第十六話

「姉ちゃん‥‥‥姉ちゃんが勇者だなんて‥‥‥」


 駆け付けてきた弟のロンが、あたしに抱きつく。


「ホントにね。まさか山羊飼いの娘が勇者だなてねぇ」


「そうじゃなくって、勇者ってことは危険なんだよ!魔王と戦うんだよ!姉ちゃんが心配なんだよ!わかってる?」


「ああ、そうね。ごめんごめん。魔王かぁ‥‥‥」


 勇者に選ばれて、たくさんの記憶や感情が流れ込んできた。

 圧倒されて、頭が真っ白になったあたしが、周りの騎士や傭兵や村の男衆の雄叫びのような歓声で正気を取り戻した時に一番に感じたのは、なんであたしが?という一点だった。


 記憶を辿れば、勇者に選ばれるのは、多くが騎士や傭兵、剣を幼い頃から習っている王侯貴族や、代々武を尊ぶ家ばかり。なのに、あたしは山羊飼いの家の子だし、剣だって生きるために仕方無く。

 それに、あたしはか弱い花も恥じらう女の子だ。


「何であたしが選ばれたのかしら?」


「姉ちゃんが強すぎたんだよ‥‥‥。なんで姉ちゃん強いんだよ。魔王がいる危険なとこなんて行ってほしくないよぉ‥‥‥」


 そう言って、ロンが泣き出してしまい、ようやくあたしは本当に正気に戻った。

 ロン!そうよ、ロンが一人になっちゃうじゃない!

 もしあたしが、魔王を討伐したらロンが一人きりになっちゃう。封印したとしても、長く封印すればするほどロンより先に―――死ぬ運命。

 幼い弟を一人にしてしまう抗えない運命を泣いているロンを見て実感し、一気に青褪める。

 討伐できず、魔王を封印するとして戻ってくるまでの間もロンは一人きりよ。しかも、魔王城へ行って帰ってくるまで二年近くかかるんじゃなかったかしら‥‥‥。

 過去の勇者達の無念が、体にじわじわ侵食してくるように、あたしの良心に使命を訴えてくる。

 でも、ロンの事を考えると、魔王城へ向かうなんて、あたしにはできそうにない。


「あたし‥‥魔王城へは行きたくないわ‥‥‥」


 ポツリとそう無意識に零してしまった。


「うう‥‥姉ちゃん‥‥家に帰ろう?」


「え?ああ、そうね」


 少し、ぼうっとしていたみたいで、ハッとして気付くと、取り囲んでいた騎士や傭兵、村の男衆も、いつの間にか静かになっていて、騎士は唇を噛み締めていて、傭兵は目を合わせてくれなくて、村の男衆は泣きそうな顔をしていた。

 さっきまで、勇者だなんだと騒いでいたのに、どうしたんだろうか?

 なんだか、気不味くて、まだ涙を流し続けるロンに促されるまま、家に帰ることにした。


 長椅子に未だに泣き止まないロンを抱きしめながら二人で座る。ロンの背中を撫でてやっていると、泣きつかれたのかロンはウトウトしだして、あたしもなんだか眠くなり、二人してそのまま寝てしまった。


 コンコンと、扉を叩く音で目が覚めた。あれ?寝てた?と思い、周りを見渡すと、窓の外は白んでいて、腕の中にはあたしより温度の高いロンがぴったりと収まっていた。

 そうっと、ロンを長椅子に寝かせて、ひざ掛けを掛けてやり、扉を少し開く。


「どちら様で?」


「早朝から起こしてしまい失礼します。王国の使いの者です。勇者カンナ様に書状を預かって参りました」


 一気に目が覚める。王国の使い?!って「勇者カンナ様ぁ?!!!」

 びっくりして、絶叫してしまった。



 あたしは今、荷車より辻馬車より乗り心地の良い馬車に揺られている。

 大声に驚いたロンが飛び起きて、これまたあたしの大声に驚いた村の男衆や、男衆の世話で家の離れで寝ていた女衆達が慌ててやってきて、その場は大混乱だった。

 使者が慌てて事情を説明して、ロンをみんなに預けて、あたしは一人で黒い地の討伐拠点となっている王国騎士団の拠点へ運ばれている。どうやら、勇者になったので、国の偉い人と話をしないといけないらしい。


