第13話 湖南の街フリンダム

 湖から南へ、ちらほらと遭遇した魔物を切り払いながら歩くこと数時間。

 人と会うことなく進めたのはブラッドにとって幸運だった。

 

 なにせ今のブラッドときたら右手に抜き身の剣を握ったまま、しかもその剣は血まみれなのだ。

 もちろんその血はすべて魔物のもの。抜き身でぶら下げているのは背中に大荷物を背負っているためと、左腕にポピーを抱えているためではあるのだけれど。

 知らぬものが見たなら人さらいと思うか、殺人鬼と思うか。

 そんな有様であったから、湖から道なき道をかきわけ進む現状は、はからずも良かったと言えるだろう。単純に人の踏み固めた道が見つけられなかっただけなのだけれど。


 そうして草をかき分け魔物を斬り払い進んでいると、視界がうすら明るくなるころ街が見えてきた。

 

「ポピー様、街が見えてきましたよ」


 左腕に抱えた大切な人にささやきかける。けれど返事はない。

 ブラッドの胸にくったりと頭をあずけたポピーは、湖で意識をなくしてからそのまま目を覚さない。

 氷の舟が壊れるからと抱えたまま乱暴に着地した時も、うめき声ひとつあげなかった。けっこうな衝撃があったはずだ。舟から岸までの短くは無い距離を飛び越えるため魔力まで使ったブラッドの跳躍は、砲撃と大差ない勢いであった。

 その勢いのまま地に着いたというのにも関わらず、反応しないポピーが気になって仕方ない。


「大きい街だ、邪神様を診てもらう医者も見つかるか……」


 角と鱗を見られないようにするにはどうすべきか、という悩みはあるが気を失ったままの状態であることのほうが気がかりだ。

 もしも彼女の容姿について騒ぐような医者なら、診察を終えた後に黙らせれば良いことである。幸いなことにブラッドはそれだけの腕力を備えていた。


 ※※※


 街へたどりついたのはそれからしばらくのち、朝が来たと言い切れるほどに明るくなってからのこと。

 朝日の下で見てみれば、街の周囲にはいく筋もの道が伸びていた。ただ、湖からつながる道だけがない。

 

 そしてその街には塀も門もなかった。ただ突如として繁る草が途切れ、建物がぎゅうぎゅうとひしめいて街を作っている。

 見えるあたりに人の姿はないが、あちらこちらから煮炊きの煙が上がるのを見るに朝食の支度をしているのだろう。にぎわいはじめている気配が朝特有の張り詰めた空気をゆるませていた。

 しかしブラッドの足は街の手前でのろりと止まる。


「これは……どこから入れば良いんだ?」


 入り口がわからなかった。

 ブラッドの生まれた村でさえ、魔物よけの柵に囲まれ出入り口には開閉式の扉が設けられていた。

 魔物を防ぎ、そして不審な者を入れないようにする。暮らしていく上で最低限、必要なこと。

 結界に守られた聖都でさえ塀にぐるりと囲まれて、その補修作業にあたる者が王宮に雇われていた。村でも年に一度、老若男女が総出となって柵の点検が行われたものだ。


 だというのに、この街には門もなく、柵もない。湖とは反対側に伸びる道はいくつも見えた。それぞれを通る人や荷馬車の姿がちらほら見えるけれど、肝心の街の出入りについては見えなかった。


 門でもない箇所から入ったとして、咎められることはないだろうかろ

 迷って足を止めたその時、ブラッドの腕のなかでもぞりと動くものがある。


「うむぅ? もう、朝か……?」

「邪神様!」

「ポピーじゃ」

「ポピー様! 目を覚まされたんですね!」

 

