第五話

「おい、こんな夜中にどうした?迷子か?家出か?喧嘩でもしたか?嫌なことでもあったのか?」


 肩を揺すり、知らない男が声をかけてきた。

 切れ長の目の強面の男で、怖くて思わずビクリと両肩が上がった。だが、よくよく見ると、顔は全然笑ってないし顔も怖いはずなのに、父や母が僕を心配してくれている時の目によく似ていると思った。


「嫌なことが、あって‥‥‥」


 優しい目だったので、思わず答えてしまった。


「そうか。帰るところはあるのか?」


「孤児院。でも、帰りたくない」


 そう答えると、男は何か考えているようで、しばらくしてから「ならまだ帰らなくていいさ」と言い、隣に腰掛けてきた。


「その嫌なこと、話したいなら話せ、ちゃんと聞いてやる。話したくないなら話さなくていい。でも、隣りにいてやるから。一人はよくないからな」


 そう言った、強面の男は、優しい目をやっぱりしていた。

 なんだか理由はわからないけど、この男の隣は安心することが出来、しばらくその居心地の良さに浸る。その間、男はただ隣りにいてくれた。だから、ポツリポツリと言葉が漏れ出る。


「ここの領主に父さんも母さんも弟も殺された」

「野盗に襲われて村で生き残ったのは僕だけだ」

「野盗は領主がお金を返したくなくて雇ったんだって」

「弟‥‥ジョイを守れなかった」

「母さんが“生きろ”って言ったから、死にたくても死ねないんだ」


 あの日から誰にも言えなかった嫌なことや不満を、後悔を、取り止めなく言葉として垂れ流す。その間、ずっと「ああ」とか「そうか」とか、短い相槌だけで僕の話を聞き続けてくれた。あらかた言い終わると、最後にこう言った。


「この領にいたくない」


 すると、男はこう言ったのだ。

 お互い名も知らないのに。


「いたくないならここから離れた遠くへ連れてってやる。この領にはいなくていい。俺の子になれ」


 びっくりして思わず隣に座る男を見ると目が合った。それは、やっぱり優しい目で「うん」と答えていた。


「じゃあ、今日から俺はおまえの父ちゃんだ。息子よ、名前を教えてくれ」


「マルク」


 男は僕を抱きかかえ、泊まっているという宿に連れていくと、食事を与えてくれた。次の日は「ここでちょっと待ってろ」と言い、しばらくして戻ってきたら、孤児院に僕を養子にする許可を貰ってきたと言う。あっという間に物事は進み、半月後には、僕は隣国のそれなりに大きい街の外れにある少し小高い丘の上の家に男と住んでいた。


 男の名前はレイス。元騎士で、何年か前に騎士団を辞めたらしい。

 出産で肥立ちが悪く奥さんを、予定より早く産まれたことで息子さんを一月の間に相次いで亡くした僕と同じ天涯孤独の人だった。

 小さな畑を一緒に耕しながら、たまに傭兵の仕事をしながら、僕に寄り添って育ててくれた。

 男は強くないといかん、と言い、剣も毎日教えてくれた。

 気付けば男と暮らしだして一年。言いたいのに言い出すきっかけが掴めず、ある日の朝、思い切って言ってみた。


「おはよう、と‥‥父ちゃん」


 ガバっと抱き上げられ抱きしめられた。苦しいし恥ずかしくて、離してって言ってるのに離してくれなくて、大人しくしていると父ちゃんが泣いているのがわかった。


「ごめんなさい‥‥泣かないでよ‥‥‥」


「すまんな、泣いてない。嬉しくて涙が出てるんだ」


「涙は泣いてるからでるんじゃないの?」


「父ちゃんは泣かないから違う」


 はじめて声に出して「父ちゃん」と呼んだ僕の父ちゃんは、泣いていないのに涙が出る人だった。


 父ちゃんが言ったんだ。もしも生き残ったのが弟のジョイだったら、ジョイには幸せになってもらいたいだろ?生き残ったのはマルクだ。おまえの父さんも母さんも弟もおまえが幸せに生きてほしいと思うはずだ、と。

