第十七話

 三日後、約束の日。目の前の光景にあたしと弟のロンは、ただ立ち尽くすしかなかった。


「安心して欲しい。カンナ殿の憂いは全て私が断つからね」


 ニコニコしながら言う王子の背後には、大勢が整列していた。

 紹介されたのは、家の警備を担当すると言う護衛騎士達、お仕着せを着た使用人がたくさん、山羊の世話をすると言う体格の良い男達に、石垣を直すと言う職人達。

 流れるように彼等を紹介され、あたしとロンは「はぁ」とか「えぇ」とか、間抜けな声しか出ず、テキパキと持ち場について動き出す彼等を眺めるだけで、頭がやっと追い付いた瞬間に思ったのは『してやられた!』という事だった。

 これは、わば―――である。

 この王子、たったの三日で、あたしの逃げ場を見事になくしたのだ。


 報酬には、対価が伴うものだ。

 散々、無償で魔物達の討伐をして来たあたしの価値観は、有償にひどく弱い。この過剰な報酬と言う“借り”を返さなければと言う脅迫のような義務感が絡みつく。

 何で返すのか?

 金銭的にはどう考えてもかなり厳しく、王子の狙いは、勇者としてあたしが使命を持って返すことだと明確だった。

 謀られた‥‥‥。


 恨めしげに睨むあたしに王子はニコリと微笑む。


「大丈夫だよ。これも勇者の特権だ。あ、返事はまだしなくていい。どちらにしても、一度王都には来て貰わないといけないからね。弟くんも一緒に。さぁさぁ」


 やっぱ確信犯だ。

 王子の目に優しさなんて、ない。ギラついてやがる。

 どう反論するか、状況を打破するか考えていると、あれよあれよと言う間に、この前乗った馬車よりも高級でふかふかな馬車にロンと一緒に詰め込まれていた。


 文句を言ってやろうかと思ったのに、ロンがキラキラとした目で王子に一生懸命話しかける。


「王子様ありがとうございます。王都に僕も連れて行ってくれて。家にもあんなにたくさんの人が来てくれて助かりました」


「ロンくん。礼には及ばないよ。勇者である姉君に王都に来て頂く為なのだから当然だ。我が国含め、三国は、勇者には尽くす義務があるんだ」


「じゃあやっぱり姉ちゃんは魔王を‥‥」


「それはまだ決まっていないよ。姉君からは返事を頂いていないからね。それよりも、はじめての王都だろう?王都の事を教えてあげよう」


 まだ決まっていない、だと‥‥‥。

 どうにか籠絡して勇者として魔王の元に行けせようとしているくせに。事実、家にたくさんの人を送り込み、こうやってロンを手懐けようとしている。

 チラリと王子に目線を向けると、王子と目があった。にっこりと微笑み返される。見え透いたその笑顔に、腹立たしさを感じたが、王都の話をはしゃいで聞き、楽しそうにしているロンを見ていると、水を指したくなく、黙るしかなかった。


「姉ちゃん見て!あれってお城かも!」


 馬車の外を指し、ロンがはしゃぐ。


「あれは、お城ではないかな。今通っているこの町の領主の館だよ」


「へー。じゃあお城ってもっと大きんですか?」


「ああ、もっと大きいよ」


 カンナも、ロンの頭越しに馬車の外を眺める。そこには立派な館が丘の上に見え、その周りにはたくさんの建物と行き交う人々。領主の館に向かい、なだらかな坂になっている大きな町は、今通っている低い街道からよく見ることが出来た。


 たくさんの人が住み、皆、日々を一生懸命生きている。


 辺境の、魔境の一番近くに住んでいるカンナ達より安全なこの町も、カンナが魔王城へ向かわなければどうなるのか?

 はじまりの勇者の記憶が、強く頭の中に流れ込む。

 日常が奪われ、家族が、友人が、知り合いが命を奪われ、生き残った人々には、明日は我が身と希望も失われていく悲壮な未来しかない―――絶望。


 そう、カンナは知っている。

 勇者の記憶から、自分が行かないとこの国は、この世界はどうなってしまうのか、を。

 一番守りたいロンさえも失うかもしれない、という事実を。


 なんで、あたしが勇者なんだろう‥‥‥。


 勇者に選ばれた日から何度も何度も考えた。理由がわからない。

 記憶を巡る歴代の勇者達は、戦う事を生業にしている者や、王侯貴族などの誇りや矜持を持っている者が多く、勇者であることを受け入れ、使命を果たそうと率先している者が大半。命を捧げるのが当然で、名誉だと思っている勇者が多い。


 でも、カンナはそうじゃない。

 勇者になって困っている。自分の命を捧げてまでロンを一人にする価値があるのかわからない。一生安泰な報酬を貰えるからロンに苦労をさせることはなくなるだろう。でも、ロンは家族を亡くし一人ぼっちになってしまう。

