第九話

 あの時、無心で記憶のないままに魔王を討伐し、そのまま命を捧げられていたらよかったのに‥‥‥。


 その後は、自分の不甲斐なさや愚かさに絶望し、時々(アンヌにより)記憶をなくしながら、ただ―――生きていた。


 不思議と家族はそっとしておいてくれた。後で聞いた話では、歴代の勇者も同じように封印後は同じような気の抜けた(と思われている)状態になるらしい、と国から聞かされていたようだ。勇者の功績を汚すようなこの情報は、勇者の家族のみに開示され、他には一切秘匿さる、らしい。


 同じような状態か‥‥‥。わかるよ。勇者だからこそ痛いほどわかる。今までの勇者全員が、同じように後悔し絶望していたからなんだって。でも、この愚かな己ほどではないだろう。確かに感じた“討伐できていた手応え”が、意志の弱さや愛する女への欲望で、一瞬の内にちりと化して消えてしまったのだから。


 記憶を引き継ぐ次の勇者はどう思うだろうか?

 馬鹿?

 情けない?

 軽蔑する?

 蔑む?


 いっそ、世界中に己の愚かさを叫んで、罵倒されて、お前のせいだと責められればどんなに良いだろう。

 だが、それは叶わない。


 ―――勇者の誓約


 勇者になると同時に、魔法的な誓約がかかる。一切の情報を他言できない。魂に刻まれるその誓約は、破れば命を以って罰を受けることになる。


 そんなある日、アンヌから手紙が届いた。


 “伯爵様から伺いました。私といる時は興奮してヨハンは正気ではなく、私といない時は腑抜けてしまって心あらずでヨハンは正気ではない、と。一体あなたはいつなら正気なのです?だからこうして手紙を書きました。私が目の前にいないから正気で読めるでしょう?何があなたをそうさせているのか私にはわかりません。ですが、ひとつだけわかります。私を幸せな花嫁にするのはヨハンだけだと。そろそろ正気にお戻りなさいな。勇者として恥じぬように。お返事待ってますわ”


 アンヌの手紙で正気に戻った。

 それからすぐに、アンヌに手紙をしたため、父にあと三月みつきだけ自由にさせて欲しいと願い許可をもらった。


 勇者の記憶は便利だ。

 勇者となった時に流れ込んだ歴代の勇者の記憶が、まるで自分の過去の記憶のように思い出せるのだから。例えば、昨日の夕食は何を食べたっけ?あぁ、そうだ、昨日は肉の煮込みだったな。おかわりをしたなぁ。という感覚と同じようにのだ。

 そうして、はじめの一月ひとつきは、最初の勇者からヨハンの前の勇者までの記憶を一人一人辿っていった。


 この世界には神は一柱だけだ。

 魔道士の中でも治療魔法と回復魔法は、生まれ持った“素質”がある者しか使えない。その“素質”とは―――神を感じること。実際、彼らは幼い頃から身近に神を感じて生きていると言う。なので、この世界では、“素質”のある彼らの感じる神が唯一神だと言われている。

 そんな彼らは、国に仕えようが、傭兵であろうが、どんな職業に就いたとしても、必ず神殿の聖職者という一面も持つ。聖職者が言うには、勇者とは神が遣わした救世主なのだとか。魔王に対抗できる聖なる力を神がお与えになってくださった、と。最初の勇者の記憶を引き継ぐ自分は、真実を知っているが、当然教えることはできない。

 ともかく、聖職者とは、神の次に勇者を神聖視する傾向があり、それ故、勇者関連情報をどこよりも持ち合わせているのだ。

 だから、過去の勇者たちの魔王封印後の資料や情報を教えて欲しいと頼みに神殿を訪ねた。


「やはり勇者ヨハン様いらっしゃいましたか」


 神殿を訪ね、勇者として恐怖を感じるほど狂喜乱舞された後、訪ねた目的を告げると神殿長がそう言った。


、とは?」


「実は、歴代の多くの勇者様は、皆様同じように神殿を訪れていらっしゃるのです」


「‥‥‥そう、ですか」


 歴代の勇者たちも、封印年数に差はあれど、考えることは同じなのかもしれない。


「はい、勇者ヨハン様もいらっしゃる可能性を考えておりましたので、ご準備させていただいております。ご案内致しましょう」


 案内された部屋は、同じように訪れるだろう勇者専用の部屋だと言う。整然と並ぶ書物達。膨大な量が収められていた。一冊手に取り、早速パラパラと捲ってみると、どこから得たんだ?と勘ぐりたくなるような個人情報が満載だった。聖職者恐るべし。勇者と言っても過言ではない。

