最後の勇者に一番近かった勇者マルク

第四話

 その日は、いつも通りの朝だった。


 朝から畑の手伝いをし「朝ごはんよ~」と言う母の言葉で家に戻る。父と母と弟と共にパンとスープで朝食を取り、また畑の手伝いを昼までして「お昼よ~」と言う母の言葉で家に戻る。チーズと野菜を挟んだパンを、弟が「お肉はぁ?」と少し不満を漏らしながら家族で食べ、その後は、弟を連れて近所の子供たちと遊ぶ。遊び疲れて日が傾いてきた頃「ごはんよ~」と言う母の言葉で家に戻る。パンと少し肉の入った野菜が多いスープに、今日は一口だけど、久しぶりに蜂蜜を舐めさせてもらえた。夏ももう終わりだが、まだまだ汗ばみ、井戸の水を父と弟と被り、体を清め、ひとつのベッドで弟と一緒に丸くなり眠る。


 そう、本当にいつも通りの一日だと思っていたのだ。


「マルク、マルク、起きてちょうだい」


 体を激しく揺すられ、ぼやけた視界を頑張って広げようと目を擦ると、泣いているような怒っているような母の顔があった。


「盗賊よ。すぐにジョイと隠れて。お兄ちゃんでしょ。生きるのよ。必ず生きるの」


 その言葉に、すぐに意識が覚醒する。どうしようもない絶望が襲いかかるが、何かを考える暇なく、まだ寝ているジョイを抱えた母に手を引かれ、狭い食料庫に掘られた、通常なら冬に備え根菜を保存する穴に弟と共に押し込まれた。


「愛しているわ。必ず生きて。生きるのよ」


「母さん‥‥‥僕‥‥」


 話を遮るように、上から板を、多分その上に木箱だろう何かが載せられ、弟と共に狭い穴に隠れることになった。真っ暗で一切の光も見えない。弟はまだ起きない。弟をタオルケットごと抱きしめる。その小さな体と高い体温を感じ、現実が音と共に押し寄せてきた。


 遠くで漏れ聞こえる悲鳴や怒号。地面から伝わってくる大きな地に響くような低い騒音が、地面より下にあるこの狭い穴だからこそ余計に肌を通じて強制的に感じさせる。

 ドゴっ、ドオンという、鈍い大きな音がした。男が叫んでいる。片方は父だ。悲鳴や騒音が邪魔して何を言っているのかは聞き取れない。

 腕に抱いた弟が体を捻る。まだ寝ている。起こしては絶対にいけない。

 タオルケットごと抱きしめた弟の耳を布越しに塞ぐ。これから聞こえるだろう音を絶対に聞かせないために。

 その直後だ。短い悲鳴が聞こえた。

 母だ。

 ドゴンドゴンと大きな音がして、ドンという音が聞こえた。

 誰かこの食料庫に入ってきたのだ。

 頭上の木箱がずさっと動く音がする。木箱の蓋を開けたのだろう。ガサゴソと音がする。

 より弟を抱きしめ、弟の耳を強く塞ぐ。

 心臓がバクバクと音が聞こえそうで、唇が震え歯がカタカタ鳴りそうで、慌てて弟を包んでいるタオルケットの端をがぶりと噛み、歯の音が鳴らないようにする。

 余計なことは何一つ考えられない。ただ、どこか行ってくれ!いなくなれ!とひたすら祈る。

 食料庫に入ってきた誰かが、やっとどこかへ遠ざかる音が聞こえた。

 耳を澄ます。遠ざかり小さくなる足音を拾い続ける。

 この家からは脅威が去ったのだろう。家の中からは音が消えた。

 でも、外からは相変わらず悲鳴と騒音。まだ脅威は去っていない。

 それから少しして、悲鳴聞こえなくなった。

 でも、たくさんの人の気配や音がまだ聞こえる。

 そのまま耳を澄ましじっと耐えていると、真夜中なのに、真っ暗な土の中に光が射した。

 貼り合わせた板の隙間から見えるその光の色は、赤みを帯びている。

 太陽の柔らかい陽の光じゃない。暖炉の火が燃える時の光の色だ。


 ―――家に火を点けられた


 逃げないと、と膝に力を入れるが、弟の重さに頭が冷える。

 今出たら殺される。まだその時じゃない、とそう思ったと同時に、遠くから甲高い子供の悲鳴が小さく聞こえた。火を見て隠れていたところから逃げたのだろう。やはり、まだその時じゃない。