 それからの日々はただただ幸せな毎日だった。


 父ちゃんの息子になってから八年。十四歳になったある日、俺の家の前に立派な馬車が停まった。

 使用人が「レイス様はいらっしゃいますか?」と聞いてきて、俺は慌てて裏の畑の父ちゃんを呼び行く。どうみても貴族の馬車だ。生憎、貴族には良い思い出はない。


「レイスは私ですが、どんな御用でしょう‥‥」


 父ちゃんが答えると、使用人は恭しく「我が主よりお聞きください」と、馬車の扉を開けた。

 中から出てきたのは、立派な貴族服を着た線の細い爺さん。それから、更にもう一人馬車から降りてきた。


 妖精だった。


 キラキラと輝く金色の髪の毛。空のような丸い瞳。透き通った白い肌。俺よりずっと小さくて折れそうな細い体躯。春の草原みたいな綺麗な色の服がヒラヒラとしていている。


「おい、マルク、挨拶しろ」


 そう、父ちゃんに小突かれて、慌てて名乗る。俺はどうやら意識が飛んでいたらしい。


「先日は大事な孫娘のアイラを助けて頂いて何とお礼を言ったらいいか‥‥‥。本当に、本当にありがとう。レイス殿はアイラの命の恩人です」


「いえいえ、当然のことをしたまで。お礼などと‥‥‥」


「いえいえいえ、何でもおっしゃってください。お礼がしたいのです」


「いえいえいえいえ、大げさです」


「「いえいえいえいえいえ―――」」


 父ちゃんと貴族の爺さんがやり取りしている間の話はとんと耳に入らず、俺は目の前の妖精が妖精ではなく貴族の爺さんの孫娘だと、人であると言うことが理解できずに一人狼狽え混乱していた。

 人なのか?!妖精じゃないだと??!


 そして気付けは、目の前の妖精は消えており、父ちゃんも畑に戻り、玄関先で一人突っ立っていた。

 あれ?


 その日の夕食は、父ちゃんと俺、エイダンさんと言う人と囲んでいた。

 実は、このエイダンさんは、俺と父ちゃんの母国―――今は隣国―――の騎士団の副団長補佐をしている父ちゃんの元同僚。この街には王族の護衛として数日前から滞在していると言う。昨日、たまたま街中で父ちゃんと再会し、たくさんの手土産を持ち遊びに来てくれたのだ。


 父ちゃんとエイダンさんは、お酒も進み、思い出話で盛り上がっている。俺も知らなかった父ちゃんの騎士時代の武勇伝の数々。聞いているだけでわくわくしてとても楽しい。

 ただ、このエイダンさんの目はあまり好きに慣れそうにない目だ。笑っているのにどこか笑っていなくて少し怖いのだ。


「そういえば、レイス、家の前に馬車の跡があるな。誰か来ていたのか?」


「ああ、気付いたか。実はな、この街の前領主の孫娘をたまたま先日助けてな、その礼を伝えに昼間来てくださったんだ」


 え?あの爺さんって前領主なの?ってことは妖精はここの領主の娘か?!


「それはすごいな。助けたって、何があったんだ?」


「街をお忍びで楽しまれていた娘さんを狙っていた暗殺者っぽい男を捕まえただけだ」


 え?暗殺者に妖精が狙われてたの?え、待って、暗殺者捕まえたっていつのは話だよ。最近?その話父ちゃんから聞いたこともない。ってか、俺の父ちゃんかっこいい!


