第15話 やがて邪神と呼ばれる少女の記憶

 ──そうだ、思い出した。


 書き記された言葉を目にして、遠くおぼろげだった記憶がふわりと形を帯びる。


 父は病弱だった。

 雨が降っては体調を崩し、風が吹いては具合を悪くして寝込む。そんな暮らしを子どもの頃から送ってきたという父は、自分の食糧を自分で育てるという貧しい村の暮らしについていけずにいたという。

 体力は、押しかけて居座りそのまま妻になった母にも劣る。その代わり、父は豊富な知識を持っていた。


「これは血止めに良い草だね。そっちの草の根は咳に効くよ。植物は色んな力を持っているんだよ」

「それじゃ、×××は?」

「×××にもきっと素敵な力があるさ。だって君の名前も花からもらっているからね。それがどんな力なのか、今はまだわからないだけで……」


 薄れた記憶のなか、父は娘の額をやさしく撫でてくれた。顔はおぼろげで思い出せないけれど、痩せてすこし冷たい指の感触だけは覚えている。

 何度も、何度も。

 そこにある鱗が指先にざらりと引っかかるのを、父はどんな思いで感じていただろう。


 自分の顔に鱗状の異物が認められたのがいくつのころなのか、彼女自身は知らない。

 物心ついたころには「家から出てはいけないよ」と言われ、人目を避けて過ごしていたことだけ覚えている。

 だからこそ、ひとりきりで待つ家に父がずっと居る時間がうれしかった。


 病床の父の話に、幼いころは胸を躍らせたものだ。

 何度聞いても、父の話に飽きることなどない。むしろ父が寝込むことがうれしくさえあった。

 

 ──今にして思えばひどい娘だ。


 異質な姿でもって家族を村に居られないようにしたのだから、本当にひどい娘だったろう。

 両親は人に見られないように、と穀潰しをかくまってくれていたというのに。

 当の本人はうっかりと村の者に見られて、幼い頃より増えた鱗や育った角が人に感染るに違いないと言われて、そうして村を追い出されることになった。


 それなのに父も母も、責める言葉のひとつも聞かせてはくれなかった。

 父は弱い体にむち打って旅をして。

 ようやくたどり着いた場所は、蔓延る魔物のために人の住めるようなところではなくて。

 

 ──人を苛むばかりのこの身が役に立つならと、結界の魔力源として封じられたのじゃったなあ。


 封じられるというのは、眠ることに似ていた。

 体の自由は効かず、意識はたいてい深く沈んでいたけれど。たまに、ふらりと浮上してたゆたうその時に、父の声を聞いた覚えがあった。


「……父さん、行ってくるね。×××が笑って過ごせる世界になること、信じてるから」


 わずかに聞き取れた言葉だけを抱えて、意識はまた沈んでいった。

 だから、あれは別れの言葉だったのだと思っていたのだ。

 厄災ばかりをもたらす娘に、とうとう愛想を尽かしたのだと。眠るように封じられた娘に別れを告げて、父はひとり新しい人生を歩んでいったのだとばかり、思っていたのに。


「……わしの未来のために、あの頃のわしに別れを告げていたとはな」


 ざらり、触れた文字列に書かれたものは記録でしかない。

 それも二百年も前の記録。

 けれど間違いなく、そこに父の姿を見た。

 病弱な体に鞭打って、二度と会えるとも思えない娘のために懸命に生きた父の思いが、二百年の長きを越えていまここに届いていた。


 ※※※


「父上……」

「え?」

「えっ」


 ぽつりとこぼれたポピーのつぶやきに、ブラッドと医者はそろって戸惑いの声をあげた。

 

