第12話 邪神様vs湖の魔物

 湖は暗く、静かだった。

 風がないために湖面は鏡のようで、夜空をそっくりそのまま映している。かすかにちかちか瞬くのは、遠い空の星だろう。

 対岸の見えない巨大な湖をじっくりと眺めたポピーがほうと息を吐く。


「何もおらんのう。それにひどく静かじゃ」

「ここには水竜の群れが住んでいて、昼夜を問わず湖面に落ちたものを食うらしいんです。だから誰も渡ろうとはしないんですよ」

「ほう、詳しいの」

「今より若い頃、水竜に挑もうもしたことがあったんですけど、水の上で戦うのは足場が悪すぎると諦めました」


 生まれ育った村を出たブラッドは、聖都に向かう前にあちらこちら旅をした。

 不老不死の薬を探してみたり、最強の剣士を探してみたり、忙しくとても楽しい日々。

 その過程で強い魔物がいるという噂を聞いては戦いに向かったけれど、水竜だけはどうにもならなかった。

 

「魔力で空を飛べれば、なんて思って修行したこともありますけど、魔力操作が苦手で。攻撃の際にパワーを爆発させる以外の脳がないんですよね」

「ふはっ、お主もか。わしも苦手じゃった」

「おそろいなんて、光栄ですっ」


 うれしくなったブラッドはポピーを抱きしめる。


「はっ、はなすのじゃ! 用もなく抱きあげるな!」


 彼女はじたばたと暴れて腕をすり抜けた。

 用があれば抱き上げて良いのだな、とブラッドはにっこり。

 

「というわけで、格好良くこの湖を越えてゆく! って言ったいところなんですけど、越える手段がないので湖のほとりを歩いていきましょう。あなたの事は俺が背負いますから」


 さあ、これは立派な用だろう。

 しゃがんで背中を向けるブラッド見下ろして、ポピーは赤面しつつもしがみついてくる、と思いきや。「なんじゃ、相変わらず湖のまわりも危険なのか。そこいらは変わっておらんのう」などとつぶやきながら、顎に手を当ててふぅむと思案している。


「ちと試してみるかの」


 言うなりブラッドの返事も聞かずにポピーは両手を打ち鳴らした。

 途端にどうっと溢れた魔力が湖に落ちて、きらりと跳ねる。跳ねたそばから魔力に触れた湖水がパキパキと固まっていくではないか。


「は、すご……!」


 ブラッドが息を飲み目を丸くしているうちに、氷でできた小舟が湖面に浮かんでいた。

 

「どうせ湖畔は湖畔で水を求めた魔物が集まって危険なのじゃろう? ならばここはひとつ突き進んでみるのも一興かと思うてな。動力はこのわしじゃ!」

「素晴らしい! なんて贅沢な動力! あなた様以外の誰が真似できるというのか。いいえ、そもそも常人は小舟を作り上げ溶けないよう維持できるほどの魔力を持たず、そんな繊細な操作もできませんっ。湖畔も湖も通れないということで、聖都は他の大都市との交流が無いんですよ」


 応えながらもブラッドはさっそく小舟に乗り込む。

 ぐわんと揺れたけれど、そこは鍛えた体幹の出番。危なげなく立ったまま、陸地に立つポピーに手を伸ばした。


 ※※※


 シュバババババ! 

 後方へ水を吹き飛ばしながら、氷の小舟は軽快に湖面を進む。

 冷たい夜風を切って走る心地よさ。その素晴らしさにブラッドの心はうきうきと弾む。

 岸がみるみる遠ざかるなか、小舟を囲む不穏な影が。

 ざばざばと頭をもたげたのは、子どもなら丸呑み。成人男性でもふた口で食ってしまうほどの大きさの水竜だ。その水竜の群れを前に、ブラッドは意気揚々と剣を手に取る。


「ようこそ、水竜ども! 一度この水竜どもと戦ってみたかったのですっ。邪神様に感謝!!」

「おー、呼び方が戻っておるぞ。舟の操縦は任せよ。と言っても一直線に前進するだけじゃが」


 答えるポピーは舟の後部にちょこんと座って魔力を放出中。

 もちろん座る彼女が寒くないように荷物のなかから取り出した防寒具をしっかりと着せた。もふりと着膨れただけでは心持たないと、座っている箇所の舟底には防水のマントを敷いてある。ぬかりはない。


 舟の後方に顔を出した水竜が、推進力となっているポピーの魔力に焼かれたらしい。「ギィッ」と短い悲鳴をあげた一頭が暗い湖面に沈む。

 そのまま颯爽と走り去ろうとする小舟を群れの水竜たちが追いかけてきたのは、仲間意識のためか。

 怒れる水竜たちはギィギィと喚き立てながら、口々に水砲を放ってきた。


 ドォッ!

 ドドォッ!!


