放課後少女のミズヒ【G’sこえけんボイスドラマ】
大外内あタり
放課後少女のミズヒ
彼女を――アマバミズヒを一言で言うなら「ボッチ」だ。
一緒に帰る友達もおらず、放課後を無意味に消費している。
たまにある補習も、その背中は気だるげだった。
「ねえ、時間ある? なら、ちょっと話さない?」
そんなある日、俺はアマバに話しかけられた。
一瞬、自分に話しかけられたのか分からなくて周囲を見渡してしまう。
「きみだよ、きみ。ボクはきみに話しかけているんだ」
「俺? なんのようだよ?」
アマバは「ボク」っ娘だったらしい。
よくよく見るとアマバミズヒという少女は、濡れ羽色の黒髪に、瞳には薄い朱を湛えている。浮世離れした容姿に、俺は驚いた。
彼女が人を避けているのではなくて、周りが彼女を避けているのではないか。
そこまで考えて、俺は、もう一度、アマバを見る。
「きみ、いつも暇そうにしているね」
「俺は、この夕方が好きなんだ。雨になると帰るよ」
「そうだね、きみは雨になると帰るらしい」
そりゃそうだ。夕陽が見えないのだから。
「いつもボクの背中を見ているじゃないか。視線を感じてるんだよ」
「……悪いな」
「ボクは物珍しいかい?」
どっちかと言えば「物珍しい」
放課後にも補習にも参加している人間なんて、早々いない。
そんなに素行が悪いとは聞いてないけれど、聞いたことがないだけで、本当は不良少女なのかもしれないのだ。
なんとなく、
「アマバは、いつも補習を受けているけど、頭が悪いのか」
「クックク、ストレートだね。そうだね、頭が悪いんだ」
「じゃあ、放課後、机に向かっているのは?」
「きみのように夕焼けを見たり、勉強をしているよ」
そうだろうか?
アマバが夕焼けを楽しんでいる姿を見たことがない。
そして勉強をしている姿も見ていたない。
何故なら、俺は後ろの席にいるし、丸見えなのだ。
そんなアマバは気だるそうに机に伏したり、ぼんやりと黒板を見ていたり、何を考えているのか分からない。
ただ夕陽が沈む、と思う頃に鞄を背負って帰っていく。
閉まっていた扉をカラリと明けて去る。
「帰る時は、きみに視線を向けながら帰るのだけど気づかれていなかったんだね。残念だ。すごくフラれた気分だよ」
「フラれたって。俺はもとからお前のことが好きじゃないよ」
「これは辛辣だね」
「ただの同級生だろ」
「そうだとも。きみとは同級生で接点は夕陽と補習だけだ」
「分かってるじゃないか。それ以上でも以下でもないだろ」
「ふーむ、ボクは、きみにそれなりの感情を向けているのだけど」
「困る」
アマバは、俺の斜め前にいたが、立っているのが億劫になったのだろう。
俺の前の席の椅子に横向きに座り、俺を見る。
「困るときたか。その原因を取り除けば、きみはボクに心を開いてくれるのかい?」
「ないな。俺はアマバのことをよく知らないし、これから知るのもおかしい」
「そんなことないさ。何事も知ることから関係が始まるんだ。ボクのことをどれだけ知っているか聞いていいかい?」
「……前にも言っただろう、補習常連で、夕陽をたまに見てる。世界一変わり者」
「それで?」
「それ以上のことがあるのかよ」
「例えば容姿なんて、どうだい?」
「今知ったよ、黒髪で目の色が赤みがかってて、まあまあ可愛い。スタイルもいい」
「おや、ベタ褒めじゃあないか」
「好きなる要素はないけどな」
左手を口元に持っていき、アマバはククと笑って目を細めた。
それは射抜くような凄みがあって俺の身体は震える。
「容姿から好きなる、というのは万人にあるものだと思うけど、きみのお眼鏡にはかなわないと言うことかな」
「俺が恋愛に興味がないからだ」
「ほう、ひとりが好きだと」
「恋愛とかめんどいだろ。色々会話しないといけないし、休みたい日も休めない。いいところと言えば「好き」だと思う相手と会話をして癒やしを求めるところだ。だけど、そんなに上手くはいかないし、癒やされると思わない」
