第10話 銀の守り手
「ちょっと詳しく話してもらおうか」
馬車をあらためて路肩に寄せて止めてから、ブラッドは商人の青年カイを問い詰めることにした。
馬を休ませるため、と告げて馬と馬車とを繋ぐロープは外してある。もちろん話の途中でカイに逃げられるのを防ぐためだ。
カイもわかっているのだろう。「ああ〜……」と何やら情けない声を出しながら止めたそうに手を伸ばしていたが、止める間も無く作業を終えればがっくり肩を落として諦めたらしかった。
俺が地面を軽く掘り、火をお越しはじめるとカイはしぶしぶ対面に腰をおろす。
逃亡の意思は無さそうに見える。仲間が隠れている様子もない。それでも万一に備えてポピーは布でぐるりと巻いて片腕に抱えておく。
大切な主を凍えさせるなど、配下失格であるから。
「さあ、火も起こしたから、遠慮なくゆっくりしてくれ。それで、銀の守り手とは?」
「あー……ううん、そうだねえ。商人に言い伝えられてるただの言い伝えなんだけど。それでも聞く? 言い伝えというか、迷信というかそういう眉唾な話なんだけど」
「聞く」
この後に及んでむにゃむにゃと言いよどむカイだったが、端的に返せばようやく腹をくくったらしい。
「わかったよ……そうだな、あれこれ話す前にこれを見て」
言って、カイが懐から出してきたのは片手のひらに収まる程度の小さな棒状のもの。
あたりはすっかり暗くなっていたが、薪をあぶる火が彼の手の上のものを赤く照らす。
「人形、か? 金属で出来たのは珍しいな」
「実はこれ、銀器なんだよ。盗難防止にぱっと見は子どものおもちゃに見えるよう造ってあるけど、よく見てみて」
言われるまま、まじまじと眺めればなるほど。人形には細かい細工がほどこされている。手を組み祈る女性の姿だろうか。金属のきらめきを帯びた横顔は神聖さを感じさせるほどに精巧だ。
「この像が銀の守り手だよ。僕ら聖都を中心に活動する商人の間でお守りとして大切にされてる」
さっき門の前で団結して動いたのもこの像を持つ商人ばかりだよ、と続けるのを聞いて納得した。
いかに商人同士とはいえ、即興の話に乗る相手をあの場であれほど集められたのは、元々の繋がりがあってのことだったのだ。
「ふうん。俺は聖都でしばらく暮らしていたが、見かけなかったな」
「ああ、銀の守り手はおおっぴらにしてはならない、って言われて育つからね。商人の子でもないと目にしないはずだよ」
「なぜ? 守り神なら多くの信仰を求めるものじゃないのか」
現に、聖都をおさめる王族は信仰を集めるために聖女を置く。
王による円滑な政が行われるために、民衆の心をひとつにまとめる聖女が必要なのだと。聖女のお付きに選ばれた際に上官から言い含められた。
それゆえ聖女付きの騎士は、剣の腕以上に清廉潔白であることが求められるのだと。上官は「その点に関してお前は心配していない。金銭や色仕掛けにかかるタイプじゃないからな。そこが厄介でもあるんだが」などと言っていたが、もう関係のない話だ。
「守り神じゃないよ、守り手さ。『銀の守り手は』そう教えられただけで、違いは僕にもわからないけどね」
「……それだけか」
「うん。僕が知ってるのはこれだけ」
あっさりと言うカイに嘘をついてる様子はない。
それゆえ、話し始める前になぜあんなに渋ったのかが気になった。
そそくさと懐にしまった守り手の像は、神秘的ではあるがそれだけだ。禁忌めいた装飾が施されているわけでもなく、銀色をしている以外に特徴らしい特徴もない。
それこそ角や鱗が生えているわけでもないのに、なぜ話すのをあれほど渋ったのか。
やはりまだ秘密にしていることがあるのではないだろうか。たとえば聖都には悪の組織があり、商人という隠れ蓑を使っているだとか。そこのシンボルが銀の守り手であるだとか、そんなわくわくする秘密が。
あれやこれやと楽しい想像をふくらませながら見つめていたのをどう思ったのか、カイが焦ったように眉を下げる。
「ほんとだよ? これ以上は語ることなんてないからね。守り手に誓って」
自分の名に誓わないあたりが騎士とは違う。
商人は状況次第で身の振り方を変えるものだろうから、そのせいだろう。
「その割にずいぶんと渋ったじゃないか」
「だって、他言するなと教えられてるんだよ」
「親にか」
「親にもだし、祖父母にもだね」
祖父母の言いつけとなると、頑なに守ろうとする姿勢も理解できた。
ブラッドの祖父母も怖い人たちだった。もちろん両親も強くなければ生き残れないと、幼少期から戦い方を教え込まれはしたけれど。
祖父母は実地が大切だと幼いブラッドを魔物の群れに放り込んだものだ。
文字通り必死に戦って、怪我をしても「死ななきゃ大丈夫」と笑って見ているばかり。いよいよ腕も上がらず視界も狭まって生を諦めるぎりぎりのラインで助け出してくれる。その時の、瞬く間に魔物の群れを倒してしまう姿に憧れて、ブラッドは強さに惹かれるようになったのだ。
「人に知られると困るようなシロモノなのか? 聖都の商人にばかり伝わっているというのも、不思議なものだな」
たぶんまだ何か、カイも知らない秘密が隠されているにちがいない。それもワクワクするような秘密が。ブラッドの勘がそう告げている。
