第11話 聖女ピリカは王宮騎士を好まない
ブラッドと邪神が湖を目指しているころ、聖女ピリカは自室の鏡台に座っていた。
明かりもつけずにいるせいで室内は暗い。
聖女の部屋は大聖堂内に用意されている。ひと声かければ大聖堂で働く誰かしらがすぐさま明かりを持ってくるだろう。
いいや、普段であれば呼ぶまでもなく聖女の部屋に明かりを灯す係がやってくるのだ。けれど今日、それが無かったのはピリカの部屋の外に立つ王宮騎士のせい。
邪神を解放してしまったことを王に告げるべく聖騎士を走らせたところ、帰ってきたのはこの王宮騎士だったのだ。
しかしピリカは、この騎士がどうにも好きになれない。
自身が王宮側から叱責を受ける立場にあるせいも、もちろんある。けれどそれを抜きにしたって、王宮騎士の眼差しが気に入らない。
王宮騎士であるから、もちろん清潔感はある。身を包む衣服もほどよくきらびやかで、引き締まった体を覆う様はきりりとして見える。顔だって整っていると言っていいだろう。細い眉に切れ長の目、薄い唇をしたその容貌を醜いと評価する人はいないはず。
どこからどう見ても立派な騎士だ。
──でもこの方の目は、私を侮っている。ううん、嘲っているんだわ。
自らの失敗にへしょげていたピリカの胸を怒りが焦がす。
確かにピリカは間違えた。手を出してはいけないものに手を出して、失敗した。
けれどその失敗は、ピリカが今日まで積み上げてきた何もかもを無かったことにするような結果をもたらしてはいない。
少なくともピリカはそう思っている。
──そうよ。聖女の座を手に入れたのは私の実力だもの。孤児院で魔力の高さを見出されてから、大聖堂へ通い前聖女様のもと魔力を高めて技を磨き上げてきた事実は変わらないわ!
怒りの熱でピリカの背筋がしゃんと伸びた。
姿勢良く、強い意志を瞳に宿したピリカは毅然として美しい。神聖さだって感じさせるだろう。
だというのに王宮勤めの王宮騎士は、聖女であるピリカに笑顔のひとつも見せずに言った。
「詳しい話は後ほど。ひとまず王に呼ばれるまで自室で待機していただきます」
丁寧なふうを装っているが、王宮騎士の言葉は決定事項を伝えるそれ。
向けられた冷ややかな視線と相まって、威圧感を与えてくる。そのあんまりな態度に、ピリカに付き添ってくれていた聖騎士が声を荒らげた。
「貴様、それが聖女様に接する態度か!」
「何か問題でも?」
「なっ!」
火に油を注ぐような王宮騎士の返答に、聖騎士がいよいよ怒りを抱いたと気づいてピリカは声をあげる。
「良いの、良いのよ。王命だもの、従うほかないわ」
「しかし、聖女様……」
ほかでもない、聖女の言葉に聖騎士は怒りを飲み下す。けれど納得はいかない、と言いたげな視線をピリカへ向けた。
それを横目に王宮騎士が告げる。
「伝言を届けたのち、そのまま聖女様の警護にあたるように言われております。ここは私が引き受けますのでどうぞ、神殿騎士の方は他の仕事にあたってください」
「そんなことは承諾できません! 聖女様のおそばに聖騎士がひとりも居ないなど、許されることではないっ」
聖騎士が「ありえない」とつばを飛ばす勢いで反論するも、王宮騎士はどこ吹く風。
「おや、神殿騎士の方は王の命が聞けないと。よくありませんね、聖女様に心酔するあまり、この都の王が誰なのか忘れてしまったのかな?」
「貴様っ」
「下がってちょうだい!」
とっさに叫んで、聖騎士に首を振る。
「いいのよ、下がってちょうだい。彼の言うとおりにしましょう」
「ああ、聖女様はきちんとわかっておいでだ」
「あなたも。一緒に下がってちょうだい」
嘲笑うように唇を持ち上げた王宮騎士に、ピリカは毅然と告げた。
「私の警護をするのに、聖騎士たちはいつも扉の前に立ってくれています。王宮仕えとはいえ、あなたも騎士なのでしょう。警護対象の真横に居なくてはできないだなんて、言わないわよね?」
王命を振りかざされた手前、言うことを聞かないわけにはいかない。
けれど侮られたままでいるのを許せるほど、聖女ピリカは自身を低く見積もってはいなかった。
──こんな不躾な視線にさらされ続けるくらいなら、ひとりきりでいたほうがよっぽど良いわ!