「ふうん、一理あるというところだろうか。確かに恋愛は面倒くさい。相手に合わせないといけない部分が多いからね。それを考えると夕陽を見て黄昏れている方が幸せなのかもしれないなあ」
本日は晴天。夕陽は良好。
好みの日だ。それをアマバに邪魔をされるとは思ってもみなかった。
「例えば、今だよ。アマバがいるから俺の癒やしはめちゃくちゃになってる」
「的確だね。ボクは今、きみの邪魔をしている」
「だったら帰れよ」
「いやだね。ボクはきみと話がしたいんだ」
「話? さっきみたいな容姿やら好きやら、そんな話か? なら帰れよ」
俺には必要のない話だ。
ただ黄昏れていたい。
これがかの有名な厨二病であろうとも、俺は夕陽が好きなんだ。
この学校から、この教室から見るのが好きだ。
ふと、アマバを追い出す話題を出してみようと思う。
「アマバ、お前、補習はどうしたんだ? だいたいいる時は補習をしている時だろ?今日も補習じゃないのか? こんなことしている場合じゃないだろ」
「確かに、補習なんだ。でも、それ以上にきみに興味があった。それに、まあ、時計を見たまえ。先生が来るまで時間がある」
「お前はミスとか考えない方なのか? 成績が悪いから補習をしているわけで」
「いやはや」
アマバは、俺の言葉をさえぎった。
そして面白そうに首を傾げて俺を見る。
「そこまで見てくれていたなんて。驚きだ。きみは毎回、ボクを見てくれていたのかい? しかも補習の時も黄昏れていた時も」
「お前が真ん中の席で、俺より前だから見えるんだ
「これを好きとせず何と言うんだ?」
「好きじゃなくて興味だろ? 毎回、頭の悪い奴が、毎回、補習を受けている。そんなことがあれば、いやでも覚える」
「少しだけ訂正してほしいのだが、ボクが補習を受けるのは、確かに頭が悪いからだ。しかし、授業を受けないことが多くてね。授業、面倒じゃないかい? ボクは少しばかり集団で行動するということが苦手らしい」
アマバは、にやりと笑って俺を見た。
これ以上、何を語ればいいというのだ。
「そうなのか」と受け止めればいいのか? 「だから?」と突き放せばいいのか。
それに俺はアマバの髪が夕陽に晒されて、金に見えることに目を奪われていた。
「苦手じゃないのは、ひとりで静かに補習をしている時だけだよ。教師に何を言われようと、このスタンスは変えない。有り難いことに、今の教師は「自由」を尊重してくれているからね」
「そうか」
「何をみているのかな? ボクの顔に何かついているかい?」
「いいや」
「それとも、どこか意外性があるところに目を奪われているのかい?」
「そう、だな」
「へえ、どこだい? 教えてくれよ」
「今、お前の髪が金に見える」
「ああ、夕陽で照らされているからか」
「こういうものもあるのか」
「人と会話するのはいいだろう。会話は大事だよ。ええと、きみの名前は誰だったけな。最近はいない時が多いから分からないよ」
「……コンドウ、リュウセイ、だ」
「やあ、リュウセイ。いい名前じゃないか。ボクは好きだね」
口から出た名前に、ああ、出されてしまったと口に手をやる。
アマバの会話は不思議だ。何か暴かれているような気分になった。
「はあ、今日は晴れたが、また雨が降ると予報に出ていたね。それじゃあ、リュウセイと会えないな。ボクはきみと会いたいのに」
「……俺はお前と会うのは嫌だ」
「嫌われたなあ、でも会うさ。ボクはリュウセイと話をするのが好きだ。夕陽の話をしないかい? リュウセイは、どんな夕陽が好きなんだ? 私は、そうだな。赤紫がいい」
「それなら、夏だな」
「へえ」
「夕陽の種類や色は季節毎に違う。水蒸気やなんちゃら話しても分からないだろうから、とりあえず夏と冬の夕陽の色が違って、主に赤紫に見えるのが夏。橙色のが冬だ」
「実を言うと、夕陽というのは不思議だけど、少し怖いところもある」
「怖い?」
「どこかにいけそうな気がしないか?」
「どこかに」
それは日中だってそうじゃないか、とは言えなかった。