 勇者の対象が自分でもあるのだと思い出し恐怖を感じてはいるが、背に腹は代えられないというか、さっきの歓迎ぶりに、よく見ると神殿長の目もギラついており、諦めるほかなく考えるのをやめた。


 こうして、二月ふたつきの間、読み進めた歴代の勇者たちの物語。

 ほとんど例外なく、皆が皆、おおまかには同じ行動をしていた。いや、同じ目的のため―――ただ、生きたのだ。対価として使えなかった残りの命を。


 神殿に尋ねる前から、答えは決まっていた。答え合わせのような結果で、静かに涙を流した。


 それからは、目的のために―――生きた。

 アンヌと結婚し(光り輝く女神を見た後から記憶がない)、子宝にも恵まれ、父の跡を継ぎ、当主として責務を果たし、子に跡目を引き継いだ。だが、他の引退後の貴族家の当主とは違い、引退後も休まず目的を果たしながら、ただ―――生きた。愛する妻が先に逝った後も、尽きるその日までそうだと思っていたのだが‥‥‥。



『お‥‥‥お祖父様!私が、私が‥‥‥勇者に選ばれました!!』



 孫のアルフレッドが―――勇者―――に選ばれた。



 頭が真っ白になり、ふらふらと自室に引き籠もった。

 情けないことに、勇者として記憶を引き継いだ孫アルフレッドに、どう思われるのかが怖かったのだ。

 孫のアルフレッドは、私が勇者となったことで勇者に誇りを持つ血族の誰よりも勇者への憧れが強い子だ。


 私に失望しただろうか?

 勇者の真実を知って受け入れることができたのだろうか?

 かわいいかわいい孫も命を捧げなければならないのか?


 孫には、勇者になってほしくなかった。

 同じ重みを背負ってほしくなかった。


 コンコン、というノックで正気に戻ると辺りは暗く、アルフレッドが部屋に訪ねてきた。

 訪ねてきた孫は思いもよらぬことを言う。


『お祖父様や他の勇者の方々の伝え聞く話と、私が勇者となった時の状況が違う気がするのです。聖剣となり光ったのは、私が使用していた剣ではないですし、目が開けられないほどの眩い光でもなかったのです。聞いていた話と全然違うのです。さっきそれに気付いて、私は不安で不安で‥‥‥』


『私は本物の勇者なのでしょうか?』


 おかしい!あり得ない!

 今まで何度も何度も反芻した歴代の勇者の記憶のどれにもない状況でアルフレッドは勇者となっていた。

 そもそも、勇者となっていれば、私に対してこんな反応を私に見せるはずがない。


『―――アルフレッド、聖剣から光が溢れた時、何を感じた?』


『感じ、ですか?何かが私の中に入ってくような、遠くで言葉が聞こえるような感じがしました。なんとなくですが、微かな意志を感じた?みたいな。あと、力が溢れ出すように漲ってきました』


 想定外だった。

 まさか、だなんて。

 だから、無意識に破ってしまった。


『あの聖剣を手にしたら、聖剣から―――』


 勇者の誓約―――を。

 通して与えられる力で勇者の記憶を引き継ぐのだ、と。そう、口に出そうとしてしまったのだ。


 そこから尽きるまで、一瞬が長く長く感じた。


 手を広げられる範囲は確実に、手を伸ばす範囲はできるかぎり精一杯に。

 あれから、考えられる限り、私が守った今生きている人々のために尽くしてきた。それが、贖罪であり、残りの命を捧げる目的だった。

 伯爵領を豊かにし、飢えや貧困をなくし、犯罪や不正を未然に防ぎ、学ぶ機会をより多くの民に与え、金がなくて救えない多くの命に金を払い。勇者となって得てしまった地位と権力を使い、精一杯尽くしたはずだ。

 少しは目的を果たせたのだろうか?


 誰一人破ることのなかった勇者の誓約を唯一破ってしまった。しかも無意識に。

 これじゃ、魔王を討伐し損ねた時と同じじゃないか。

 この年まで生きて尚、周りが見えなくなる性分は治らないようだ。


 アルフレッド、君はどんな勇者となるのだろう?

 異常な、唯一の、勇者の記憶を引き継がない―――勇者。

 もしかしたら、私達と違う結果を得るのだろうか?


 なら、私の女神に願おう。―――願わくば、孫に幸せな結果を―――アンヌ、私の女神よ。



 勇者ヨハンは、その結果を見届けることなく逝った。

 ヨハンの女神は本当の女神なのかもしれない。なぜなら、その願いは―――。

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