第十三話

 勇者ユリウス―――俺の忠義を捧げる帝国第二皇子。


 侯爵家で、長男として生まれ厳しく育てられたが、父の希望に反し、政より武に才能があった。帝国軍に志願し、順調に昇進。英雄などと持て囃されもしたが、ある人との出会いが俺を変えた。


 第一皇子ヨハネス殿下、第二皇子ユリウス殿下。

 お二人は、母親であるきさき達の影響か、あまり仲良くはなく、剣の稽古も時間をずらして軍の士官達が代わる代わる面倒をみていた。遠目から観察すると、どちらの皇子殿下も幼いながら剣術に長けていたが、ユリウス殿下の才は目を瞠るものがあった。舞うように剣を振るうのだ。


「美しい‥‥‥」


 思わず声を漏らしてしまったその洗練された動きは、鍛え上げられた努力の賜物ではなく、明らかな天賦の才。見惚れたその才は、殿下が成長する度に華々しく咲き誇った。舞うのが楽しくて仕方ないと羽を羽ばたかせる蝶のよう。眺めるだけだった殿下とはじめて言葉を交わした日の事は今も覚えている。


「ミュラー大尉、教えて欲しいことがあります」


「何でございましょう」


「僕は実践経験がないのだけど‥‥‥いざとなった時、訓練と同じく剣を振るえるでしょうか?ミュラー大尉はどうだったか教えてほしくて‥‥‥」


 少年らしい澄んだ瞳が、不安と期待を滲ませていた。


「そうですね。私の場合は、気付いたら体が動いていたようですが、興奮したのかその時のことは詳細を覚えていないのです。必死だったのでしょう」


「必死‥‥。なるほど。もうひとつ聞いてもいい?」


「はい、何なりと」


「はじめて斬ったのは‥‥魔獣?人?」


「‥‥人です」


 子供のする質問か、と内心かなり動揺した。

 今の時代、大国同士で争うことはない。魔獣や魔物、魔王が最大の敵であり、帝国軍人のその多くが、斬るのは主にそれらだ。だから、人を一度も斬らずに退役する軍人も多い。

 辛いことを聞かせてしまったと、この後どうお声がけしようと殿下を見ると、驚いたことに、殿下は口に手を当てて、声を出さないようにクスクスというように笑っていたのだ。


「殿下‥?」


「あ、ごめんね。大丈夫そうだと思ったら嬉しくって」


「嬉しい?」


「うん。ミュラー大尉は必死だったから人も斬れたんでしょう?きっと僕もその時は必死だろうから斬れると思うんだ。だからよかった、と思って」


 そう言って嬉しそうにする殿下に、何と言えばいいかわからず、その日はモヤモヤした気分で一日過ごすことになった。

 それからは、なぜか俺は殿下に気に入られて、見かける度に殿下に話しかけられるようになり、一言二言言葉をかわす日々。それからしばらくして、指揮官としてのユリウス殿下の指導をお任せいただける名誉を賜った。

 過ごす時間が長くなると、自然と親しくなる。同期と雑談をしているところに殿下が加わることもたまにあった。だから、普段の俺を見てしまった殿下に「僕もミュラー大尉みたいに“俺”って言ってもいいと思う?かっこいいから真似したい」なんて、言われた日には、くすぐったく、一日ニマニマとしてしまったりした。もちろん、公の場ではだめですよ、と釘を打つことは忘れずに。


 そんなある日、遠征しての軍事演習でくたくたになり、殿下と横並び木の木陰に座り、他愛もない話をしながら食事が出来上がるのを待っていた。ふと、いつも引っかかっていた事を聞いてみようと思った。


「殿下と初めて話した時ですが、俺が人を斬ったと答えた時、なぜ嬉しいと感じたのですか?」


「ああそれ?うーん。ミュラー家は中立派だからぁ、まぁいっかぁ」


 中立派だから?何だろう?