昼間の眠気は、どこかに行ってしまいたい気分なる。それを許されないのが学生という人間なのだが、俺は深く息を吸う。
人を攫いそうになるという話を聞くと「桜が人を攫う」などという言葉を思い出す。なんだっけか、何かの小説家だったか。
考えている俺が面白いのかアマバは、俺にずいと顔を近づけて明後日の方向に話題を変える。
「なにか考えていたようだけど、一つ提案があるんだ。ボクのことはアマバじゃなくてミズヒと呼んでくれないか?」
「ミズヒ?」
「ボクの名前さ。アマバも好きだがミズヒも好きなんだ。好きとかそういう分野じゃない。ただそう呼んでほしいのさ」
「……ミズヒ」
「いやあ、なかなかだね。クラスでボクの名前を呼ぶ人間なんて、まあまあ教師ぐらいだから。いや、それでも名字だけか。ミズヒと呼ぶ第一号はきみだよ。リュウセイ。自信を持ちたまえ」
「どこに自信を持てばいいんだ」
「少し人に近づいたと思えばいい。きみだってぼっちじゃないか」
「それは……」
確かに俺もぼっちだった。
気づけば一人で、どこかのグループに入るのには努力が必要で、その最低限の努力をするには途方もない苦労がある。
何か一つでも好きなものがないといけないのだ。
例えばドラマ、ゲーム、漫画、バラエティ番組など、中身のない話に混ざらないといけなくて、俺は早々に諦めて椅子に座っている。
「お前よりは、マシだよ。多分」
「それはそうさ、問題児と幽霊生徒さ」
「なんだ、その幽霊生徒ってのは」
「意味はそのままさ。幽霊だ。人と関わりを持たないひとりぼっちのきみに最適だ」
「やめろ。なんか嫌だ」
「そうか、じゃあ止めるよ。訂正する。ぼっちだ」
「……まあ、マシか」
嘘ではないのだから、幽霊生徒よりマシだ。
俺は少し眠くなってきた。こんなに人と話したのは久しぶりで、口が痛い。
ミズヒは、それほどでもないのか、優しい眼差しで俺を見ていた。
「まだ帰らないのか。もうすぐ陽が沈む。暗くなるぞ」
「……ああ、そうだね。流石に年頃の娘が暗い中歩くのは危険だ」
「早く、帰れ」
「わかった。帰るよ、リュウセイ。明日も会えるかい?
「天気が良ければな」
「なら、大丈夫だ。またね」
「……ああ、またな」
ミズヒは嵐のような女だ。
自分の席に戻って鞄を持ち上げると、俺を一瞥して背を向ける。
そのまま教室のドアを開閉して出ていった。
一時間、俺は暗くなるまで教室にいると完全に陽が沈みきった太陽を見送り、この時に帰る。
そして俺は立ち上がって、教室を出た。
* * *
彼女が来たのは放課後で、数枚のプリントを持っている。
補習らしい。教師は来ず、まるで自習のようだ。
俺は声をかけるか迷ったが、こちらからミズヒに関わることも話すこともないので、いつものように外を見る。もう少ししたら夕方がくるはずだ。
ミズヒの背中を見ていると、何か気づいたように、くるりとこちらを向く。
「やあ、リュウセイ」
「早く、補習やれよ」
「正論だ」
彼女は言われたとおり、プリントをやっている。
俺は外を見ていた。
あと少し、あと少しで夕闇がやってくる。
机に突っ伏しながら、俺は待っていた。
「リュウセイ? 寝てしまうのかい?」
ハッと起き上がり、目の前のミズヒを見る。
しまった、と思いつつ外を見ると、意外にも陽は沈んではいない。ほっとして、俺はミズヒを見た。
「悪いな、起こしてもらって」
「いや、そのまま眠ってしまうのかと思ってね。リュウセイが寝てしまうとは、私は見たことがなかったよ」
「……俺もだよ。昨日、お前としゃべったからだ」
八つ当たりをしつつ、俺は起き上がって外を見た。
あと少ししたら、空の色は変わるだろう。
安堵しつつ、こちらを見続けるミズヒを見た。
「人のせいにするなんて、なかなかだね。リュウセイが寝てしまったのに」
「八つ当たりして悪かった」
「いいや、いいさ。貴重な寝顔も見れた。お釣りがでそうなくらいだ」
お釣り、と思いつつ。それ以上の会話が続かなかった。
俺もミズヒも太陽を見ていると外から運動部の声がする。