ピリカの言葉に王宮騎士は軽薄な笑みを消し「へえ」と呟く。無表情に近い彼の顔からはどんな感情を抱いているのか読み取れない。
その王宮騎士の様子を横目に見た聖騎士が、ピリカに向けて頭を下げる。
「……ピリカ様、それでは失礼いたします。本日は大聖堂内の巡回任務がありますので、ご用の際は遠慮なくお呼びください」
「ええ、その時には頼むわね」
いつでも駆け付けられる距離に聖騎士を配備しておく、という聖騎士の気遣いがありがたい。
ピリカは常人を上回る魔力を持ち、魔力操作においても並の術師に負けはしない。そうあるよう、鍛錬を積んできた。
それでもピリカは少女なのだ。
成人男性、それも王宮騎士という戦いのプロフェッショナルを相手に負けないとは言い切れない。
――秘匿されていた存在を解放したからって、王がこの私、聖女に危害を加えるよう指示するとは思えないけれど。だって、あの邪神ったら解放されたというのに何をするでもなく逃げて行っただけだもの。
今の今まで聖都が破壊され、けが人が出たなどという報は入ってきていないのだ。
聖女の癒しの力を乞い求める声がないのは、あの邪神が何もしていない証拠だろう。
――そもそもあの邪神が脅威なら、きちんと見張りを置くはずだわ。王と聖女にしか知らされない、なんてことあるはずないもの。そうよ、あの邪神は何もせず聖都から立ち去ったのだもの。ちょっぴり建物は壊れてしまったけれど、人に被害がないし私は危険を取り除いただから、大事にすることでもないはずよ。
ピリカが強気の姿勢を崩さないのを見て、王宮騎士はわずかに肩をすくめる。
表情こそ取り繕っているが、その目がつまらなさげにわずかに細められたのをピリカは確かに見た。
そうして聖騎士と王宮騎士とが退室していって、どれくらい経っただろう。
暗い自室でただただ座っているうち、ピリカの怒りはしずまっていた。
怒りの熱が去るとひとりきり、静かに過ごす時間に嫌でも考えてしまう。
起こしてしまったことへの後悔。王から下されるだろう処分について考えるうち、気持ちはどんどん沈んでいく。
もしかしたら聖女の資格を剥奪されてしまうんじゃないか。そうなったらピリカはどこへ帰ればいい? 元いた孤児院には戻れない。孤児院の誉だ、と盛大に送り出してくれた人々の元へ、ただのピリカがどうして顔を出せるだろう。ピリカならきっと、歴代の誰にも負けない素敵な聖女様になれると言ってくれた人々の期待をどうして裏切れるだろう。
最悪の結果を思い浮かべたピリカが泣きそうになっている、そこへ。
「聖女様、王がお呼びです」
「ああ……」
ついにかかった呼びかけは、王宮騎士の声。
ピリカは途端に重さを増した体を持ち上げた。
この重さは心にかかる重さだ、とわかりながら進める足は、鈍かった。
※※※
「ひとまず、申し開きを聞いておこうか」
通された王の執務室。
ぜいたくな椅子に座る王が、むっちりと肉のついた腕で頬杖をついて言う。
分厚いまぶたと頬肉に押し上げられた隙間に見える冷ややかな視線に、ピリカは体が固まり声が出なかった。
薄着の王は暑そうにしているが、しんと落ちた沈黙がまたいっそう部屋の空気を冷やすように感じられてならない。
部屋のなかにいるのはピリカと王、それからあの目つきが癇にさわる王宮騎士だけ。
部屋の前までついてきてくれた聖騎士は入室を許されず、扉が閉まりきるまでずっと唇かみながら佇んでいた。
「はあ……」
王のため息にピリカの体がびく、と揺れる。
苛立ちを含んだあからさまな響きだ。黙っていてはいけないと、ピリカは怯えながらもどうにか口を開いた。
「じゃっ、邪神と呼ばれるからには邪悪な存在。人々に害をなす前にどうにかせねばと思ったのですわ! このたびは私の力及ばず封印を解除するだけとなってしまいましたけれど、でも人に被害はありませんし、邪神はどこかへ飛び去ってしまったようですし、結果として、そう。結果としては良かったのでは無いかと……!」
「はあ。先代の聖女が見込みのある娘だと言うから、早々に共有したというのに」
焦って重ねた言葉に返ってきたのは、再びのため息。そしてぼやくように続ける声にこめられていたのは明らかな落胆。
それを向けられたピリカはいっそう身を縮こまらせる。
──聖女の資格を剥奪されてしまう……!?
怯えたピリカだが、王は興味を無くしたかのように視線をそらし、背後に控える王宮騎士へと目をやった。
「コティハ。わかっとるな?」
「はい。王の信を裏切る真似は致しません」
嘲りの目を向けてくる王宮騎士はコティハというらしい。
優雅に頷いてみせたコティハの視線がピリカに向く。
「あちらの聖女サマはいかがいたしましょう。始末しますか?」
「ひぃっ!?」
物騒な言葉を向けられたピリカは思わず悲鳴をあげ、慌てて自身の口を押さえた。
大型の魔物キマイラの尾を踏んだような心地だ。
「聖女になれるだけの魔力は持っているのだろう。ありったけを捧げさせろ」
「維持できますでしょうか」
「無理でもしぼり出させろ。足りなければ候補を消費すれば良い。前聖女を呼び戻す用意もしておけ」
「おおせのままに」
ぽんぽんと交わされる会話の意味がピリカにはわからない。
わからないけれど、どうやら自分の命を奪われることはなさそうだと感じて、つぶやきがこぼれた。
「私は、聖女でいられるの?」
「ええ。聖女でいられますよ」
にっこりと笑顔で答えたのは王宮騎士コティハ。
いつの間にか目の前にやってきていた彼はピリカの腕を無造作につかむと、扉へ向かって歩き出す。
「いたっ、痛いわ! 離してっ。離しなさい!」
乱暴な扱いに悲鳴をあげ抵抗しようと身をよじった。
しかしコティハの手から逃れることはできず、むしろ締め付ける力が強くなる。王は止める気がないどころか、もうピリカたちに興味すらないのだろう。椅子に深々と腰掛けてあくびをしている。
そうしている間にも握りしめる手は強さを増して、ピリカは悲鳴も上げられずに痛みに涙をにじませた。そんなピリカをコティハが覗き込むようにして、無理やりに視線を合わせてくる。
「敬われる聖女サマはもうおしまい。今からあなたは魔力を絞り出す道具になるんですよ」
うれしそうに告げるコティハのなんと生き生きしていることか。絶望したピリカは、ずるずると引きずられていった。
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