 けれどそれきりポピーは黙り込んで、静かに資料の文字を指でなぞっている。


「……邪魔しないほうが良さそうだな」

「ああ」


 医者は経験豊富なのだろう。今はそっとすべきだと判断したらしい。

 ブラッドも静かに頷いて返してから、この際だとひそめた声でたずねる。


「時に、魔症を持つ者が魔力を使うと意識を失う、という事例はあるだろか」

「はあ? 魔力を使って意識を? そりゃあ魔力の枯渇じゃねえのか。自分の魔力量のわかってないがきがやらかすやつ」


 医者が呆れたように片眉を上げるものだから、ブラッドは心のなかで密かに「うっ」とダメージを喰らう。

 幼いころ、超ウルトラめちゃくちゃハイパーかっこいい魔術を生み出してやる、と加減もせずにありったけの魔力を込めてぶっ倒れた過去があったからだ。

 その時にブラッドが魔力の細かい操作に向いていないと親から知らされて、そこからは剣に魔力を乗せて絶大な威力を発揮する方向へと転換したのだった。


 ――暗黒の魔剣士、というのも最高に格好いいから問題ない。ああ。


 ブラッドが思い出されかけた黒歴史をそっと埋め戻している間に、医者は「うーん?」とあごをさすって唸っていた。


「いや、でも魔症持ちが? ってことは、このお嬢ちゃんがか?」

「あ、ああ。魔力を使った後に、明らかにぐったりと意識を無くしていたことがある。それからこちらは恐らくになるが、ゆすっても起きないほど深く眠っていたことがあって。その時も魔力を使ったあとだった」


 ブラッドも魔力を使いすぎたとき、気づけば自分の部屋のベッドで寝ていた。親に「庭で寝るのはやめとけ」と言われた記憶があった。


 ──たしかに、我が主も湖を渡るため魔力を放出しっぱなしていたし、子ども……というには聡明で素晴らしい人だが、まあ、久々に魔力を使って加減を忘れたのかもしれない。うっかりなところがあるなど、むしろ可愛らしい。あるあるなら気にしなくて良いのか。


とブラッドが安心しかけたとき。


 医者は「いや……?」と笑いを止めて眉間にしわを寄せた。


「いや、いやいや。そうだな、あるぞ。魔症持ちで年齢にかかわらず、魔力を使うと気絶すること」


 かぶりを振った医者は腕組みをし、独り言のようにぶつぶつと言う。


「魔力を使って気絶するのは魔力が枯渇するから。じゃあ、魔症ができるほど魔力を保有しているのに魔力が枯渇するのはなぜか? それは魔力が他のことに使われている可能性があるんじゃないか。この症状が見られた患者に共通する点は、魔症持ちであること。経済的に余裕がないこと。つまり、満足に飯を食えてないってこと……」


 目を閉じた医者はしばらくの間、黙り込んでいた。考えをまとめていたのか、少ししてまぶたを持ち上げてブラッドと視線を合わせる。


「確証はないが、体を維持するエネルギーが足りていない可能性が考えられる。足りない分を魔力で補っている状態で魔力を使うことで、体の機能の維持が困難になってブレーキをかけるために意識が落ちるのだとすれば……?」


 ぶつぶつとつぶやく医者には、何か思い当たるところがあるらしい。


 ポピーは、彼女の言葉をそのまま信じるならば二百年の時を少女のままの姿で生きている。


 ──少女のまま。それはつまり成長に必要な栄養が足りていなかったということでは無いのだろうか。


 それでも死なずに生きてきたのは、彼女が多量の魔力の持ち主であるからと考えるならば。

 

 ──はじめて出会ったあの場所で、彼女は邪神と見紛うほどの魔力をあふれさせていた。体の外にこぼれ出るほどの魔力を持ちながら、魔力を使えば気絶してしまうのは……。


 ブラッドが思い出していたのは、彼女と初めて出会った場所。

 彼女の周囲に結晶化していた、あれは彼女の魔力だったのではないだろうか。

 あまりに美しい理想の姿を前に興奮して疑問に思うことも、じっくり眺めることもなかったけれど、彼女の体はキラキラときらめいていた。それだけ多量の魔力が放出されていたからではないのだろうか。