この教室から運動部のかけ声が聞こえるとは知らなかった。
それくらい、俺の中では必要ないことだったんだろう。
「随分と話してくれるようになったね、リュウセイ」
「なん……ああ。お前がうざったいという話か」
「そこは湾曲してないかい? 確かにきみにそれなりの感情を持ってはくれないか、とは言ったが。そんなにぞんざいだったかな」
「まだ、そんなことを言ってるのか」
「だったら恋愛感情ではなく、そうだな、恋をしてくれないか」
「言っていることがめちゃくちゃだぞ」
「恋愛感情と恋は違うよ? 恋愛は支え合うこと。恋は独占欲だ」
「どこに違いがあるんだ? 恋愛だって独占欲の固まりだろ?」
「愛と恋は違うのさ。愛おしいと思うのが愛、恋をしてしまうのが恋、だ」
「……」
「わかっていない顔だね。愛おしいと思ってしまうのは、その人のそばにいて、ずっとそばにいようという覚悟が出来た時。恋はまだ実らない果実のようで熟すまで一緒にいたいという心だ」
「俺に何を求めてるんだ」
「できれば恋をしてほしい」
「なんでだよ」
「興味本位ではあるが、きみが恋をしているところが見たい」
「つまり、ミズヒに恋をしろって言ってるんだろ?」
「その通りだ」
ミズヒは、にっこりと笑い。昨日と同じ席に座る。
「無理だ、むり。今、俺は、昨日の夕陽を邪魔してきた件について少々怒りもした」
「でも、起こしたんだ。帳消しだろ?」
「それもそうだが、そこから、どこに恋を繋げればいいんだ。俺はお前に対して何も感じないんだ」
「ただの同級生、かい」
「ああ、それ以上でもそれ以下でもない」
「せっかく、名前を教え合ったのににべもない」
「名前を教え合っただけじゃ、恋は始まらないだろ」
「ふむ、容姿を褒めてくれたから、一目惚れはないか考えていたのだが」
俺はできるだけ険しい顔付きでミズヒを見た。
それに、流石のミズヒも、まいったといったように手をあげる。
一目惚れに心はない。
それは一瞬で描かれる勝手な未来を妄想するだけの脳のメカニズムだ。
「機嫌を損ねたね。すまない。軽率だったよ」
「俺にポリシーがあっただけだ」
「己の中に、しっかりとした気持ちがあるんだね。とてもすごいことだ」
「すごい? ただの頭でっかちだろ。生きていくのにある意味不要だ。他にいうなら、ただのプライド高いクソ野郎だ」
「リュウセイは、自分のことをそう思っているのかい?」
「……俺は俺のことを信じてる。俺だけでも俺を信じないと生きる意味がなくなるだろ? お前は違うのかミズヒ」
俺の問いかけにミズヒは驚いた顔をしてから、笑みをほころばせた。
「そうだな。ボクはたまにボクが分からなくなる時があるな。右と左が、たまに分からなくなる。ついたちとはつかを間違えることもある。目の前にあるものが、本物か偽物か、それも分からないな」
「生きづらくないのか」
「ん、まあ、そうだね。いやになる時はたくさんある。でも、生きているのは、たまに面白いことがあるから、なのかもしれない。タノシイは、そんなにないけど、面白いに出会えるのはココロオドルね」
「それが俺か」
「そうだ、私が好きになってしまった、きみだ」
ぽかん、としてしまった。
ミズヒが「好き」と言うのは初めてだ。今まで恋愛感情などなんだのと言っていたのに、軽く、何も考えないように「好き」と言ってくる。
「おっと、好きと言ってしまった。ボクは恥ずかしがり屋だからね。言うつもりはなかったのだけれど」
「俺は檻に入ったライオンじゃないぞ」
「わかっているさ、面白いじゃないからじゃない。ボクはちゃんときみを見ているよ。コンドウリュウセイ。放課後が好きで、夕陽が好きな、一人黄昏れている。きみはノスタルジックを感じているらしいが、ボクから見れば真摯に一日が終わるのを見つめているように思うよ」
「そうなのか」
「そうだよ」
ミズヒは「好き」を誤魔化さなかった。
少し恥ずかしそうに、俺からの目線を見えないように瞳を伏せ、唇の口角は一文字になっている。
『言ってしまった』ということなのだろう。
