第14話 吟遊詩人と街の医者
見られた。
角にまで気づいているかわからないが、少なくとも鱗は見られてしまった。
トーリの反応でそうとわかったブラッドは、いつでも剣を抜けるよう気を張り詰めさせる。
──大切な主を守るためならば、多少の犠牲はやむを得ない!
そんなこととは知らず、トーリはのほほんと言う。
「ポピーちゃん、魔症が出てるね」
「ま、しょう?」
聞き慣れない言葉を復唱すれば、トーリは首をかしげた。
「湖の向こうじゃこの呼び方をしないのかな? 魔力で皮膚が硬化する症状を略して、魔症。正式名称はなんだったかな、忘れちゃったけど。この街でも魔力の多い子が医者に行くからことがあるからね」
あまりにものほほんとした様子は、嘘を言っているようには見えなかった。
「医者……いや待て。こういった特徴を持つものが他にもいると言うのか」
思わず詰め合ったブラッドに、トーリは「いるよ〜」と軽く答える。
「多すぎる魔力が体のうちに収まらなくて表出する症状だって聞いてるからね。時々いるよ。でも、ポピーちゃんみたいにしっかり目視できる子はそんなにいないかなぁ」
言いながらトーリは自身の額を指先でなでる。
「例えば、そう。皮膚を触って少し硬くなってきた、なんてことがあるじゃない。そうすると女の子なんかはすぐ気にして医者にかかるのさ。ニキビと違って魔症はきれいだから、そのままにしておいても良いと思うんだけどね」
トーリがあまりにも何でもないことのように、それこそかさぶたでもできたかのように語るものだから、ブラッドとポピーはあっけに取られてしまった。
だって、そんなことがあるだろうか。
聖都の地下で、ポピー見た聖女は青ざめていた。「なんて邪悪な」と恐ろしいものを見る目を向けていた。
もちろんブラッドにとっては大変格好良くて賛辞しか浮かばない容姿だ。
けれど聖都やその近隣に住む者にとっては魔物と近しい特徴を持つとして、恐れられるだろう。
──だというのに、湖ひとつはさんだ街では、ニキビと同程度の扱いだなんて……。
ブラッドには信じられなかった。
ポピーもまた同じなのだろう。戸惑うようにブラッドを見つめてくる。
そんな二人を見てトーリが首をかしげる。
「もしかして、魔症は湖の向こうではあまり一般的じゃない?」
「……一般的じゃないどころか、魔物と同一視されている。聖都では忌避感を抱く者が大部分だろう」
ブラッドが苦く言うのを聞いて、トーリは目を丸くした。
ふざけた態度の多い彼だが、そこにふざけの色は見えない。
「そうなのか。それは大変だったね」
眉を下げ、吟遊詩人は「そっか」と頷いた。
「もしかして、それでわざわざ湖を越えてこの国に来たのかい?」
「いや、そういうわけではないだが……」
否定を口にしつつも、ブラッドはそうとも言えるか、と言葉を濁す。
聖都にいては、鱗と角を持つポピーがいつ見咎められるかわからない。そう思ったからこそあの街を出たのだから。
そんなブラッドの様子を見てトーリは嬉しそうに手を叩いた。
「そっかそっか。向こうはそんなにも医療が遅れてるんだ。それは大変だったね」
「大変だったと言いつつ、うれしそうに見えるが」
じとりとにらんで咎めれば、トーリは「あはは」と軽やかに笑う。
「ごめんごめん。でも、貴重な情報を得られたからね、喜んじゃうのは許してよ。でもね、唄い歩くにも新しいネタは喜ばれるのさ。交流のない湖の向こうの街の話なんて、どこへ行っても珍しがられるよ。」
「ふうむ、吟遊詩人とはただ歌がうまければ務まるものでもないのか」
「そういうこと。では、改めてようこそ。自由の街フリンダムへ!」
ご機嫌に笑ったトーリは、はずむような足取りでブラッドの隣に立ち顔を寄せてくる。
「さあて。朝ごはんのお店を教えるだけじゃ君たちがくれた情報と釣り合わない。君たち、他に何か知りたいことはない?」
「……ならば、医者を」
知りたいこと、と問われてブラッドの頭に浮かんだのは大切な主のこと。
「ブラッド、わしは別にこの容姿を厭うてはおらんぞ」
「もちろん俺も大好きです。最高だと断言できます」
「お、おう」
「ですが……」