 ──彼女がずっと、あの場所で眠っていたというのなら。体を維持するために意識を途絶えさせねばならなかったのだとしたら。やっぱりあの大聖堂は彼女にとって良くない場所だったのだ。


 詳しいことは何もわからない。それでも、ポピーを大聖堂から、そして聖都から遠ざけたのは正解だったのかもしれない。


 胸の内でひとつ息をついたブラッドは、大切な主にできるだけ魔力を使わせないようにしなければと肝に銘じた。

 そして、いまもまだぶつぶつと何事かをつぶやいている医者に声をかけた。


「このレベルの魔症を見るのははじめてと言ったが、治療に関してはどうだ。育ちすぎていると手が出せない、といったことは考えられるか」

「いや、治療は可能だろうな」


 医者は言うなり、背後の棚をごそごそと漁る。

 ほどなく取り出したのは片手で持ち上がる程度のビン。中身の見えない黒色の瓶の蓋をぱかりと開けて、さじを差し込む。

 ねとり、とさじの先に掬い上げられたのは緑がかった泥のようなもの。


「これが薬なんだが。軽度のものならこれを毎日塗りつけて、数日もすればポロリと取れる」

「その色は、薬草か? いやに禍々しい見た目だが、人体に悪い影響は」

「無い無い。この中には魔力を吸う魔物の素材やら、薬草やらがすりつぶしてあってな。それが勝手に魔力を吸ってくれるってわけだ」


 言って、医者はやや渋い顔であごをさする。


「とはいえ、お嬢ちゃんぐらいになっちまうと、なかなか取れねぇだろうなぁ。鱗のほうは数ヶ月続ければなんとかなるものもありそうだが、分厚いやつとそれから、何と言ってもその角がなあ。ある程度は小さくなるだろうが、すっかり無くすのは難しいかもしれん」

「そうか」

「ああ……って、なんだか兄ちゃん、うれしそうだな?」

「いや、べつに、そんなことはないが」


 医者にけげんな顔を向けられてブラッドはぎくりとした。

 主のかっこいい部分が残ると聞いて嬉しいと思ってしまったのだ。

 もちろん、すっきりさっぱり無くなってしまわないのか、と落胆する気持ちもある。聖都で『邪神』と呼ばれていた姿を主が好まないのなら、その思いを支えたいと思っているのも本心だ。

 だから、望まれないのなら、うれしい気持ちはしっかりばっちり封印するつもりだ。


 ──だが、こちらの国では魔症への理解があるから、露出して歩いても問題は無い可能性だってある。


 もしもあの角や鱗が自身についていたなら、ブラッドならば見せびらかして歩き回ったことだろう。

 それがこの地では叶うかもしれないのだ。


「つかぬことを尋ねるが、この街で角を隠さずにいたならばどうなるだろうか」


 いまだポピーの意識がよそへ向いているのを確認してから、ブラッドは医者の耳元でひそひそ。


「んん? そりゃまあ、多少は視線を集めるんじゃないか」

「多少、か」

「おー。だがまあ、堂々としてればそういう装飾だとでも思われるだろうよ。ここは自由の街だからな。他人の姿形にあれこれ文句つける奴はいねえさ」

「そうか」

「おう」


 答え終えると医者は手元に意識を戻す。大きな瓶からねちょりとした緑の薬をすくい、手のひら大の器へ詰め替えている。

 その様子を横目に、ブラッドは噛み締めるようにもう一度「そうか」とつぶやいた。


 そして主の様子を、と目をやって驚く。


 ポピーの目からほろりほろりと涙がこぼれているではないか。

  