俺はライオンと言ったがミズヒは、それ以上を感じてくれているようで、その場にいるのがむず痒くなる。
そう、俺は放課後が好きで、夕陽が好きな、ごく一般人で、世の中を厭世的に見ている、そのごくごくその辺にいるだろう一般人だ。
「考えてみる」
「何をだい?」
「お前が好きかどうか」
「……それは難しいことじゃないかな」
「どうだろうな」
それを終わりに夕陽がやって来た。
空を侵蝕する強い橙色の夕陽だ。
またミズヒの髪が金糸のように輝いて見えた。
瞳は、少しの水を残してうるんでいるように見える。
好きとはどこから始まるのだろう。
でも、好きになったら終わりが必ずあると思い知らされるのは、少しだけ嫌だった。
今日の夕陽が沈んでいく。いつの間にやら運動部の声も聞こえない。
完全に沈みきる前に、俺はミズヒに声をかけて帰らせた。
ミズヒは、
「また、明日」
と、言い残して帰っていった。
* * *
次の日、ミズヒは来なかった。
結局、一人で見る羽目になり、俺の一日はすぎた。
* * *
そして、その次の日
ミズヒは頬に大きな絆創膏をつけて、いつもより多い何枚かののプリントを持ち、教室に入ってきた。
「バッ、なんッ」
「おや、リュウセイ、もういたのか」
「なんだ、その顔は!」
俺は立ち上がり、ミズヒの所まで歩いて肩を掴んだ。
それが意外だったのか、ミズヒは驚いて、クク、と笑った。
「笑い事じゃないだろ! なんで怪我してんだ!」
「誤魔化さないでおこうか。うちの母はヒステリー気味でね。叩かれたんだが、爪の先が当たってしまって、今や、猫に引っかかれた感じなんだよ」
「けい、いや児童相談所とかに行かないのか! 子どもを叩くなんて余程のことじゃないとおかしいだろ!」
「そういう人なんだ。穏やかな時は、とことん優しくて、そうでない日は、とことん暴れる。おかげで家具がボロボロなんだ」
「DV受けてる人間の言い訳にしか聞こえねえよ! 教師はなんていってんだ!」
「もう教師は知っているんだよ。児相にも顔を出してくれた。でも、精神の問題に、専門科じゃない人間は、私と母の間には入れない」
「なら、母親……」
「うん、母は精神科に通っているよ。近頃は穏やかだったんだが、テレビを見て急に暴れ出してね。ちょうど、私は風呂上がりで気づかずリビングに入ってしまって、タイミングが悪かったんだ」
「だから、昨日、来なかったのか」
ミズヒは目をそらして、肩に乗った俺の手をどけると、自分の席に鞄を置いた。
その時の背は、気だるげというよりも孤独に見える。
鞄の隣にプリントを置いて、座ろうとする前に、俺はミズヒの手を取り、鞄もプリントもひっつかんで、俺の席の前に座らせた。
「今日は、ここで補習しろ」
「いやはや……困ったね」
語尾が震えていることに、俺は気づいたが気づいていないふりをして、外を見た。
今日も運動部がかけ声とともに空が霞む。
俺の目の前にミズヒの背があった。
いつもは真ん中の席にいるから、ちゃんと見たことがなかったが、大きくもなく、小さすぎでもなく、ただ普通の背中で、黒髪が綺麗に見える。
教師が渡してきたプリントが終わるまで、俺たちは口も聞かず、ただ教室には静寂が降りていた。
それを苦とは思わない。
かりかり、シャーペンの音がする。
さらり、ミズヒの髪が前に落ちるから、ミズヒが耳に髪を掻き上げた。
俺は、外ではなくミズヒの背を見ていた。
夕方になるころ、やっとのこと渡されたプリントが終わったのか、ミズヒが声をかけてくる。
「リュウセイ、まだいるかい」
背を向けたまま、ミズヒは不思議な形で俺を呼ぶ。
「いるが、なんだ? ミズヒ」
「はは、なんでもないよ」
振り向いたミズヒは、赤い瞳の周りを赤く染めてた。
泣いたのだと気づいた時には、ミズヒは立ち上がり帰り支度をし始める。
「今日は見ていかないのか」
「早めに帰ろうと思ってね。もう穏やかな母だとは思うが、遅く帰りすぎると、爆発してしまうから」
少し首を傾げたミズヒは、少しだけ諦めた表情で言う。