「だけって、おまえなぁ。で、礼は何を貰ったんだ?」


「ちょっと贅沢な食事ができる程度の金だ。それよりマルク、おまえはそろそろ寝ろ。酒が入ると長いんだよ、こいつは」


「あ、うん。おやすみ父ちゃん、エイダンさんもおやすみなさい」


「ああ、おやすみ。マルクくん」


 にっこりと笑うエイダンさんの目が、過去の嫌な目と重なって見えた。

 寝支度をし、ベッドに潜り込むが、エイダンさんの目で嫌な過去を思い出して全然寝付けなかった。

 ウトウトも出来ずそれから一時間ほどして、居間から重いものが落ちる音がした。

 嫌な予感がして、音を立てないようにそっとベッドから降り、部屋から出て居間の前の廊下で耳を澄ませた。


「やはりな、おまえは昔から隠し場所が変わってないな」


 エイダンさんの声だ。それから金属の擦れるカチャカチャという音がした。


「最後に教えてやるよ。おまえが退団した横領な、あれは俺だ。俺の罪を被ってくれてありがとな。まんまと嵌められて気づきもしない。昔から目障りだったんだ。いい話が聞けたろ。冥土の土産だ」


 その言葉を聞いた瞬間、ドアを開け居間に飛び込むと、床にうずくまる父ちゃんがいた。顔を真っ赤にして、大量の汗をかき、口から血の混じった泡を吹いている。


「父ちゃんっ!!!」


 父ちゃんに駆け寄ろうとすると、エイダンさんが立ち塞がり「おまえも死ね」と言うやいなや、俺に短剣を向けてきた。

 俺は、その一手を交わすと同時に、顎に下から拳を振り上げた。エイダンさんは、そのまま吹っ飛び、背中から倒れる。

 すぐに、父ちゃんに駆け寄る。


「父ちゃん、死ぬな!刺されたのか?傷は‥‥傷はない。毒か?盛られたのか?!」


 血の交じる泡をごほっと吐き出した父ちゃんは、かすれた声を苦しそうに出す。


「誰も信じるな」


「父ちゃん!いやだ、死なないでくれ!一人にしないでくれ!」


 この時、養父レイスは、人見知りで、父である自分以外には無口で、他人と関わろうとしないマルクにとんでもないことを言ってしまったと気付いた。


 騎士時代、若くして副団長補佐候補に選ばれ、順風満帆だった絶頂期、ある日を境に転げ落ちるように全てを失った。騎士団に出勤すれば、謂れのない横領の罪で拘束され、数ヶ月の尋問後、証拠不十分で釈放はされたものの、そのまま退団を余儀なくされる。

 連絡も取れず数カ月ぶりに家に帰れば、妊娠中の妻は心労で青い顔をしており、半月後、早産で産まれた初めての我が子は、壊れてしまいそうなほど小さく、生後数日で儚くなった。更に追い打ちをかけるように、産後の肥立ちの悪い愛する妻は、息子の死に嘆き、さらなる心労で、後を追うようにその半月後に儚くなった。

 全ての不幸の原因となった謂れのない横領の罪。

 若くして副団長補佐候補に選ばれた妬みからだろうと思うが、退団した自分ではもう調べることすら叶わず、やり場のない怒りだけが膨れ上がっていった。

 それから傭兵をしながら定住せず各地をフラフラと彷徨うような生活を十年ほど続けた。

 金がなくなれば傭兵として仕事をし、過去を悔いるだけの日々。

 そんな時、立ち寄った街で、亡くなった妻や息子とそっくりの少し赤毛よりの茶髪の小さな男の子が泣いているのを見かけた。近くによると、亡くなった妻や息子と全く同じ、色合いの髪だった。

 気付けば声をかけており、聞けばなんとも悲し境遇に置かれており、自分と同じ天涯孤独の少年だった。

 そして、守りたい、幸せにしたいとその場で自分の息子とすることを決めた。

 しがらみの多い母国を離れてからの幸せな日々。

 なのに、不幸の元凶が、当時親友だと思っていたエイダンだったとは思ってもみなかった。

 だから、不用心にも酒に毒を盛られていたとは知らずに、手酌に警戒もなく礼を言い、一気に毒の酒を飲み干してしまっていた。

 体はしびれ、言うことを聞かず、何も出来ずにまた嵌められ、更には倒れる己の目の前で、部屋を漁られ前領主に貰った礼の大金まで盗まれる始末。

 一気に怒りと、自分の不甲斐なさに情けなくなり、頭に血が上り言ってはいけない言葉を言ってしまう。感情的に愛する息子のマルクに「誰も信じるな」なんて言葉をかけるなんてひどい父親だ。

 違う、今のは違うんだ!マルクには信じ合える相手を見つけてほしい!幸せになってほしいんだ!