 大きな天幕に案内されて入る。

 天幕の中は、予想したよりも豪華で、見たことはないけれど、貴族のお屋敷にありそうな高そうで豪華な家具が置いてあり、思わず見回してしまった。


「勇者カンナ殿」


「あ、はい。か、カンナです」


 目の前には、あたしより少し年上くらいのキラキラした笑顔の金髪碧眼の騎士服の男と、いかにも歴戦の騎士という感じの大男の二人、その後ろに従者のような人が一人、それから騎士服が二人いた。


「朝早くにすまなかったね。お会いできて光栄だ。まずは、こちらへ」


 キラキラ金髪が、十人は余裕で座れそうな大きな光沢のある高そうな長机にある椅子を引いてくれたので、促されるままとりあえず座る。そして、キラキラ金髪と、大男が、あたしの向かい側に座り、従者っぽい人が、真っ白で可憐な花の絵柄の描かれた高そうな陶器で良い香りのするお茶を入れてくれた。


 香しいお茶に、飲んでも良いのかな?と迷っていると、キラキラ金髪と大男が椅子から立ち上がった。


「勇者カンナ殿、私は王国の第二王子のレオナルドだ。こちらは、騎士団長のムーア。勇者カンナ殿が、魔王封印へと赴くまで世話をさせて頂く」


「おおおおお、王子?!」


 キラキラ金髪はこの国の王子様だった‥‥‥。


「驚かせてすまない。王子と言っても第二王子だし、勇者殿の方が尊い御方だ。だから、そこまで緊張しないで欲しい」


 あたしの方が尊いだ、と‥‥‥。偉い人なんて、半年に一度やってくる領主くらいしか見たことないし、王族なんて初めて見るし、そんな雲の上の人が、あたしを尊い、と。汗がダラダラと流れた。

 緊張するあたしを気を使ってくれたのだろう。お茶を勧めてくれて、食べたことのないような黒くて艶のある菓子も用意してくれた。にこにこする王子に見られながら、遠慮がちにお茶を飲み、黒くて艶のある菓子を口にすると、驚いた。見た目に反し、甘くて舌の上で蕩けるようで、なんとも言えない香りが鼻に抜けた。あまりの美味しさにもう一つ、もう一つと手を伸ばし、こんな幸せがあったのかぁと、浸っていると「緊張は溶けたようだね」と、王子がにこやかに目を細めていた。


「あ、すみません。美味しくって‥‥つい‥‥」


「美味しいよね。チョコレートと言う菓子だよ」


「ちょこれえとですか?」


「そう。弟さんがいると聞いている。土産に後で持たそう」


「え?!ホントに!嬉しい!ありがとうございます!」


 ロンにも食べさせてあげれると知り、一気に王子が良い人に見えた。


「早速なのだが、話をしてもいいかな?」


「はい」


「カンナ殿は、勇者に選ばれた。あなたが魔王城に行きたがっていないと聞いている。魔王の封印は勇者にしかできない。人類の為に、無理を強いるが、どうしても勇者としての務めを果たして欲しいと思っている。行きたくない理由を教えて貰えないだろうか?」


 ?なんでこの王子は、私が行きたくないことを知っているんだろう。そう言えば、昨日は勇者になってしまい、その後の記憶が少し曖昧だ。泣いてるロンと一緒に寝ちゃったし。もしかして、行きたくないと口走ってしまったのかな。多分、そうだ。