 水砲が着水するたび、小舟がぐわらぐわらと揺れる。

 揺れたそばから次の水砲が小舟をめがけて放たれて、四方八方から押し寄せる大波にもはや前進することもままならない。

 そこを狙ってきたのだろう。

 波間を縫って水竜たちが小舟を囲む。大きく開かれた口のなか、鋭い牙が夜闇をものともせずぎらついた。

 普通の人ならば死を覚悟して震えるところだが、ブラッドはうれしくってたまらない。


「ふはっ。よく来たな、そこは俺の間合いだ! 『其が求むるは鎮魂の静寂、終焉斬ッ』」


 叫びながら飛びかかる。口にしたのは物心ついてからずっと練り続けてきた『かっこいい技名』。斬撃が水竜に触れた瞬間、身の内にある魔力を爆発させて硬いはずの牙を叩き切る。


 それも一撃では終わらない。

 一頭、二頭そして三頭。

 剣を振り抜いた勢いに乗せて宙を舞い、続けて三頭の水竜の牙を叩き切った。

 ドボン、バシャン、ガランッ。折られた牙が飛沫をたてて、砕けた牙の根から噴き出した血で暗い湖面がますます濃い色に染まりゆく。


「ふはは、生ぬるい生ぬるいっ。そんな程度の牙で俺をやれると思うな!」


 強い相手と出会えば血肉が騒ぐ。

 水竜たちが距離を取り、再び四方八方から水の砲丸を打ち出した。それらをブラッドはすべて切り飛ばす。

 そのたび小舟が大きく揺れるけれど、そんなことは意にも介さない。

 楽しく剣を振り回すブラッドをポピーが止めた。


「待て待て」

「はい、どうしました?」


 ぴたりと動きを止めたブラッドを騎士見習いの口の悪い者が見たなら「まるで飼い慣らされた犬だ」とでも言っただろう。

 飼い犬おおいに結構。ブラッドの夢は子どもの頃からずっと変わらず、強い相手に仕えることなのだから。


 そのブラッドがついに出会った支えるべき相手、ポピーはいつの間にか魔力の放出を止めていた。

 小舟は今や湖のど真ん中でぐわぐわと揺れているだけで、進んではいない。


「ちと、わしにも遊ばせよ」

「御心のままに」


 にんまりと笑う少女とその前に膝をついて首を垂れる騎士。

 絵物語のような光景をより幻想的にしているのは、少女の額を飾る角と鱗だ。

 その角がきらりと青く光る。

 うす青い光に照らされたポピーのなんと神々しいことか。凄みのある笑みにブラッドの背中がぞくりと震える。


「ずっとな、まどろみながら考えておったのよ。この身に宿る魔力を自由に使えたならば、どうしてくれようかとな……!」


 ちいさな手のひらにきらめく魔力があふれた。

 そう思った、瞬間。


 魔力の光に触れた水竜が消えた。

 消えたかのように見えた。


「消失、させたのですか?」

「む、わしがそんな恐ろしいことをすると思うてか。よく見よ」


 言われて、細いが示す先に目を凝らす。

 すると。

 パシャン。パシャパシャ。

 湖面を泳ぐ数匹の蛇らしき影。慌てた様子で遠ざかった蛇たちは、まもなく暗闇のなかへ消えていった。


「水竜が、小蛇に……?」

「そうじゃ。魔力に指向性を持たせての。魔物の持つ魔力と打ち消し合うようにしてみたのじゃ。上手くいくかわからんかったが、この通りじゃったわい!」


 呆気に取られるブラッドの視線を受けて、ポピーは自慢げに胸を逸らす。


「わし、すごかろ?」

「すごいです……」


 いや、すごいなんてものじゃない。そう言いたいのにブラッドは言葉が続かない。

 魔物とは、戦って倒すもの。あるいは結界のうちで通り過ぎるのをやり過ごすもの。それ以外に方法はなかった。

 だがポピーの示した方法ならば、打ち倒すことなく魔物の脅威を退けられる。

 小蛇程度の大きさの魔物が水竜と呼ばれるまでになるには、間違いなく十数年あるいは数十年の月日がかかるはずだ。


「すごいです、本当に。ですが、魔力は枯渇していませんか?」

「ふふん! この程度で底をつくと思われては困るな」


 ポピーは見せてやる、とすぐさま魔力を放出してみせた。後方へと噴き出す魔力の勢いで、小舟は再びするすると湖面を進む。

 水竜が先ほどの群れで全てとは思えないが、邪魔をしに現れるものはもういない。

 おかげであっという間に岸が見えてきた。


「お、もうすぐ着く……の……?」


 弾んだ声をあげたポピーの体がぐらりとかしぐ。


「ポピー様!?」

 

 とっさに腕を伸ばして抱き留めれば、細い体は抵抗もなくおさまった。


「どうされたのです! 起きてください!」


 呼びかけてもポピーはくったりと力ないまま。額の角は輝きをなくし、鱗はほろほろといくつか剥がれ落ちていく。

 彼女の意識と共に注がれていた魔力が途切れたせいだろう。推進力を無くした小舟はのろのろと停止した。

 それだけではない。


「くそっ、舟が壊れ始めた!」


 魔力で凍らせた小舟は、限界を迎えていたらしい。途端にパシパシと音をたててひび割れはじめた。

 湖畔まではもうあとひと息。この寒さのなかずぶ濡れになれば、鍛えているブラッドはともかく華奢なポピーは命に関わりかねない。

 ブラッドの魔力操作では小舟を維持できないだろう。

 そう判断して、ブラッドは跳んだ。すぐそこ、というにはやや遠い岸を目指して。

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