今から黒髪が金に変わるところが見られると思ったのに、心の底から残念な気分になったし、それと、
「俺が一緒に帰ろうか?」
そう言ったらミズヒは大きく目を見開いて、顔をくしゃりと歪めて俯いた。
「な、なかなか、酷い、ことを、言うじゃ、ないか」
「何が酷いんだよ。家の前まで送る」
「……すまない、が、それは、だめだ。ははに、みられたら、たいへんだ」
「じゃあ、近くまではどうだ? 家が見えないギリギリあたりなら大丈夫だろ」
「ははは、すまない、大丈夫だ。聞いてくれ、リュウセイ。ボクはもっときみが好きになった」
「今は、そんな話してないだろ」
「言っておきたいんだ。じゃあ、リュウセイ」
「おい!」
俺の言葉を置き去りにして、ミズヒは走って帰ってしまった。
教室に夕陽が差し込んだが、何も映さず、ただただ夕陽が入るだけで、とても空しい。
椅子に座り、外を見る。
ここからじゃ正門が見えない。
大丈夫だろうか、家も知らない俺は、ただ思うしかなかった。
今日の夕陽は綺麗だったが、心はぞわぞわと落ち着かなくて、夕陽を見てノスタルジックな気分にもなれない。
頭の中はミズヒでいっぱいで、あの頬と涙が頭の中に残っている。
ふと床を見たら、小さな水滴が零れていて、無理にでもついていけばよかったと、後悔した。
* * *
その日、ミズヒは遅れてやって来た。
もう来ないのかと思って不安になってきたところでのこと、顔を出してくれたことに俺は安心した。
立ち上がって迎えて名前を呼ぶ、
「ミズヒ」
「リュウセイ」
ミズヒは俺の名前を呼び、手にはいつも通り、プリントを持ち、鞄を背負い、頬の傷のテープはそのままで、軽く笑うミズヒがそこにいる。
「すまないが、きみの席の前で補習をしていいかい?」
「ん? 別にいいが」
「ありがとう」
連れ立って席に戻り、昨日と同じように補習は始まり、放課後が訪れた。
俺は何も言わずミズヒのシャーペンの音だけを聞きながら、うとうとと睡魔が襲ってきた。
夕陽までまだ時間がある。少し寝てもいいかなと思い、机に肘をつき立てると頬を手のひらにおいてまどろむ。
前までは起きていられたが、最近は眠くなる時が多い。それでも一応、夕陽が見れるので、そんな悔しいとか空しいとかいう心はなかった。
とろとろとしていた時、
「リュウセイ! リュウセイ!」
「あっ? なに?」
「よかった、起きたか。寝不足なのかい? もうすぐ夕陽の時間だよ」
「あー、やばかった。この頃、眠くてさ」
「そうなのか、最近のことかい?」
「んあ、そうだな、ちゃんと夜は寝ているつもりなんだけど」
「……まあ、昼間寝たくなる人間もいるもんだ。夕方だし、寝たい人間がいてもいいかな」
「俺が四六時中、寝ているような言い方するなよ」
「すまない、すまない。ほら、夕焼けだ」
「おー、今日は水蒸気がいいんだな。綺麗だ」
「そうだな、綺麗だ」
俺たちは静かに沈んでいく夕陽を見ていた。
そして俺は、ちらりとミズヒを見た、黒髪が金糸に変わって、薄赤の瞳が水を湛えている。なんとも綺麗な――
「さて、帰るとするか」
「あ、ああ、そうだな」
まだ沈みきっていない空を見ながらミズヒは帰り支度を始めだした。
そうだ、夜に帰すなんて危なすぎる。
「一緒に帰るか?」
自然に出た言葉だった。
それにミズヒは笑って「大丈夫だ」と口にする。
「リュウセイは最後まで夕陽を見ていてくれ。そんな「見ている」きみを好きになったんだ」
「よくわからないな」
「何度も言ってるじゃないか……言ってるかな? 夕陽を見るリュウセイが好きなんだ。リュウセイはノスタルジックを感じると言ったが、ボクは明日を真摯に迎えようとする姿が希望に満ちているようで、うらやましくて、独占したいんだ」
「初めて聞いたぞ」
「なら、二度目の告白だな。心に留めて置いてくれ」
そのままプリントを持ってミズヒは帰っていった。
真摯に、希望に、独占したい。
俺がそう見えるだなんてミズヒも変わり者だ。俺はただ夕陽が見たいだけの変人だというのに。