「あっ、主!? どうしました! どこか痛みますか!?」


 もしや医者がぐいぐいと押した痛みか、と慌ててしゃがみ顔を覗きこむ。

 けれどブラッドの頬は当のポピーにぐい、と押し戻された。


「痛くて泣いておるのではない。……うれしくての、涙があふれてしもうたのじゃ。お主のおかげで父とまた会えた。ブラッド、この街に連れてきてくれてありがとう」


 泣き笑うポピーの姿にブラッドの胸が締め付けられる。きゅうっと、ひりつくような甘いような形容しがたい苦しさだ。

 その痛みにも似た感覚に押されるまま、ブラッドはポピーを腕に抱き上げて立ち上がる。


「おお? 兄ちゃんどうした」

「なっ、なんじゃ? 急に抱えおって、何事じゃ!」

「自慢したい」

「「はあ?」」


 目を丸くした医者とポピーが声をそろえた。そんな二人をよそに、ブラッドはふらふらと戸口へ向かう。


「うちの主が尊すぎる……格好いい角と鱗を持つだけでなく純粋な笑顔のなんと清らかで尊いことか。邪神とはなるほど、その通り。この尊さは神でもなければ持ち得ないだろう。あああ、この張り裂けそうな思いをぶちまけたい。世界中の人間に我が主の尊さを自慢したいッ!」


 手始めにこの街の一番人が多い場所で叫ばねば、と扉を体当たりで開けようとしたのだが。


「ちょい、待ち。兄ちゃん、慌てるな」


 医者が声をかけてくる。


「止めてくれるな。俺はいま、猛烈に叫びたい気持ちなんだ」

「いやいや、止めるよ。止めますとも。うちの扉ぶち壊す気だろう? そりゃ止めるさ」

「う、うむ! そうじゃ、良くないぞ。人の家を壊すのは良くないことじゃ」


 ポピーにまで止められてしまって、ブラッドはしおしおと勢いを失う。


「……主への思いの丈を叫びたいだけなのですが」

「おっ!? いや、うむ。そなたの思いはなんというかこう、暑苦しいほどに伝わっておる! うむ!」


 顔をじわわと赤らめたポピーがそう言うものだから、ブラッドのしょんぼりはすこしましになった。

 そこへ医者が「よっこらせ」と立ち上がる。


「やれやれ。若いねえ、兄ちゃん。行くのを止めはしないけどよ、ほらこれ」


 ほい、と医者が差し出したのは手のひらほどの大きさの器。両手がふさがったブラッドの代わりに、抱えられたままのポピーが受け取る。


「これは?」

「魔症の薬だ。材料と調合量も書いてあるから、道具さえあればどこへ行っても手に入るだろ」

「そんなもの、教えて良いのか?」


 驚きにブラッドの眉が寄る。

 聖都にも薬師はいた。

 しかし薬の組成は門外不出で、売られている薬も安くはない。それもそのはず。試行錯誤のすえ生み出された薬はその薬師の商売道具。薬師のなかには作り方を一切知らせず、書き残すこともなく亡くなったため、製法ごと失われてしまった薬もあると聞く。


 そんな薬のレシピをほい、と書いて寄越すなんて。

 信じられない思いで見つめるブラッドに、医者は「あー」と頭をかいた。


「言っとくが、俺は聖人君子じゃないからな。魔症の研究をはじめた人の決め事なんだよ。魔症に関する研究の成果は、いつでも誰にでも開かれたものとしておいて欲しい、って。必要な人に渡さないと、むしろ俺が決め事やぶりになっちまうんだ」


 だから受け取ってくれ、とまで言われてしまえば、拒否することもできない。


「代金は支払う」

「おー、ありがたく受け取るぞ」


 この街で使われている金は、トーリと行動している時に手に入れていた。街に詳しい吟遊詩人の案内で、所持していた魔物素材をいくらか換金しておいたのだ。

 それゆえ支払いのあてはある、と伝えたブラッドだったが、医者の提示した額は子どもの小遣い程度。

 安すぎて、金額を間違えてはいないかと疑ってしまう。


 そんなブラッドの腕のなか、抱えたままでいたポピーの震える声がした。


「父上……いや、父さん。ありがとう……」


 薬の詰まった器を抱きしめる主の顔は、喜びと悲しみの入り混じった複雑なものだった。

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