角や鱗がニキビのように除去できるとしても必要ないと言える。
けれど、ブラッドは一晩、目を閉じたままぐったりとしたポピーを連れて歩いたのだ。
目を覚まし食事をとった彼女の元気な姿にようやくほっとしたところ。声をかけても肩を揺すっても反応しない姿は、まだ記憶に新しい。
「ですが。俺はあなたの体調が心配なのです。覚えていないのかもしれませんが、あなたは突然、気絶してしまわれた。俺はどうするこたもできず、助けを求めてただひたすら歩くだけで。夜明けとともにあなたが目を開けてくださったとき、どんなに嬉しかったか……同時に、また同じことが起きないかと不安で仕方ないのです」
訴えながら包み込んだポピーの手はあたたかい。だからこそ、この手が再び力なく垂れ下がることが怖くてたまらなかった。
「ブラッド……」
「それじゃあ、行ってみよう! 医者のところへ」
トーリの声がシリアスな雰囲気をあっさり打ち壊す。
「今の話を聞くに、君たちがこの街にたどりついたのは偶然なんでしょ? だったら僕と君たちが出会ったように、偶然の出会いをもうひとつおこしちゃっても良いでしょ」
トーリはぱちんと軽薄にウインクしてみせる。
そのあまりの軽さが良かったのだろう。
「ふはっ」
難しい顔をしていたポピーが思わず笑う。
「ふはは! そうか、偶然の出会いか。ならば、仕方ないのう」
「そうそう、仕方ない! たまたま湖の向こうからやってきて、たまたま歩いてたどり着いたのがこの町だったんだから。だから、たまたま出会ったこのトーリ、新しい知識を得られたお礼に、たまたま案内するのさ。この街で一番腕の良い医者の所へ、ね!」
※ ※ ※
トーリの案内でやってきたのは、賑やかさからすこし遠かった静かな場所だった。
彼が足を止めたのはこじんまりとして、簡素な小屋の前。まるで猟師が狩りの合間に過ごす山小屋のようだった。
けれど、中に入ってみれば山小屋の簡素さとは似ても似つかない。
部屋の壁という壁には棚が備え付けられている。壁の端から端まであるうえに、高さを変えて何段も。
そのすべてが草の葉や木の実、あるいは魔物の素材やなにやらが詰まった瓶や箱をみっしりと乗せているのだ。
ひどく視界がにぎやかしい。
壁面のにぎやかさとは裏腹に、室内に置かれた家具は最低限。
背もたれ付きの椅子と書物で埋まりかけた机がひと組あり、そのほかにあるのは丸椅子がひとつきり。
──ごちゃついているのかすっきりしているのか、よくわからん部屋だ。
これが医者らしい部屋かと言われればブラッドには「村の薬師の家に似ている」としかわからない。
ひとつ言えるのは、豪華絢爛な大聖堂の治癒室とは大違いということだけだ。
丸椅子に腰掛けたポピーの前で、椅子に座って書き物をしていた初老の男が身を起こす。
室内にいるのは医者だという初老の男とポピー、それからブラッドだけ。
トーリは案内を終えると「それじゃ、またね〜」と軽い言葉ひとつで立ち去った。
まるで古くからの友が明日までの短い別れを告げるようなあっけなさ。
「さて」
椅子に腰掛けたポピーと向かい合う形になった医者は、静かな目で患者を見た。
「魔症と聞いたが、その被り物をとってもらっても?」
「……うむ」
ポピーがそうっとフードに手を伸ばす。
ぱさり。背に落ちた布のたてる音がやけに大きく聞こえる。
「ほう……」
ため息のように声をもらした医者の目がわずかに見開かれた。
──嫌悪を込めようものなら、即座に意識を刈ってやる。
部屋のすみに控えたブラッドは静かに身構える。
けれど。
医者の視線はすぐに落ち着いたものに戻り、代わりにブラッドに向けられたのは苦笑。
「そこの兄ちゃん、そう睨まんでくれ。驚いたのは悪かったが、悪意はない」
「…………」
──本当だろうか。
医者の真意を見極めるべく目をすがめれば、飛んできたのは愛しい主の声。
「ブラッド、医者に見せると決めたのはおぬしじゃろう」
「うっ……はい」
「ははは。強そうな兄ちゃんだと思ったが、見事に尻に敷かれてんなあ」
何がそんなにおかしいのか、医者は笑いながら「ちょっと触るぞ」と手を伸ばした。