でも、ミズヒが言うなら、そういう自分を受け止めるのもいいかもしれない。
独占したい、はミズヒの心だけれど、真摯に希望に、忘れかけていたものが出てくるような気さえした。
* * *
次の日、その日にミズヒは頬のテープを取っていた。
爪の痕だろう、三本ほどの線が頬を傷つけている。
「生々しかったからね。これぐらいになれば母も気に病まない」
そう言ったが、本当のところは、この傷を見て母親がヒステリーを起こす可能性があるかもしれない。なんて俺は思った。
「プリント、少ないな」
「最近は授業に出ているからね。だんだんと減るのは当たり前さ」
俺の席の前に座ったミズヒは何事もなかったように鞄を横に置き、シャーペンを、取り出すと、すぐに補習のプリントに向かった。
なら、俺は外を見る。今日も運動部は大変そうで、あんなにも情熱的に出来るなんて羨ましいなどと思ってしまう。
いや、厭世を気取るなら喧しいと思わないといけないな。
そんなことを考えていたら、またうとうとしてきて、前と同じように寝ると、
「リュウセイ!」
同じようにミズヒに起こされた。
「お、おお、また寝てた」
「……リュウセイも何か勉強を、するのはどうだ? 私が教科書を貸すし、なんならプリントをコピーして渡すぞ?」
「勉強かあ、ぜんぜんしていないから、解ける気がしないな」
「分からなくなったら、ボクがプリントをやっていても……いや、机をくっつけるのはどうだ? それならお互いを見ながら出来る」
「どうした? ミズヒ? なんか変だぞ」
「あ……リュウセイ、ボクは、ボクは! きみのことが好きだと言ったぞ! なら、顔を見ながらやるのも下心だ!」
「ミズヒ? あ、そっか」
「どうしたんだ?」
「俺さ、なんでずっと一人だったのにミズヒと夕陽を見るのが平気なのか気づいたんだ」
「え?」
「お前の髪がさぁ、光りを浴びると金色になるんだよ。目も綺麗で。夕陽が綺麗だとミズヒも綺麗に見えて一緒に見るのが好きなんだなって思ったんだよ」
「……」
「ずっと見ていたいってのは、独占欲ってやつじゃないかって。他の奴と見ることはないし、見るならミズヒと見たいし、お前の背中見てたりして、思ったんだよ。あっ俺はミズヒのことが好きなのかもしれない、て。どうだ? ミズヒの中の恋に当てはまるか?」
ミズヒは、俯き、そのまま床に座った。
泣いているようで、肩が震え、そのまま嗚咽が聞こえてくる。
「ちょ、ミズヒ。急に悪かった」
「きみを、こんなに、すきになるなんて、おもって、なかった」
地面に膝をついて、俺はミズヒの肩に触れようとした。
「ずっといてほしい、そんなことが、どんどん、大きくなって、ごめんなさい、リュウセイ。だいすきです」
「そりゃ、告白されてるし、今回はストレートだな」
肩に手を触れようとして、俺は肩を触れなかった。
「は? なん」
何度、肩を触ろうとしても触れない。
俺はびっくりして、近くの椅子に手を置いたらスカッと置けずに手は床に落ちる。
そしてミズヒの身体は通り抜けてしまう。
「ボク、勝手に、リュウセイは、ずっといてくれるって思ってた。でも、寝てると身体が透けるんだ。もうリュウセイがいなくなるって」
「え? は? すけ? 待ってくれ、ミズヒ」
「肩を掴んでくれた時、本当はリュウセイが生きている人間だったのかって、安心したんだ。でも、寝ている時のリュウセイは、どんどん透けていって」
「待て待て、それじゃあ、俺、幽霊じゃん――」
バチッ、バチッ、と頭の中がスパークする。
俺は夕陽を見るのが好きだった。思い出すのは教室で見た夕陽。
あれがいっとう好きだった。病院の窓から見るよりもずっと、教室で見る夕陽が、とっても好きで、いつも教室に行きたいなと思っていた。眠っている今も――。
「――あ」
「リュウセイ、好きだ。大好きだ。きみの感情は恋じゃない、愛だ。最後にボクを愛してくれて――」
そういえば、昼間、俺は何をしていた?
夕陽を見た後、どこに行っていた?