 言い訳しようにも口がうまく回らないし、どうやら命の灯火も消えかかっているのを無情にも感じてしまう。頑張れば一言くらいは口を動かせるかもしれない。


「マルク‥‥‥愛して‥る」


 父ちゃんは、最後にそう言うと、事切れた。


「あああ、父ちゃん、なんで?俺も愛してるよ!死ぬなよ!いかないでくれよ!!!」


 父ちゃんの広い胸に縋るが、もう父ちゃんは動かなかった。

 絶望と同時に怒りが湧いた。


 床に伸びているエイダンという名のごみを担ぎ、丘を下った森に入る。木々の間から見え隠れする月明かりに照らされた道なき道を進み、小川近くに塵を放り投げた。

 塵は、その衝撃で目を覚ます。


「お‥‥おまえ、ここはどこだ?俺を誰だと思っているんだ!あっ‥‥‥」


 塵の声をこれ以上聞きたくなくて、まずはその喉を拳で殴りつけ潰す。頭、心臓、鳩尾の三箇所を執拗に殴り続けると、塵は静かになった。

 小川で手を洗い、急いで家に戻り、畑で使っている鍬を持ち、塵のいる小川沿いに戻ると、深い穴を掘って塵を埋め立てた。

 それから、鍬を持ち、数日前に見つけたイノシシの巣穴からイノシシを引きずり出し、鍬で一撃を加えて担いで小川に戻る。

 塵を埋めたその上にイノシシを投げ落とし、もう二撃ほど加え、十分にイノシシの血が塵の埋まっている土に染み込むのを確認したら、小川で丁寧に鍬を洗い、ついでに服を脱いで、付いていた塵とイノシシの血をよく洗い落としてから、自分の体も洗った。


 イノシシで誤魔化せるだろうか?


 昔、領兵に聞いた「犬」を思い浮かべながら、家路に着くと、乾いた服に着替え、街の衛兵の詰め所に駆け込む。

 父が毒を盛られ殺されたと話し、衛兵たちと家戻る。父の知り合いで食事をしにきていたエイダンのことを話し、盗み聞いていたエイダンの話を全て正確に伝えた。

 父に冤罪の罪を被せ嵌めたのがエイダンだったこと、今日の昼間、前領主に貰った父への礼の金を奪おうとしていたこと、毒殺したこと。


「それで、そのエイダンという男は今どこにいるんだ?」


「短剣で殺されそうになったので、反撃し、俺が殴って一度は床に伸びていたんですが、意識を取り戻して殴りかかられて、それに応戦して、殴り合っていたら、隙をついて逃げられました。丘を下っていったみたいなので、森の方でしょうか?絶対に許せません!必ず捕まえてください!」


「わかった。それより、君の拳、痛いだろ?手当をしよう」


 衛兵の人が、血まみれ傷だらけの拳の手当を丁寧にしてくれた。警戒していた犬はどこを見回してもどの衛兵も連れていなかった。


 次の日、自分が渡した金のせいで‥‥‥と、前領主が泣きながら訪ねてきた。やはり貴族なんて関わるものじゃない。その前領主の横には、昨日見た妖精に似た人がいたが、ただの人だった。昨日の妖精は見間違いだったのだ。妖精なんているわけがない。


 葬儀を終える。


 俺は、これで四人の家族を失った。

 幸せは壊れる。善人が割りを食う。

 俺の大事な人は、愛した人は、死んでしまう運命なのだ。


 父ちゃんは言った。俺に言ったのだ。消えゆく命の間際に「誰も信じるな」と。




 だから俺はもう誰も信じないことに決めた。誰も愛さない。一人で生きて行く。

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