嫌われ者の勇者ユリウス

第十話

 王侯貴族なら当然のよくある話。後継者問題に俺も巻き込まれていた。

 それまでも苛烈だった後継者問題は、俺が男児だったせいで、生まれた瞬間から更に加速する。


 そもそも、父である皇帝には、異例ではあるが妻である皇后が二人いる。

 皇后はどちらも、元侯爵令嬢。年齢も同じ。二家は対立派閥であり、富も知も武も均衡しており、そして、どちらの家も権力を欲する野心を持つ家柄だ。それに、三家ある公爵家には同じ年頃の令嬢はなく、令息もいなかった。


 帝国において皇帝の権力は絶大だ。

 侯爵二家による皇后を巡る争いは激化。

 当時、皇太子だった父は、争いを避けるべく、公爵家の十歳の年の差のあるまだ幼い令嬢と婚約を結ぼうと動くが、公爵令嬢はどちらかの派閥により襲撃され、身の安全を優先し婚約を断念。

 他国の姫を迎えたいところだが、小国の姫では意味がない。同じ大国の二国は、魔王封印において友好国であり、態々婚姻を通じて友好を結ぶ政略を取る必要もないし、二国にもその気がない。


 歴代の勇者達の魔王の封印期間は、平均十年から四十年。

 前回の魔王封印から十年が過ぎ、いつ魔王が復活するかわからない時期に国内でこれ以上の混乱は起こせない。いくつかの選択肢から選ばれたソレは、問題を先送りにしただけではないかと今は思う。

 皇帝は、皇太子に命じた。


「侯爵令嬢を、二人共おまえのきさきとせよ」


 その命を拝命した父である皇太子は、徹底的に二人の后に対して“平等”に務めた。

 婚姻の儀も差が出ないように二人の后を連れ立って行った。婚姻後も、どちらの后も、自分を優先しろ、優遇しろと強請ったり泣いてみたり汎ゆる手を尽くしたが、一切認めず、優劣付けることなく徹底し“平等”を貫いた。

 皇太子に全く付け入る隙がなく二人の后は多少大人しくなった。これ以上足掻くと、皇太子の気を引けないどころか嫌われ不遇される可能性に気付いたのだ。

 こうしてしばらく多少の平穏が訪れたが、それはすぐに均衡を崩す。


 后二人の―――妊娠である。


 半年違いで妊娠した二人は、互いに間者を送り合い出産を阻止しようと画策する。見兼ねた皇帝と皇太子は、もし片方の后の出産が叶わぬ場合は、問答無用でもう片方の后の罪とする、とした。これには、どちらの后も黙らざる得ず二人の出産はどちらも無事に叶うことになる。

 だが、産まれたのはどちらも男児。後継者と言う新たな火種が生まれ、先送りにした問題が再燃、いやもっと苛烈に燃え上がったのだ。

 なので、皇帝と皇太子は、ここでもまた釘を刺す。兄ヨハネスに何かあれば弟である俺、ユリウスを問答無用で罪に問う。逆も然りである、と。

 皇子に手が出せないと知ると、后達は、政治的な対立を深めて行く。


 皇帝と皇太子は、皇子二人が后達に利用されるのを恐れ、乳母の乳離れが終わってすぐに、食事を共にし一緒に過ごす時間を増やした。それ以外にも、皇子達の交流の場をできるだけ設け、仲違いしないように気を配って育てた。


「この国の皇帝になるのはあなたなのよユリウス。そのためにもヨハネスより優秀でいなくてはいけないの。ヨハネスは悪い子よ。決して仲良くしてはいけないの。わかるわね?」


 めったに会うことのない母が、言葉をある程度理解できるようになった四歳から頻繁に会いに来るようになった。そして毎回こう言うのだ。


「兄上は悪い子じゃないよ」


 半年先に生まれた異母兄弟の兄ヨハネス。子供の半年は大きく、ユリウスより大きいヨハネスは、面倒見が良く、手を引いていつも遊んでくれる頼もしい兄だ。


「ヨハネスはあなたを騙しているの。本当はユリウスのことが嫌いなの。そう言っているのを母は聞いてしまったのよ。ああ、かわいそうなユリウス。母だけはあなたのことを愛しているわ」


「え‥‥‥」


 毎日このように幼子が言われるとどうなるだろう?