 焦げ臭い匂いがしてきて、煙がうすく漂い出した。

 少し、高い温度を頭上から感じだした頃、大きな音と衝撃が土を通して伝わる。多分、家の一部が崩れた音だ。

 まだだ、もう少し、もうあと少し我慢だ。

 煙で喉と目が痛みだし、どんどん温度が上がっていく。幸いなことにまだ弟は起きていない。

 どのくらい時間が経ったかわからないが、限界が来た。

 この食料庫の裏は林になっている。走ればすぐだ。どうにか林に逃げ込めさえすれば‥‥‥。


 頭上の板を力いっぱい押す。あちらこちらで家が崩れる音がしているので音を出しても今は大丈夫だ。

 母が考えてくれたのだろう。板の上に乗っていたのは、空の木箱だったようで、板ごと持ち上げることが出来た。

 穴から弟を抱えつつ顔を出せば、食料庫の扉が燃えて崩れかかっており、林側の壁は一部だが既に崩れていた。子供なら十分に通り抜けれる。火も扉側よりは弱く見える。


 穴から出て、弟を抱え直し、全速力で走る。

 髪の毛がチリリと焼ける音がする。崩れた壁に腕を引っ掻き、強い痛みを一瞬感じた。


「ガキが残ってた!」


 男の大声で振り返ると、思った以上に近い場所にいる男と目が合う。

「待て!」という声が響くが、無我夢中で林に飛び込んだが、あっという間に追いつかれて肩を鷲掴みにされ後ろに引き倒される。

 尻が痛むが、歯を食いしばって背中を丸め、更に体を丸めて弟を抱き込み地面にうずくまる。


「何抱えてんだ、よこせ」


 そう言うと同時に頭に強い衝撃がして、痛みと同時に意識が途絶えた。




 ガヤガヤと煩い声が聞こえたかと思うと、ずきりと頭が痛み一気に目が覚め目を瞑る。

 それから、片目を開けると、知らない顔がこちらを覗き見ていた。


「気が付いたか、坊主」


 誰だろう?疑問に思いつつも、上半身を起こし、周りを見回して知る。

 隊服を着た領兵達が、せわしなく動き回っている。今さっき声をかけてきたこの人も領兵だ。

 助けられた‥‥‥。

 助かった、という安堵と希望を感じるも、昨日必死に守った弟のぬくもりが腕にないこと気が動転する。


「弟は?ジョイは、ジョイはどこ?ジョイ‥‥ジョイは?」


 領兵に飛びついて、隊服を掴みながら弟の行方を尋ねる。見回した限り見当たらないのだ。


「弟がいたのか‥‥‥。ごめんな、坊主」


 その言葉に、さっきまであった希望が絶望に変わった。

 父さんが殺された。母さんも殺された。ジョイも殺された。

 なのに、なぜ僕は生きている?


「あああああああああ」


 絶叫と共に僕は泣き叫んだ。領兵が抱きしめてくれたのを知ったのは、泣き疲れた頃で、泣き叫んだ記憶もないほどの絶望を感じていた。

 それから数時間、ずっと僕は抱きしめてくれた領兵にしがみついて離れることが出来ず、やっと少しの正気を取り戻した時に、その領兵が教えてくれた。


「生き残ったのは、坊主とあと二人。田舎から職を探しに王都に向かう途中で、たまたまこの村に一泊世話になっていた男とその息子だけだ」


「そう、ですか‥‥‥」


「他の村に親戚はいるか?」


「親戚はみんなこの村でした」


「そうか‥‥‥」


「名前と齢を聞いてもいいかな?」


「マルクです。六歳にこの前なりました」


 それから短い質問を繰り返され、ポツリポツリと答えていく。徐々に昨日の話になるが、感情なく機械的に平坦にただ受け答える時間が続く。そしたら、


「盗賊は全員倒したし捕まえてある。仇は取ってあるよ」


 領兵がそう言うので「本当に全員?」と聞いてみる。


「犬を使ったからね」


「犬?なんで?」


「犬ってのは、人よりずっと鼻がいいんだ。火事の中だって人の匂いを嗅ぎ分けられるし、逃げても匂いを辿ってどこまでも追いかけるんだ」


「犬ってすごいね」


「ああ、だから残党はいない。まだ生きて捕らえてある盗賊も明日には全員縛り首だ」


「よかった」


 それから数時間して「お墓が出来たようだ。祈りに行こう」と、その領兵は僕を抱きかかえて焼け焦げた村を移動した。

 村の奥にある林に隣接したこの村のむかしからある墓地の横に、真新しく掘り返されたばかりの水分を含んだ土が、広い範囲に若干盛り上がっている。


「火事だったからね。誰が誰だかわからなくて、この村のみんな一緒に埋めたんだ」


 領兵の「一緒」という言葉に、僕がその中に含まれていないことに再度絶望する。

 母さんは「生きて」と言った。死んで「一緒」になりたくても生きている僕は生きないといけないから死ぬことすらできない。だから絶望した。


 領兵にしがみついて、今度は声を押し殺しながら泣いた。泣き疲れ、次に目を覚ました時には、荷馬車の中だった。そのまま運ばれ、次の日に領兵達の兵舎に着き、食事をもらい寝て、更に次の日は、朝起きて食事をしたら、領兵に手を引かれ、兵舎の建物の外へ出た。