「えっと‥‥。怒りませんか?」


「ああ、怒ったりしない。あなたが何を言っても不敬には問わないし安心して欲しい」


 正直に話しても良いのだろうか?偉い人の口の聞き方もよくわからないし、不安だけど、怒らないと言ってるし、言うしかないだろう。


「ロン、弟を一人にしたくないんです」


「弟くんか‥‥」


「はい。あたしの両親はもういなくて、弟はまだ子供です。あたしが魔王城へ行くと弟は一人になるんです。家族はあたしだけなんです。だから‥‥‥行きたくありません」


 こう伝えている間にも、歴代の勇者達の記憶が、あたしの胸をぎゅっと締め付ける。わかってる。わかってるのよ。ホントは駄目だって。勇者になった時に流れ込んできた勇者としての力が次々に溢れ出し、勇者達の記憶に後押され、あたしの正義感を刺激する。魔王を―――討伐せよ、と。


「弟くんの面倒はこちらで見よう。城から使用人を数名、護衛も数名付ける。必ず、弟くんの安全は守ると約束しよう。他にも足りないことがあれば言って欲しい。出来る限り叶えるから」


「え?勇者ってそこまで面倒見てもらえるんですか?それって、お金かかります?」


「いや、金はかからないし、勇者とは唯一無二。国を挙げて出来る限り支援するのは当然だ。だから、不安があれば何でも言って欲しい」


 お金がかからない!無償っ!

 あたしは、勇者の待遇がこれほどまでとは思わず、興奮して熱が集まるのを感じた。


「え、じゃあ、家は、山羊飼いなんです。山羊の面倒も見てもらえます?あと、石垣!石垣も直して欲しい。領主が国に石垣を直す予算を申請したって言ってるんですけどね、三年連続で通んないんですよ!つい最近も、役人が駄目だったって言ってきて。それって可能ですか?あと、あたし、いつも無償で魔物狩ってるんです。傭兵は高い報酬もらってて、あたしより狩ってる数が少ない時だってあるんですよ。理不尽じゃないですか!理不尽でしょ。無償って。まぁ、殺らなきゃ殺られるんでそれは仕方ないんですけどね。でも、魔王は話が別です。少しでいいからお金が欲しいです。駄目ですか???」


 気付いたら、長机に身を乗り出して、王子に迫るように欲望を吐き出してい、た‥‥‥。あたしってば、なんて事を!恥ずかしくなり、顔が赤くなるのを感じる。


「っぷ!あはははははは!」


 目を見開いて固まっていた王子が、大爆笑しだした。

 しばらく、泣き笑いしていた王子。そこまで面白いことを言った覚えは‥‥ない。そりゃ、お金が欲しいなんて、欲深いかもしれないけど。笑うことはないと思う。


「あは、ごめんごめん。つい‥‥。石垣って、黒の地から守る石垣かい?」


「はい‥‥そうです」


「わかった。最優先で職人を向かわせて直させよう」


「ホントですか!すごい!ありがとうございます!」


 まさか、勇者になると、こんなに早く石垣が直してもらえるとは。


「それに、あなたは知らないか?勇者には、三国から報奨が出るよ。額は―――」


 信じられない大金を提示されて、息が止まった。勇者って、勇者って‥‥‥そんなに儲かるの?!!!


「それって、魔王城に行って帰ってきたら絶対に貰えるんですか?」


「ああ、絶対だ。どの勇者にも必ず支払われている」


「すごい‥‥‥」


 想像できない大金が手に入る。そうすれば、人を雇って、ロンを学校に行かせられるし、それどころか、一生働かなくても生きていけるくらい‥‥‥。思わず「行きます!」と、答えようとして、ロンの顔が浮かんだ。魔王を討伐すれば―――死ぬ。封印したら寿命が―――減る。


「‥‥‥」


 黙り込むあたしに王子が「他に不安なことや困ったことは?」と、聞いてくる。

 だけど、これは勇者の誓約で話すことは出来ない。勇者の命を対価にしているのは、勇者だけの一生背負わなければいけない誓約だ。

 そのまま、黙り込み、話せないあたしに王子は困り果てたのだろう。三日後に、また話そう。それまで考えて欲しいと、今日はそのまま家に帰されることになった。



 せめて、あたし以外にロンを守ってくれる家族がいれば。でも、世界中にロンの家族はあたしだけ。

 ロンを一人にしたくない。


 あたしは、どうしたらいいんだろう‥‥‥。

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