「ちがう」
「え?」
「違う! ミズヒ! 違う!」
ふわりと姿が消えていく。
二人して驚き、声も遠くなる。
「ミズヒ! 日本ミスカトニック大学病院に来てくれ! そこにお」
「リュウセイ!」
教室には、呆然としたミズヒがいたが、すぐに鞄を持って教室を出て行った。
* * *
ミズヒは後悔している。
今まで運動系の授業をサボっていたことをだ。
体力はないし、走っていると脇腹が痛い。
スマフォで住所を調べて、勢いのまま電車に乗った。そのまま直通バスに乗って、リュウセイの病院まで、そわそわとして、心が落ち着かない。
着いたら着いたで、病院の入り口を探してインフォメーションセンターに顔を出すと、
「ご家族の方ですか?」
「い、いえ、えっと、友人です! 学校の!」
「部屋の番号をご存知でしょうか?」
「えっ、あ、あっと、コンドウリュウセイという名前しか分からなくて」
受付の女性の顔が渋くなる。
名前しか分からないのだ。そうなる気持ちは分かるがミズヒは一刻も早くリュウセイに会いたかった。
彼がそういうなら、そうなんだ。
真摯に迎え、希望に満ちているように。彼はここで眠っている。
「お名前だけですと、お通しは――」
「リュウセイのお友達なの?」
ミズヒは落ち着いた声の主を探して後ろを振り向いた。
上品な格好をした女性が、花を持って立っている。
「そ、そう、で、です! ボク――わたし、アマバミズヒと言います! お願いです! リュウセイ、さんに会わせてください」
頭を下げると「まあまあ」と言う声が頭の上から聞こえて、
「そんなに畏まらないで。あの子ったら変なことに首を突っ込んで、寝たり起きたりしててね。お友達がいるって言えば連絡したのに」
「リュウセイさん、いるんですか!」
「うちの息子ですもの。どうぞ、一緒に行きましょう」
「はいっ」
病室までの間は心臓がはち切れそうだった。
生きている、と、会える、の両方の心がミズヒの中に溢れて、今にも泣きそうになる。
初めてリュウセイを見た時、とてもびっくりした。
一人しかいなかった教室にいつのまにか後ろの席に人がいて悲鳴をあげそうになったけれど、すぐにそれは引っ込む。
心と心臓の心拍数が急激に上がって、頭と頬が熱くなるのを知ると「これが一目惚れなんだ」と気づいたのだ。
あとは、どうやって接触しよう。そんなことばかり考えていたけれど、気づいたのは、次の日。
自分の教室を見に行っても彼の姿がない。他のクラスも回ったがいない。
学年を変えてみても、どこにもいなかった。
そしたら本人に会うしかない。
初めて声をかけたときは変なナンパみたいな声の、かけ方になってしまって後悔したけど、それが上手くいったのか、何故かリュウセイはボクの名前を知っていたのだ。
それを手がかりに学校中探し回ったけど、名簿などにもリュウセイの名前はない。
どういう仕組みかは分からないけど、そのままボクはリュウセイに接触して好きが溢れて溢れて、どんどん大好きになっていく。
――彼が幽霊だと分かっても。
つんけんと扱われても、傷に対して怒ってくれたことも、一緒に帰ると言ってくれたことも、リュウセイが失わなければ、それでいい。ボクとリュウセイだけでいい。
そう思ってたのに――
「リュウセイとは、どういうお友達?」
「えっと、ぼ、わたし、その教室で会って」
「ああ、あの子、教室から見る夕陽が一番綺麗、とか言ってたわね」
「そこで知り合って」
「そうなの。きっとアマバさんが来て喜ぶわ」
ちん、とエレベーターの音がなり、外に出ると、ざわざわと辺りが騒がしい。
なんだなんだ、と周りが見ていると、
「ちょっとの間でいいんです! 入り口まででいいですから!」
「コンドウさん、落ち着いて!」
「ミズヒが来るかもしれないんです!」
ボクは鞄を床に投げ捨てると、ざわめきの元へと飛び込んだ。
そこには少し痩せているけれど、確かにリュウセイの姿がある。
「ミズヒ!」
「リュウセイ!」
二人が抱きしめ合うのに時間はかからない。
放課後で繋がった二人の出会いに拍手を――。
放課後少女のミズヒ【G’sこえけんボイスドラマ】 大外内あタり @O_soto_uti_ATR
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