 ポピーがゆるゆるとまぶたを持ち上げたのだ。

 目をこすりこすり、呼び方を訂正されてしまったけれどそんなことは気にならない。


「気持ち悪くはありませんか? めまいがするとか、頭が痛いとか、苦しいとか吐き気がしたりだとか!」


 彼女を両手で支えるため素早く剣を鞘にしまう。

 そして考えつく体調不良をあれこれ挙げていくブラッドの目の前に、ちいさな手のひらがかざされた。


「落ち着け。そう興奮するな! 知らん間にちょっと寝ておったようじゃが、何とも無い」

「そうですか……」


 肩の力が抜けたブラッドがほうっと息を吐く。

 隠すつもりもない心配が伝わったのだろう、ポピーはくすぐったそうにしながらも顔をあげ、そして首をかしげた。


「おお? ここは……村か? いや、村にしては大きいが、なんともまあ無防備なところだのう」

「ええ、おかげでどこから入ったものかわからなくて。あちらにいくつも道があるようなので回り込んでみようかと」


 ふたりが話していると、街の建物の影からふらりと人が現れた。

 ブラッドよりいくつか年嵩の男だ。ゆったりとしたシャツに幅の広いズボンをまとった姿はくつろいで見える。

 この街に住む人だろうか。声をかけてみるか、とブラッドが近づいていくと、不意に視線を合わせてきた男はうたうように話し始めた。


「この街のはじまりはいくつかの商隊さ。湖から近からず遠からずのこの場所で馬を休ませようと鉢合わせた」

 

 吟遊詩人か、とブラッドは舌打ちしたくなる。

 こういう手合いは駄賃をせがむ。絡まれては面倒だと、そのまま通り過ぎようとしたブラッドだったが、ぴたりと足が止まる。

 服の裾がかすかに引かれていたのだ。

 腕の中に目をやれば、ポピーがきらきらと期待に輝く瞳で吟遊詩人を見つめている。

 その視線がわかるのだろう。男はにっこり笑って続ける。


「鉢合わせた馬車に旅人が立ち寄った。すると集まった人にまた人が足を止め、人の輪が広がり、そしていつしかできたのがここ、自由の街フリンダムさ」


 興が乗ったのか、男は背負っていた楽器を手に取るとゆるゆると弾き鳴らしながら歌う。


「どこから入るのどこから出るの? それはその人次第、自由の街フリンダムだもの。入るのも自由、出るのも自由。ここには何でも集まるよ。人も物も何もかも、ここに無いものはどこにも無い。ようこそ、おいでよ旅人さん」


 ほろん、と楽器を鳴らす手を止めて、男があらためてにこりと笑う。


「とは言え、湖の方から来る人を見たのは初めてだ。君たちは何か面白い話を知っていそうだねえ。僕はトーリ、吟遊詩人さ。ここで会ったのも何かの縁。よかったら聞かせてくれないかい?」


 嫌に馴れ馴れしい吟遊詩人だ。ぐいぐいと顔を寄せてくるのがうっとうしい。


「そんなに近寄ったら俺の主が怯えるだろう」


 ブラッドは露骨にポピーを抱えた腕を男、トーリから遠ざける。そして鞘におさめた剣がよう見えるように、あえて半身になって男をにらんだ。

 だというのトーリは全く答えた様子がない。にこにこと微笑んでいて、腹立たしい。

 この程度で引いていては、街から街へと吟遊しながら渡り歩くなんてできないということなのか。

 にらまれたトーリはどこ吹く風。


「まぁそう言わずにさ。そうだ。今はまだ朝も早い。朝ごはんは食べたかな? まだだったら僕のオススメのお店を紹介するよ。フリンダム名物の『ぜんぶ乗せ』。おいしいんだけどなあ?」


 いらん、と切り捨てたいところだったが、腕の中のポピーがフードの下で口元を緩めているのが見えてしまった。

 ブラッドは忠実なるしもべ。大切な主の心の機微を拾い上げるのは、己の使命。

 得体の知れない吟遊詩人についていくのは癪に触るが、優先順位はブラッドの心境よりも主の気持ち。


「案内料はいくらだ」


 歯ぎしりしかねないほどの低い声で問えば、吟遊詩人はキョトンとした。そして弾かれたように笑う。


「お金ね。お金は素晴らしい。あれはだいたいのものと交換できるからね。だけどお金では交換できないものだってあるんだよ。知ってるかい? それは誰かの経験さ。僕の経験を君たちがお金で買うことはできない。同時に、君たちの経験を僕がお金で買うこともできない。だけどね、そのかわり君たちが経験したことを僕に話してくれれば、僕はそのことを知ることができる。僕が知れば、僕が歌った先でたくさんの人がその話を知ることができる。これはお金よりも何よりも素晴らしいものだと思わないかい? 僕にとっては、何より価値があることだ。君たちにとってどうかは知らないけれど、朝食の時に君たちの話を聞かせてくれたら、僕にとってはそれが最高の報酬なんだけどな!」