ポピーの額から頬にかけて散らばる鱗にひとつひとつ触れていく。そして角の根本をぐっぐっとわずかに力を込めてひとまわり。
「ふむ、確かに魔症だな。ここまで立派なのははじめて見るが」
「ええ! そうなのです。素晴らしく立派で美しいでしょう!」
「ブラッド、話が進まんからしばし静かにしておれ」
医者の言葉に思わずうれしくなったブラッドが一歩踏み出すも、すぐに止められてしまった。待て、と告げるように付けられた手のひらに従ってブラッドはしおしおと壁際に戻る。
「それで、医者よ。魔症とはどういったものを指すのじゃ? 吟遊詩人は魔力によって皮膚がかたくなると申しておったが」
「うん? トーリがそう言ってたか。あいつはなあ、ちょっと雑なところがあるんだよな」
困ったやつだ、と医者は頭をかいた。
「魔症っていうのは、正式には過剰魔力析出症と言ってな。魔力を多く持ち、かつ魔力放出不全の状態で現れるんだ」
「魔力が多いだけでは発症しない、と?」
「そうだ。魔力が多いうえに体のうちに溜め込みやすい体質が重なって、はじめて発症する」
「なるほど。であれば、そうそう見かけないのも納得がいくのう。魔力が多いだけが条件ならば、そこいらじゅうに鱗持ちがおってもおかしくないと思うておったのじゃ」
ポピーは納得したような、どこか落胆したかのような、気の抜けた笑顔。
けれど角をしげしげと眺めている医者は気づいていないのだろう。
「ああ、そうごろごろいるもんじゃない。それもこれほど明らかに突起物が形成されているなんて、はじめて見るぞ」
「そうか、やはりわしのような者はそうそうおらんか」
寂しそうにも見えるその声で、ようやくポピーの表情が微妙なものであることに気づいたのだろう。医者は慌てて机に向かう。
「あ! ああ、いやっ。俺が目にするのははじめてだが、長い研究の歴史のなかには似たような症例が……」
がたがたと机の端に積み重ねられた紙束を漁り、医者が取り出したのは分厚い冊子。
ずいぶんと古めかしそうなそれをばさばさとめくり、医者はとあるページを指差した。
「ほら、ここだ。ここ! 『十代、男、右頭部前方に特異な突起物有り。角兎状の形態から兎角突起と名称す』な?」
「ふむ……角兎は魔物のホーンラビットのことか? だとすると、ずいぶん控えめな角だな」
ホーンラビットは魔物のなかでも極めて危険性の低い魔物だ。額の角は大人の指の爪ほどの小ささしかなく、用途不明。ひと蹴りで遠くへ逃げ去る脚力を誇る足のほうが、よほど攻撃的といえる。つまり。
「我が主の角とは比べるべくもないな」
「いや、そんな誇らしげに言われても。お嬢ちゃんはうれしくないだろう。なあ?」
ブラッドが胸を張れば、医者がすかさず片眉をあげた。
ふたりして同意を求めてポピーに目を向ける、けれど。
彼女がひどく真剣な顔で見つめていたのは、医者の手元。
「医者よ。魔症はいつからそう呼ばれておる」
「ええ? そうだなあ、通称がついたのは薬が完成した五十年くらい前か」
「通称でなくて構わん、この症状が病であるとされたのはいつごろじゃ」
「ああ、だったら二百年前だな。ほら、ここに記述がある」
医者が指差したのは開かれたページの一番はじまり。
「ここから後の文章は全部、魔症の研究に関係のある記述を集めてまとめたものなんだけどな。そのはじまりはここだ」
医者が指差したページを覗き込めば、そこには古めかしい文体でこう書いてあった。
『北方より来たる男、魔物様の鱗爪角を持つ者探し求む。男、調べて曰くそれらの特徴は魔力の多いものに現れると判明。後に過剰魔力析出症と命名す』
「っていうのが書かれてたのが、二百年前の俺の先祖の手記なんだ。その男はひょろ長くて病弱だったとか、そのくせ魔症の研究のこととなると寝食を忘れて何度もぶっ倒れたとか、先祖代々に語り継がれてる話だから、時期のずれはほとんどないと思うぞ」
──なんだそのおかしな男は。
ブラッドが抱いたのはそんな思い。
けれど医者の言葉を黙って聞いていたポピーは、呆然と口を開く。
「父上じゃ……」
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