だが、今はそれをさぐるべき時ではない。
「まあ、いい。おかげで助かったからな。あんたと、銀の守り手に感謝する」
言って、腕の中の温もりを抱え直す。
「むぅ……」
身じろいだ時に冷えた風が触れでもしたのか、ポピーがわずかに見える口元をへの字に曲げる。
いやいやをするようにブラッドの胸へ頭を擦り付ける仕草はあどけなく、愛おしさを湧き上がらせた。
彼女に害が無いのならばかまわない。
そう結論づけて、意識してカイへの警戒をすべて解く。
ほう、とひそかに息を吐いた青年は、若いながらも勘が鋭いのだろう。商人として大成しそうだ。
「引き留めて悪かったな。暗くなったが、目的地へ辿りつけるか?」
「ああ、問題ないよ。もうあの丘を越えたらすぐのところだし、このあたりは魔物もそうそうでない地域だからね」
けろりと言うあたり、引き留められることは想定していたのかもしれない。
さっそうと立ち上がり馬と荷車をつなぐカイが、ふと振り返る。
「それよりも、あなたたちはどうするの? 僕が向かう村へいっしょに来るなら、もう一度荷台に乗ってくれればすぐそこだけど」
「いや、俺たちはここで良い」
「そう? 火があるとはいえ寒くないかい。それに、魔物があまり出ないとはいえまったく出ないわけじゃないんだけど」
わざわざ忠告するあたり、勘の良さに加えてお人よしでもあるようだ。邪魔な荷物を手放せる、とさっさと行ってしまうことだってできるだろうに。
「問題ない。お前は荷台に誰かが乗っていたなんて気づかなかった。ただ聖都から村への道中で馬が機嫌をそこねて脚を止めたから、仕方なく火を熾してしばらく時間を潰しただけだ」
世話になった相手であり、お人よしの彼とは縁を繋がないほうがいい。
ポピーを邪神と呼んで封印していたからには、彼女の存在は何かしら不都合なものである可能性が高い。それが聖都にとってなのか、王族にとってなのか、あるいは他の誰かにとってなのかはわからない。わからないが、追っ手がかかった場合を考えれば、善良な商人を巻き込むのは避けたかった。
そんな意図を込めた言葉を、彼は正確に把握したらしい。「そうかい」とあっさりと背を向けた。かと思いきや。
「それじゃあ、僕は道ばたで火を熾しついでに、軽食をつまんだだろうね。それから寒さをしのぐために積み荷の果実酒を飲んだろうなあ」
カイは荷台を漁り、布袋へがさがさと物を詰めていく。荷台の中は暗がりだろうに、その手つきに迷いはない。
瞬く間にそこそこの大きさに膨れたそれを焚き火の横へ置くと、彼は松明に火を移してひらりと御者台に乗った。
「商人のくせに代金を求めないのか?」
「お代はまた今度、会ったときにもらうから。割り増しにしちゃうかもだから覚悟しておいてよ」
カイは笑いまじりに言って前を向いたまま手を振り、馬を歩かせる。とことことっととテンポをあげた馬の脚に合わせて荷馬車は速度を上げていく。
振り返らないままの商人は見る間に闇へと消えていった。
その姿をぼうっと見守っていると。
「んむ……寒いのう」
腕のなかで身動ぐ人があって、ブラッドは慌てて視線を落とした。
気づかないうちに巻きつけていた布がはだけていたらしい。
「申し訳ありません」
急いで布を巻き付け直そうとするも、それより早くポピーの腕がにょっきりと伸ばされる。
「良い、もう起きる。寝るつもりなどなかったのに、いつの間に寝ておったのかのう。おお? ここはどこじゃ。商人はどこへ行った?」
「ここは聖都を出て南へ進んだところです。商人とは向かう先が違うので、別れました」
縁をつながないために別れた、とわざわざ伝える必要はないだろう。まだ入用なものがあったというのならば、他の商人を探せば良い。
「そうか……一言、礼を告げておきたかったのじゃが」
「そのお気持ちだけで生きとし生けるものは歓喜に湧くことでしょう!」
いつの日か、商人の青年カイにも「お前が助けた相手は実は邪神様であったのだ」と教えてやりたい。邪神様のお役に立てたことに喜び、そんな幸運に恵まれたことに涙を流して喜ぶに違いない。
「うぬぅ、お主はちょくちょくおかしなことを言うな。まあ良い、それよりも商人と別れて、わしらはこれからどこへ向かうのじゃ? すっかり暗くなっておるが、野宿するのかの」
きょろきょろとあたりを見回すポピーは、村を探してでもいるのだろう。
「いいえ、野宿の予定はありません。しかしあなたがまだ眠り足りないのであれば、今すぐできる限りの物資でもって寝床を整えさせていただきます」
「眠気はもうないが」
「であれば、進みましょう。湖を越えて」
告げて、ポピーの身体を抱き上げる。軽い体を肩に座らせれば、彼女にも俺の目指すものが見えたらしい。
「おお、暗くてわからなんだが、あれは平野ではなく湖か。空の星が映りこんで、なんとも美しい景色じゃのう」
ほう、と感嘆の息をつくポピーを夜風がなでてフードを背に落とす。
銀髪に銀の角、そして肌を彩る鱗が夜闇のなかにきらきらと光る。その横顔こそ言葉に表せないほど美しく神秘的で、俺は促されるまで彼女の横顔に見とれていた。
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