「俺ね、兄上を護りたいんだ。だから、いざと言う時に‥‥兄上を護る時に、人を斬れるか不安だったんだけど、ミュラー大尉が、必死だったら斬れたと言ってたでしょ。兄上の為なら俺はいつでも必死になれるから、それなら大丈夫だなぁって思って。それで嬉しかったの」


「ヨハネス殿下の為にですか」


「うん。内緒だよ」


 后達の確執で、お二方の仲があまり良くないと思っていたが、どうやらそれは間違っていたらしい。兄の為に、と嬉しそうにする殿下が眩しかった。

 それからは、二人だけの時に、いかに兄上がすごいのか、大好きなのか、と言う話を嬉しそうに殿下は話して下さるようになった。


「俺も頑張るからさ、ミュラー少佐も兄上が皇帝になったら支えてね」


 為人ひととなりを知れば知るほど、俺は殿下のことが好きになり「もちろん」と答えながら、心のなかでは、自分の忠義をヨハネス殿下ではなく、ユリウス殿下に捧げていた。

 帝国の皇帝の権威は絶対だ。帝国軍人の忠誠は、帝国に捧げられる。つまり、皇帝陛下に、だ。軍規にも一番最初に記されている軍人の根源だ。だけれども、軍規違反なことに、俺の忠義はユリウス殿下以外に揺るぎそうにない。それほど、眩しい方なのだ。


 素直で真面目。子供らしく無邪気でもあるユリウス殿下が、ある日を境に変わってしまった。


 俺にもその日のうちに伝わった、ユリウス殿下の突出した攻撃魔法の偉業。軍の魔道士達が大興奮しているらしい。さすが、殿下だと感心していたが、しばらくしてから、徐々に殿下は目に見えて落ち込むようになった。理由がわからず、様子を見ていたら、殿下の母君であるきさきによるプロパガンダが原因だと思い至った。強い皇帝を望む民から、ユリウス殿下を皇帝に、と言う声が、あからさまな勢いに乗り広がっているのだ。

 噂の火消しをしたいところだが、家門的に中立派なので口を出せず、更には、殿下達の仲の良さを口止めされており、黙らざる得ない。そうこうするうちに、殿下は変わってしまわれたのだ。


 力と権力を誇示するようになり、我儘に横暴に。


 俺には、兄であるヨハネス殿下の為の芝居なのは一目瞭然なのだが、俺にさえそれを隠そうとなさるようになったのだ。それを悲しいとは思ったが、まだ成人前の子供が、そうせざる得ないと虚勢を張っているさまを見れば、ユリウス殿下の為に、それに付き合う他ないと諦めるしかなかった。

 情けない。


 どんなに表向き殿下が変わろうとも、俺の忠義は変わらない。


 殿下が勇者に選ばれたその場にいた。

 勇者という栄誉に、我が事のように喜びが込み上げたが、直後、これで更に殿下のお立場がお望みでない風向きに強く変わってしまったのだと気が付く。遠目に見える聖剣を虚ろに眺める殿下を思い、心がひどく痛んだ。


 自分に何ができるかわからないが、側にいるだけなら可能だと思い、その日の内に、勇者一行に加えてほしいと大将の元へ駆け込み、土下座で直談判した。我が国から勇者が誕生したら、指揮官階級が二名は同行することが決まっていたので、そこに滑り込むしかないと思ったのだ。

 大将は、必死過ぎる俺を呆れたように笑いながら、指名してくれ、それに合わせ俺は中佐へと昇進した。


 その数日後、ユリウス殿下が、自室に結界を張り引き籠もってしまった、という知らせを受け、今まで感じたことのない殿下の危うさに気付き、なぜのか、と自分を殺したくなった。一行に加わるよりも前に、直接殿下に何かできたんじゃないのか?俺の言葉が殿下に届くとは思えないが、それでも‥‥‥。

 そして、後悔ばかりで、神に祈る他ない長い一ヶ月を過ごすことになる。


 殿下が、婚約者のエリザベス様に婚約破棄をされた。

 殿下が、未知の力を振るわれた。

 殿下が―――。


 そんな、行動なんてどうでも良いが、殿下の目が、今までと全く違っていた。

 その瞳には何も映っていないようで、俺は悔しくて悔しくて、殿下が勇者に選ばれた運命を変えられないことに絶望し神を呪った。


 魔王封印への進軍。あり得ない速度で進む。

 ユリウス殿下は、必要がなければ一行から離れ、誰とも関わろうとしない。それでも、しつこく俺は、殿下に懇願し、結界の魔道具で不寝番だとしても、殿下の護衛は必要だと、殿下の傍で寝入ることにした。した、というか、了解は貰えず無視されるのだ。だから、拒否はされていないと強行したのだ。

 一行の他の仲間達が寝る場所とは、離れた結界の中で、夜―――俺だけが知る。


 毎晩のようにうなされ、寝言で「兄上‥‥」と、涙を流す少年は、今にも消えてしまいそうで、消えてしまわぬように毎晩、信じてもいない神に祈った。

俺の忠義を捧げたこの少年に、どうか幸せな未来を。

その為なら、何でも差し出します。どうか、ユリウス殿下に―――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る