 子供にとっての“母”とは、最強の一手であり、今までは求めても望んでもほとんど関心を持ってくれなかった母が、自分への―――子への愛を囁き、真綿で包むように甘い甘い蜜を舐めさせてくれる。蜜に擬態した甘い甘い毒はあっという間に体に沁み渡り、いとも簡単に洗脳していく。


 だが、父である皇太子の方が二手三手先まで読んでいるのを母は知らない。

 父は、毎日俺達兄弟と必ず朝食を共にし、親子の時間を作ってきてくれた。過ごした時間が違うのだ。


「ユリウス、最近嫌なことでもあったか?父に話してみなさい」


「兄上が僕を嫌いって母上が言ったの」


 落ち込んで、ヨハネスにどんな態度をして良いかわからず、ポロポロと大きな涙を流し真っ赤な顔で泣く。どんなに要領を得なくても、父は根気よく話をいつも聞いてくれた。


「ヨハネス、こっちに来なさい」


 兄ヨハネスを呼び、父はすぐさま策を講じる。


「ヨハネスはユリウスが嫌いか?」


「ええ?!嫌いなんかじゃないよ!ユーリは僕の弟だよ!好きに決まってるじゃないか!父上変なこと言わないでよ!」


「ホントに?兄上は僕のこと好き、なの?」


「当たり前じゃないか!ユーリ、大好きだよ!変なこと言う父上よりユーリの方がもっともっと大好きだよ!」


 そう言って、泣いている俺をぎゅっと抱きしめ、兄上は父上を睨み、そして「あ?!」っと声を上げる。驚く俺に兄上はこう尋ねる。


「もしかしてユーリ、ユーリの母上に僕がユーリのこと嫌ってるって言われたの?」


 こくんと頷く。なぜ兄はそのことを知っているのだろう?


「父上、僕と同じですね」


「ああ」


 父と兄が、何かを納得したように頷き合うと、説明してくれた。


「ユーリ、僕もね、僕の母上にユーリが僕のことを嫌っていると言われているんだ」


「え?!僕は兄上のこと嫌いじゃないよ!」


「うん、わかっているよ。僕達の母上達は、僕達を仲良くさせたくないんだ。きっとこれからも毎日ユーリの母上も僕達が仲が悪くなるように嘘ばかりついてくるよ。僕の母上もそうなんだ」


 衝撃だった。兄上の母上も俺の母もなんて意地悪なんだろうと今まで感じたことのないようなグツグツと煮えたぎるような赤黒い何かが湧き上がってきた。


「母上達には逆らわない方が良い。どんな嘘を言われても、わかったふりをするんだ。母上の前では僕のことを嫌いなふりをするんだ。でも、こうやって父上と三人の時には嘘をつかなくて良いんだよ。僕はユーリが大好きだし、絶対に嘘じゃないんだから」


 意地悪なことを言う母よりも、父と兄と過ごした時間の方が長い幼い俺には、なぜそうしないといけないのかよくわからなかったけれど、それが正しいことなのだと直感的に思い従った。

 時が経つにつれ、その意味がわかってくる。

 母上達が、何を意図としてそう言っていたのか、なぜ父と兄がそうしろと言ったのか。

 僕達兄弟は、表向き互いに無関心なふりをし続けた。

 母達はそれに満足しているようだったが、父と毎日のように三人で朝食を取り続けることを不思議に思わないのだろうか?きっと見たいことだけ見る人達だったからこそ、僕達の仲の良さに気付きもしなかったのだろう。


 俺は兄が好きだったから、当然、将来皇帝になるのは兄で、俺は兄を支えると決めていた。父も兄もそれを承知しているし、兄ヨハネスが成人して皇太子となる日まで、のらりくらりと母達の無駄な争いをやり過ごせば良いとそう思っていたのだが、予想外な誤算が生じた。

 母達をやり過ごす為に、朝食以外は極力関わらないようにしており、その関わらない時間で、兄と俺に“差”があったことい気付くのが遅れた。

 兄より、俺のほうが優秀だったのだ。勉強も剣術も魔法も、兄は優秀で、天才と言っても過言ではない。だが、その天才よりも突出した天賦の才を俺が示してしまったのだ。

 勉強に関してはどちらも満点で差はないが、剣術と魔法は、特に魔法に至っては目に見える威力の差を示してしまった。魔法の授業が楽しく、調子に乗り放った攻撃魔法が、帝国最高位の魔道士が霞む程の威力を人の記憶に刻み込んでしまった。


 帝国において皇帝の権力は絶大だ。

 だからこそ、富も智も武も、皇帝はあればあるだけ良しとされる。汎ゆる面で強者だからこそ、いや、強者でなくては皇帝ではない。嘗て、強者として多民族をまとめ上げ建国した“帝国”だからこそその考えは根強いのだ。帝国の民は―――強い皇帝を望む。


 俺の母は狂喜乱舞。嬉々と攻撃の手を、民意という手段で繰り出そうとした。常に魔王の脅威と隣合わせの世界で、勇者という希望が常に世界を守ってはきたが、そこに、武の才を個人的に持つ強い皇帝が加われば、その成り立ちから強い皇帝を望む帝国の民達は、さらなる希望を手にできるのだ。

 母を止めても、人の口に戸は立てられず、俺を皇帝にと望む民の声を作り出してしまったのだ。


 俺は皇帝にはなりたくないし、向いていないと思う。俺自身の個の才はあるが、それだけなのだ。兄ヨハネスは、周囲の個々の才を活かす事のできる上に立つべき生まれながらの―――皇帝だ。早くから、父もその類まれない兄の才に気付いていたし、俺も兄こそが皇帝になるべき人だと思う。