「君がマルクだね。私はこの領の領主だ」


 初めて見る貴族だった。立派な身なりで、どこにも汚れがない。ニコリと優しそうな目で僕を見て微笑んでいるが、その目は、ちっとも笑っているように見えなくて少し怖い。

 ずっと側に居てくれた領兵が、領主様にご挨拶して、と背中を押すので答える。


「‥‥‥マルク、です」


「大変な目にあったね。助けが間に合わなくてすまなかったね。君がもう少し大きくなったら、訪ねておいで。必ず覚えておくから。我が領の領兵になってもいいし、うちの使用人になってもいい。働き口を必ず用意するよ」


「ありがとう、ございます‥‥‥」


 その後、領兵が「さすが領主様だ」とか口々に言っていて、みんながみんな、僕に「感謝するように」と次々に告げていく。

 そして、その日の内に、領内の孤児院に僕は引き取られた。


 孤児院には、親を亡くしたり捨てられた子供ばかりだったが、その中に家族を殺された子供は僕一人だった。

 しかも、つい最近起きた事件で村が全滅したという噂と、たった一人生き残った子供がいるという噂で、来て数日後には、年長の孤児院の子供達に絡まれるようになった。


「お前が生き残りか。村が全滅したってどんな事件だったんだ?」

「なんでお前生き残れたの?奇跡みたいだな!生き残れてすごいよ。どうやったんだ?」


 詳しい経緯は知らないようで、根掘り葉掘り僕に絡み聞き出そうとしてくる。

 ただの興味本位で悪意がないのが感覚的にわかり、それに、こいつらも家族が居ないんだなと思うと、強く言い返せず、僕はただ無言を貫くことしか出来なかった。

 そうして数週間過ぎ、やっと絡まれなくなった頃には、無口な奴と思われ、誰も話しかけてこなくなっていた。

 そうすると、一人でいる時間が長くなり、考えるのは殺された家族のこと。特に考えるのは、守れなかった弟ジョイのことばかりだ。


 僕が気を失った後、ジョイはその場で殺されたのか?

 泣いただろうか?

 痛かったよな、痛かっただろうな。

 逃げていた時もジョイは寝ていたように思う。タオルケットに包んでいたから本当に寝ていたかはわからないけど。もしかしたらずっと起きていたのかもしれない。泣き声も出さず耐えていたのかもしれない。

 あの時、もう少し食料庫が崩れ落ちるギリギリまで僕が耐えていればジョイも助かったのだろうか?


 毎日のように、あの日を頭の中で繰り返す。

 何を間違ったのだろう、と。


 そうして、二月ふたつきが過ぎた頃、事件を教えろと絡んできていた年長の子達が、慌てたように僕にある情報を教えてきた。


「おい、マルク。ちょっと来い。大人から教えてもらったんだ。お前の村を襲った盗賊はただの盗賊じゃなかったらしいぞ」


「‥‥‥」


 年長の子達に、庭の隅で囲まれて次々と話し出す。


「うちの領主様の娘さんが、隣の領主さんの娘さんの婚約者を横取りしたんだと」

「そうそう、婚約者ってわかるか?結婚の約束ってことだ。約束した人が、婚約者ってこと」

「それで怒った隣の領主が、なんとか料?っていう、横取りしたからごめんなさいってお金を払えって言ってきたみたいでさ」

「なに料だっけ?」

「さあ?忘れた」

「すっげえ大金らしいぞ」

「そうそう、それで、払いたくないうちの領主様が、マルクんとこの村、隣の領と一番近い村だろ?だから、盗賊を雇って襲わせて、何も悪くない隣の領主が仕返しに、戦を仕掛けてきたって噂を巻いてんだと」

「で、それが嘘だってバレたらしい」

「そうなんだよ、今すごい噂になっててよ。ってか、ひど過ぎるだろ、うちの領主様」

「ああ、ホントだよ。金払いたくないからって、自分で盗賊雇って自分の領民を殺すなんてさ」

「ひどいよなー」


 頭が真っ白になった。

 お金払いたくなくて、僕の家族は殺されたの?

 その領主って僕にこう言ってた人だ。


『大変な目にあったね。助けが間に合わなくてすまなかったね。君がもう少し大きくなったら、訪ねておいで。必ず覚えておくから。我が領の領兵になってもいいし、うちの使用人になってもいい。働き口を必ず用意するよ』


 自分が殺したくせに、立派な人みたいなふりをして、なんてやつだ。

 それに、僕は『ありがとうございます』なんて、答えてしまった。あんな人殺しに、家族の仇に礼を言うなんて‥‥‥。

 僕は再び絶望し、年長達を押しのいて、泣きながら宛もなく走り続けた。


 ぜえぜえと息を切らしながら、目に付いた木箱の隣に腰を下ろした。

 ここがどこかもわからないが、どうでもいい。

 死んでしまいたい。本気でそう思った。でも「生きて」という母の最期の言葉が浮かぶ。

 ねぇ、母さん。なんで僕は生きなくちゃいけないの?

 死んじゃだめなの?

 どうして生きなくちゃいけないの?


 陽も落ち辺りが薄暗くなったが、僕はただただ膝を抱えて絶望するしかできなかった。

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