まれ、知りうる勇者の話を全部吐き出すまで、決して帰してはもらえないのは世間の常識である。
しかも、聖職者は全員が神殿に居るわけではない。どんな職業にも聖職者は潜んでいるのだ。
そういった理由で、聖職者は、少しでも勇者と関わりがあった人々に常に警戒されている。
なので、聖職者たちは、巧妙に言葉巧みに誘導して、勇者の情報を持つ可能性のある人を会話から常に探ろうと虎視眈々と狙っているのだ。
故に、まずは職業を名乗り、聖職者であることは敢えて伏せて会話をする。
これは、よくある聖職者の手口である。
「まずは腰痛を治してくれ!話はそれからじゃ!」
「「喜んで!!!」」
老人の周りは、全員治療と回復のエキスパート――聖職者である。
神殿中にいた聖職者が老人を取り囲む中、同時に治療魔法が飛び交い、通常ふんわりと光る程度の治療魔法が寄せ集められ、老人の身体は、輝かんばかりに光る。そして、いつも十数分はかかる治療が一瞬で完了する。
「お加減はどうですか?治りましたよね?治りましたよね?」
「勇者ロイド様とはどこでお会いになったんです?」
「足をお揉みしましょう!さぁさぁ楽にしてください。で、勇者様とは何年前に?」
老人は、ため息をつきながら話しだした。
「あれは、儂が八つの時じゃ。はじめて乗合馬車に乗って両親が街の花祭に連れて行ってくれての、早朝でその日は朝霧の濃い日じゃった。いきなり馬車が大きな音を立てて止まったと思ったら賊に襲われてな。乗合馬車の乗客の一人が勇者様で、あっという間に賊を縛り上げてくださったんじゃ」
「賊は何人いたんですか?」
「その時の勇者様の服装は?」
「勇者様は馬車のどの席に座ってたんですか?」
「勇者様の靴の色は?」
「勇者様はどんな香りがしましたか?」
「勇者ロイド様のお言葉を一文一句っ!」
「勇者様のご勇姿をもっと詳しくっ!」
甘い砂糖に群がる蟻のように、聖職者達が押し合いへし合い、ギラつきながら次々に質問を飛ばす。
「えええい!煩いわっ!勇者狂共っ!!」
こうして、聖職者に運悪く囚われた哀れな老人は、日が陰るまでありとあらゆる記憶を掘り起こされ、げっそりする度に、回復魔法を浴びるようにかけられ、精神的に干からびてやっと開放された。
ちなみに、情報を洗い浚い吐かされた後に、聖職者の「お疲れでしょう。家まで馬車でお送りします」という甘い言葉に乗ると、家を特定され、まだ忘れている勇者様の情報があるかもしれないと、聖職者に日参されるのが常識なので、疲れ切った老人に代わり、付添の女性が断固固辞した。
「まさか勇者ロイド様のお話を伺えるとは、神に感謝だな、パウロ」
「ですね、タイラーさん。神に祈りましょう」
「ああ」
祭壇の前で、パウロはタイラーと長い祈りに意識を沈める。
周りには、同じように興奮冷めやらぬ聖職者たちが同じように神に祈りを捧げている。
目を瞑り無心に祈ると、いつもより神の存在を大きく感じることができ、パウロは更に強く神に感謝した。
「パウロは、明後日戻るのか?」
「はい、こんな僕でも重宝して頂いているので。有り難いことです」
「いや、もっと誇っても良いのだぞ。謙虚なことだ。若手ではお前が一番だと聞く」
「そう‥‥ですかね?へへっ」
パウロは、聖職者でもあるが、職業は辺境伯の私兵である。
短く柔らかい明るい赤毛の髪に、同年代の中でも細く小柄な体型。それに、かなりの童顔で、剣を扱う兵士には一見見えない少年だが、日々“魔の森”で魔獣や魔物を討伐する任務に就いている。
背も高く分厚い体躯のタイラーの方が余程兵士に見える。
だが、タイラーはそんな
「おいっ!パウロはいるか?!」
突然、大声で聖職者が祈りの間に駆け込んできた。
「はいっ!ここにおります!」
「パウロ、辺境伯から早馬だ。使者の方が入口でお待ちだ。相当急ぎの用らしい。急いで行ってくれ」
急かされ、神殿の入口に走ると、顔見知りの先輩の私兵が使者として立っていた。
砂埃に塗れ、服も顔も汚れた先輩はボロボロで、相当馬を飛ばして来たようだった。
「あ、パウロ!至急戻れ!大変なんだ!」
パウロを見つけた先輩は、駆け寄りながら焦ったように叫ぶ。
「大変?!何があったんですか?」
「兆候だ。魔王復活の兆候が出始めたんだ」
「え?!」
「魔の森で調査していた傭兵が優秀でな。かなり早く兆候を見逃さず伝えてくれた。お前は即戦力の一人だ。急げっ!俺はこのまま城へ報告に向かう。任せたぞ!」
「は、はい!すぐに戻ります!」
そう言うと、先輩は駆け出し、神殿前の馬に飛び乗り駆けて行った。
「タイラーさん、僕すぐに戻ります!」
「ああ、馬の用意を頼んで来る。お前は荷物をまとめにいけ」
「ありがとうございます!」
先代の勇者様が魔王を封印してからまだ十八年しか経っていない。予想よりかなり早い魔王の復活だ。
すぐに荷物をまとめたパウロは、用意してもらった馬に飛び乗り辺境へ急ぐ。
辺境の村に被害が出ているかもしれない。
同僚が怪我をしているかもしれない。
心配は尽きないが、その心の中は、もし我が国から今代の勇者様が選ばれたら、魔の森勤務の自分も最前線で戦うので、魔王封印に向かわれる勇者様の御姿を直接拝見できる可能性があるのでは?と不謹慎にも胸を高鳴らせていた。
パウロの期待通り、我が国から勇者様は選ばれた。
だが、予想とは大きく外れ、選ばれた今代の勇者は――パウロ自身。
そして、パウロは知ることになる。
焦がれた勇者の――真実を。
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