 だが、俺の魔法と言う突出した才は、目に見えたが故に目立ってしまったのだ。だからこそ、


 隠せないのなら、隠さずそれをに取ることにした。父も兄も心配して反対をしたが、隠せないのならこれしか方法がない。

 隠せなかった力と、帝国の皇子としての権力を盾に、放漫で欲を剥き出しにした調子に乗った馬鹿な皇子を演じるのだ。そのついでに、この国の膿も纏めることにした。


 俺の母と兄の母の派閥を、考えなしの馬鹿な皇子のふりをして泳ぐ。

「俺が皇帝になったら―――」と、旨味を匂わせ、権力に寄って賄賂を寄越し、俺を傀儡にしようとする悪どい貴族達だけを母の派閥にまとめあげる。母の派閥でも、まともで優秀な貴族は、冷遇し兄の派閥へと鞍替えさせる。

 父に貸し与えられた諜報部をうまく使い、罪を調べ、新たに犯す罪の証拠を重ねつつ、時間をかけて膿を一箇所に出し尽くし、兄ヨハネスが皇帝になるその時まで、辛抱強く貯めて来た。

 だが、政治や派閥に疎い民達には、目に見えて決定的なことをしない馬鹿な皇子の俺にそこまでの懸念を抱かない。だから、もっとわかりやすい醜態を作り上げる。派閥の腐った貴族共の息子達を取り巻きに、婚約者がいながら、両手に欲深い女を侍らせる放蕩皇子を演じるのだ。

 夜会に繰り出し、夜な夜な派手に下品に、我が物顔で居座る。たまに日中は、取り巻きと女たちを引き連れて、平民達に権力を振りかざす。もちろん迷惑をかけた平民には、後で兄ヨハネスの名で補償をする。民にもわかりやすい醜態は、あっという間に、兄ヨハネスは善良な皇子で、弟ユリウスは横暴な皇子だと広がった。


 父と兄は申し訳無さそうにしていたが、兄と二人で練った、兄が立太子した後の俺の更生計画もあるし、兄の立太子前に悪い膿をまとめて排除する算段も整い、俺はかねがね満足だった―――が、多少良心が痛んだのは、俺の側近キースと、婚約者エリザベスにも、本当のことを兄ヨハネスの立太子まで明かせないことだった。


「今日面会した伯爵は、耳障りの良いことを言っていましたが、あのような法案を支持すれば民の負担が増え困窮するものが出てきます。殿下、お考え直しを!」


「キース、うるさいぞ。一定期間税が上がるだけで後で下がると伯爵も言っていたではないか。上げた税で軍備を増やすのだ。何が悪い」


「あの伯爵はその軍備を購入する商会と癒着しているのです。それに、軍備は余剰が今でさえ出ているのです。税を上げる期間も秋ですよ。冬の蓄えを備える時期に増税など、民に飢えろと言っているようなものです」


「癒着?馬鹿なことを。伯爵知り合いの商会だから安くしてもらえるそうじゃないか。それに、魔王がいつ復活するかわからないから軍備を増やすべきだと伯爵も言っていた。民が飢えるなど帝国ではありえん。帝国はそんな愚かな国じゃない」


「殿下っ!!!」


 キースは、父が母に有無を言わさず決めてくれた品行方正で忠義に厚い文句のない側近だ。こうやって、馬鹿を演じる俺を常に止めようとしてくれる。こんなキースだからこそ、一緒に演じ続け、周りを欺くのには向いていない。敵を騙すには味方から、と言うが、心労をかけ続けることにどうしても心が痛んだ。


「皇子殿下、未婚の令嬢達との距離の取り方をお考えください。令嬢達の瑕疵になりかねません」


「なんだ、嫉妬か?別に手を出したわけでもないし瑕疵にはならないだろ」


「嫉妬ではありません。皇子殿下の醜態にもなり兼ねないのですよ」


「ははっ!俺は兄上より強い。民は強い皇帝を望むだろ。強さの前に些細なことなど醜態にはならない。それより出かけてくる」


「皇子殿下、お待ち下さい。話を‥話を聞いて下さいませっ!」


 婚約者のエリザベスも父が決めてくれた。エリザベスは、頭もよく思慮深く、良くも悪くも完璧なだ。貴族に生まれたからこそ、義務を全うしようと俺のために尽くす。貴族の矜持を高く持つ故に、間違った俺をこうやっていつもどうにかしようとしてくれる。恋だの愛だのはないが、将来、兄を支えたい俺には得難い完璧な婚約者だ。いつも己の力不足に落ち込み、影で涙を流していることを知っているが、慰めてもやれないことを申し訳ないと思う。だからこそ、兄ヨハネスが立太子したら、大事にしようと思っていた。



 だから、兄の立太子前に悪い膿をまとめて排除するために動きだそうとしたこの時期に、こんなことになるなんて父も兄も俺も、思ってもみなかった。

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