 勇者なんて―――理不尽、だ。


 夜、大きな町で一泊し、次の日の夕方に、王都の王城に辿り着いた。

 大きく立派な城。中は綺羅びやかで、初めて見る輝く世界に、ロンと同じようにはしゃいでしまう。

 豪華で贅沢な料理にも大満足し、特に興奮していたロンは、食事後早々に寝息を立てだした。

 王子が、ロンを抱き上げ部屋へ運んでくれた。


「‥‥‥ロンのこと、ありがとうございます」


「いや、ロンくんに楽しんでもらえたようでよかったよ。ところで、カンナ殿、少し話をしないか?」


「‥‥‥そう、ね」


 王子に連れて行かれたのは、庭園にある東屋という所だった。


「無理やり連れてきてすまない」


 いきなり謝られて驚いた。しかも、無理やりという、有無を言わせなかった自覚があるようで、それが逆に王子への嫌な気持ちを少しだけ取り払った。


「そう、ですね。でも、仕方なかったんでしょ?」


「そうだね。私はこの国の王子でもあり、勇者を持て成すこの大陸での代表でもある。カンナ殿は、自分の役割がわかっているからこそ、辛い選択で悩んでいるのだろう?私より年下の女の子に、こんな役目を負わし、代わりになってやれないのが悔しくてね。本当に申し訳なく思うよ」


「‥‥‥」


 そうだ。誰も、あたしの代わりには‥‥‥なれない。

 王子を見ると、その目は、とても辛そうな目だった。


「ふふふ」


「どうした?」


「だって、昼間はあんなに憎たらしい目を態としていたのに、今になってそんな目で見るなんて‥‥‥」


 おかしくて笑ってしまった。辺境から王都まで、勇者のアレコレを曖昧にして、ただ、ロンとあたしを持て成して、楽しく過ごさせてくれた。その合間合間に、あたしを挑発するように態とらしくニコニコしていたこの人は、あたしみたいに悩んでそれを押し殺していたんだと、わかった。

 あたしに向けた笑顔の役者顔負けの演技力は、どうやら、分厚い仮面を被っていたようで、外せばそれは「優しい」で出来ていたのだ。


 涙が頬をつたう。


「あたし、ロンだけなんです。ロンの家族はあたしだけなんです。もし、あたしが死ねばロンは一人になる。それが怖くって‥‥。どうしてあたしが勇者なんですかね?騎士でも傭兵でもない。男でもない。両親を亡くして弟と二人で暮らしている平民です。たしかに、あたしは自分で言うのもあれだけど強いと思う。けど、あたしより強い人なんてもっといるし、勇者になりたい人だっているでしょ?なのに、なんで、あたしなの?理不尽じゃない!なりたくってなるんじゃない!あたしはっ!」


「そう、だな。背負わせてすまない」


「あたし達、親戚もいないんです。せめてあたしの他に家族がいたら‥‥‥心置きなくのに‥‥‥」


 理不尽だ!行きたくない!と、何度も思っては、それと同時に、魔王をしなきゃ、と言う使命感?違う、なんだろう?使命という背負わされ、無理やりやらされることじゃなくって、ぴったりな言葉で表すと―――魔王を討伐するのはあたしだ―――と言う、根拠もない自信のような、それが当然だと言うような、とにかくそうするのが、、と、妙に納得できるのだ。

 もう、心の奥底では―――死ぬ覚悟が、出来ていた。

 ただ、弟を無責任に一人にさせる後ろめたさがあり、もう、覚悟が出来ているのだと言い出せないだけ。

 あたしは、狡い女だ。


 突然、肩を掴まれた。


「死ぬなんて言うな!カンナ殿なら帰って来れる!魔王を封印して帰って来れる!なぜ死ぬなんて言うっ―――」


「‥‥っあ‥‥‥‥」


「うちの騎士団にも聞いている。カンナ殿は強いのだと。日々戦ってきたあなたは強い。ロンくんを想うあなたが魔王に敗れるはずがない。絶対だっ。あなたは死なないっ」


 王子は知らない。この国の、大陸の誰も知らない。

 あたしは、魔王をしに行くんじゃない。魔王をするんだ。


 対価は―――あたしの命。


 王子は、信じている。無事、魔王を封印して帰ってきたあたしが、ロンとその後も辺境で山羊飼いをしながらのだと。

 あたしが、死ぬなんて言うのは、強さに自信がないとか、そういう不安なのだと思っている。


 下から王子の顔を覗き込む。その目は、少し潤んで見えた。

 出会ったばかりの、平民のあたしよりずっと雲の上の人。そんな人が、そんな目をしている。

 勇者だから?年下の女だから?

 でも、その目には、やっぱり「優しい」が、あった。


「そうですね、あたし強いんです!生きて戻ります!」


 だから、あたしは嘘を付く。

 狡い女だ。

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最後の勇者 月刀田 @w496m

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