第7話 解放された少女

 はじめに感じたのは開放感。

 パラパラとこぼれ落ちていく魔力結晶のきらめきがひどくまぶしくて、細めた視界に人影を見た。


 ──母上、父上?


 胸にともった期待の熱は、瞬きの間に落胆へ変わる。そこにいたのは自身とそう年の変わらないであろう少女と、やや年嵩の青年。

 どう考えても自分のような子どもがいる年頃ではない。

 当然だ、と頭ではわかっていた。

 自分が眠りについてから聞こえていた父と母の声は、もうずいぶん前から絶えていたから。

 どれだけ前のことかもわからないほどの時が経って、思い出のなかの声は擦り切れてしまって、うまく思い出すこともできなくなっていた。


 ──わかっていたこと。


 諦めをつぶやいて自身をなぐさめる。

 幸いだったのは、長いこと覚悟していた悲しみが、ふわりと解放された身体の軽さへの驚きに押されて薄まっていたこと。


「なんじゃ、体が軽いのう?」


 長いこと、体を動かすどころかまぶたを開くことすらできずにいたのに。

 それがどうしてか、自分の脚で立っている。両手も自由に動く。そうと気づくと、胸が踊った。

 そのうえ、すべりこむように目の前に膝をついた男が言うではないか。

 聖女の魔力により封印が解かれた、と。


 にわかには信じられなかった。

 けれど確かに体を戒めるものはない。無限に引き出されていた魔力も、奪われる感覚はない。

 いつぶりかわからない身の軽さに、ふつふつと喜びが湧き上がる。


「自由じゃ!」


 目の前に立つ女が何やら騒いでいるのも気にならず、叫んでしまった。

 喜びのまま、身のうちにある魔力で飛び上がる。

 やり方など知らないけれど、そうしたいと願うままに身体は空へ。

 見下ろした先にあるにぎわいの大きさに驚くと同時、その変わりように喜びが目減りしたのは、たぶんだけれど寂しさを覚えたのだろう。

 変わった。変わってしまった。

 みんなの明日のために別れを決意したあの日から、すっかりと変わってしまっているのがはっきりとわかる。


 ──わしは何も変わっておらんのに……。


 ひろげた自身の手のひらは、あの日と変わらず小さいまま。

 けれどその下に見える人々の営みが、街と呼ぶにふさわしいほど大きくなっていることに気づいて頬がゆるむ。


 ──ここまで大きくなったのか。ここまで育つほどに、わしは彼らを守れたのか。


 ほろりと涙が頬を伝って落ちていった。

 誇らしさと同時に感じたのは、寂しさ。


 記憶のなかのここは何もない荒地であった。

 乾いた大地。荒ぶる魔物。人が暮らしていける環境では到底なかった。

 それがどうだ。

 今や一望するにも苦労するほどの大きな街へと育っている。

 記憶にあるあの時から、ずいぶんな時が経ったのだと嫌でも知らしめられた。


 ――きっと、わしの大切な人たちはもう誰もおらんのだろうなあ。わしを知るものも、誰も……。


 寂寥に浸った体が、ゆるゆると高度を下げていた。体のだるさから考えるに、余剰の魔力が底を尽きかけているのだろう。

 そもそもどうやって飛び上がったのかも、よくわからない。魔力の操作は苦手なのだ。


 ──魔力の持ち腐れ、と言われたこともあったのう。


 膨大な魔力をもっと自在に操れたなら、違う未来もあったのだろうか。

 ふと、どうしようもない思考に陥りそうになったころ、すとんと地面に舞い降りた。

 裸足の足先がゆるやかに地を踏んだところで、目の前に駆け込んでくる人影がある。

 先ほど目の前に立っていた男だと思い至り、理解した。


 ──いっときの自由が終わるのだな。


 ずいぶんと立派な身なりの青年は、きっと聖女の使いなのだろう。

 自由の身にしたのは一時的なものでそろそろ封印に戻らなければならないと呼び戻しにきた。そう思ったのに。


「邪神様! あなたにお仕えさせてください!」

「はあ?」


 邪神とはなんなのか。お仕えとは一体なんのことなのか。

 唐突に分けのわからないことを言う青年に、困惑しきり。

 けれど額の角とまばらな鱗をひとの目から隠そうとするその振る舞いは、ちょっぴりうれしかった。彼自身がまっすぐな視線で瞳をきらめかせて称賛してくるものだから、嫌悪されていないと容易にわかるのもくすぐったかった。

 それと同時に、過去の約束が果たされていないのだと気づかされる。


 ――角と鱗のこと、調べて広めてくれるって言ったのに……うそつき。


 受け取る相手のいない悪口は、ひどく味気なく胸を苛む。そんなこと思わなければ良かった、と後悔に染まりかけた体を持ち上げる手があった。


「ちょっと失礼を」

「んな!?」


 抱えられていた。

 お仕えしたいだのとのたまった騎士の青年に、軽々と抱えられていたのだ。

 驚いた。

 心臓が跳ねた。

 だけれど暴れて逃げ出すなんて、できなかった。


 だって、人肌の温もりを知ってしまったから。

 愛おしい人たちの顔も声もおぼろげになるくらいの間、うつらうつらと夢見心地のままひとりきりで過ごしてきた体には、人の温もりはいっそ毒のようで。


 ――振り払えるわけがない。


 青年が何者なのか、今がいったいいつなのかもわからないまま、離れがたい温もりに今だけは身を任せてしまいたいと、考えるまでもなく思った。

 思ってしまったのだ。


 ――いま、もうしばらくの間だけこのままで。いざとなったら魔力でどうとでもできるのじゃ。それにこの男が悪い人だと決まっているわけではないのじゃから。もうしばらく、様子を見るだけ……。


 抵抗すれば簡単に抜け出せるだけの力は持っていると自負していた。

 だからこそ今はされるがままにしておくのだと自身に言い訳をしながら、温かな腕のなか。しっかりと鍛えられた胸板にこっそり身を預けてみる。

 

 手放した温もりが、諦めたはずの安心感がそこにはあった。

 じわりとにじみかけた涙をこらえるため、きつく瞼を閉じた。

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