べらべらとよく喋る男だ。が、金をせびるつもりがないのは伝わってきた。


「……案内をたのむ」


 ※※※


 道すがら買い求めた街の名物だと言う食べ物は、シンプルな揚げ物だった。

 変わっている点としては、ひとつの皿の上にいろいろな形のものがころりころりと乗せられているところ。大きな葉を皿がわりにしているところも、変わっているが。

 ブラッドの片手におさまるその葉を両手で持って、ポピーは歓声を上げる。

「これはなんじゃ?」

 彼女が指差したのは丸い形をした、何かの揚げ物。衣がついていて何なのかはわからない。


「食べてごらんよ」


 トーリは楽しげに促した。

 しかし大事な邪神様だ、なにかあってはいけない。俺が毒味を申し出るより早く、ポピーはその謎の揚げ物を細い指でひょいとつまむと、ひとくちでぱくりと食べてしまった。

 ぷっくりふくれたほほをもぐもぐもぐ、キラキラっと目を輝かせる。立ち食いする邪神様など、世界中を探してもここにしかいないのではないだろうか。


「うまいのう。これは卵か?」

「おや、おいしい卵は当たりだよ」

「まずい卵もあるのか? それは食って平気なのか?」


 やはり毒味をすべきか、とブラッドが揚げ物をにらみつけるのを見てトーリはおかしそうに笑う。


「平気じゃなきゃ売らないよ! ハズレをひいたって単にまずいだけさ。たぶんね」

「たぶん……?」

「ひどい食べ物にあたって倒れた人がいる、なんて聞いたことがないもの。それより、卵が気に入ったならこれも好きかもしれない。中身が僕の思ってるものなら、だけど」


 トーリにとっては食あたりするか否かより、おすすめを教えるほうが重要らしい。

 ポピーの持つ揚げ物のなかでも特徴的な形のものを指差して、勧めている。


「なんじゃ、これは……またふんわりと柔らかなものじゃのう。それでいてほんのりと甘い。ううむ、うまい! が、何だかわからん!」

「あ、良かった。それも当たりのだ! 食べなきゃわかんないけど、ドキドキして楽しいでしょ!」

「うむうむ!」


 ポピーとトーリはきゃあきゃあ言いながら揚げ物をつついている。同じものがふたつあったり、なかったり。おかしな食べ物だ。

 まあ、味は悪くないものが多い。

 そんな俺の心を見透かしたように、トーリがにまと笑う。


「面白いでしょう。不思議でしょう? いろんな国から、いろんな街から、いろんな村からいろんなものが集まって、そしてひとつになってるこの街を表す、何でもかんでも混ぜこぜの揚げ物さ。口に合うものも合わないものも、何でもいちどに揃ってるフリンダム名物。全部乗せ! いちど試すとやみつきでしょ」

「まぁ、まずくはない」

 

 素直に認めるのは何となく不満だし、不審なものを大切な邪神様に食べさせたところはちょっと許せないけれどを本人が喜んでいるようだから許してやることにした。

 朝飯も済ませたし、そろそろこの男とはおさらばしたいところ。

 そう思った時、トーリがふと身をかがめた。止める間も、ポピーを下がらせる暇も無かった。


「あれ、ポピーちゃん。なにかキラッとするものがついてる……」


 言葉が途切れたのは、フードの下に隠された鱗と角に気づいてしまったから。

 ポピーとブラッドはガチリと固まる。

 油断した。油断しすぎた! 

 抱えて逃げるか、先にこいつを昏倒させるべきか。

 ブラッドが迷った隙にトーリは笑った。

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