第8話 聖都をあとにして

「ポピー様」

「なんじゃ」

「ポピー様。良いお名前ですね、ポピー様。響きがすばらしいです、ポピー様」

「おう、その話はもう飽いた。お主、何度呼ぶ気じゃ」

「何度お呼びしても俺は飽きませんよ、ポピー様。けれどポピー様が飽きたなら、別の話にいたしましょう」


 ブラッドはにこにこ、邪神あらためポピーは飽き飽き。

 ふたりはあちらの店に寄りこちらの店を冷やかししつつ、聖都の大門にたどり着こうとしていた。

 聖都には結界が張ってあるとはいえ、結界が防ぐのは魔獣の侵入だけ。

 やってくる人間のなかに不埒な考えを持つ者や国家転覆をもくろむ者がいないとも限らない。誰でも無制限に「いらっしゃい」とするわけにはいかないのだ。

 それゆえ、聖都を覆う結界と外界との間には塀が設けられ、塀の四方に出入りのための門が設けられていた。

 四方に出入口はあるが、聖都にやってくる大部分の者は湖に近い南側にある門を通る。結果的に最も賑やかで大きな南門は、大門と呼ばれていた。

 その大門の全体が見えるようになってきたころ、ブラッドは足を止めてポピーと向き直る。


「さて、ポピー様。そろそろ大門に着きますが、他に見ておきたい店はもうありませんか?」

「うむ、店はとうぶん良い。あれこれ見過ぎて頭が破裂しそうなほどじゃ」

「それはいけません! 具合がよろしくないのでしたら俺が御身を運ばせていただきますが」

「具合は悪くない! なぜお主はそうやって隙あらばわしを抱えあげようとするのか。幼児ではないのじゃぞ。立派な大人じゃ!」


 頬を赤くしてぷりぷりと怒る姿がたいへん愛らしい。

 とろけそうな笑顔を浮かべつつブラッドは「もちろんです」とうなずいた。


「ポピー様は立派な角と鱗をお持ちの淑女ですとも」

「うむ……うむ? 待て待て、その『立派』はどこにかかっておる?」


 首をかしげるポピーをにっこりと眺めて、ブラッドは彼女を促す。


「淑女ポピー様。聖都を満喫されたのでしたら、そろそろ出発いたしましょう」


 おどけたしぐさで持ち上げた荷袋に、旅に必要なものはあらかたそろっていた。

 広い聖都のあちこちを見て回りながら買い求めたものだ。

 食料、飲料、雨避けの毛皮や簡易テントなど旅に必要な物が詰まっている。もちろん、ポピーの着替えも用意した。ブラッドとしては背負える限りいくつでも買いたかったのだが、ポピー本人が「そんなにいらん!」と突っぱねるものだから最低限で済ませた。まことに遺憾だが。


「む……しかし、わしがここを出て本当に良いのか?」

「聖都に入る時はそれなりの書類や審査がありますが、出ていく者に関しては特になにもありませんよ」


 今朝、一度聖都の外へ出た邪神を連れて戻った際にはブラッドが騎士の服を着ていたことが幸いしてノーチェックで通過できたのだ。

 そう考えるとブラッドが騎士になりポピーと出会ったのはやはり運命だったのだろう。運命の人に付き従うためならば、騎士の身分を捨てるのなど惜しくもない。


「いや、そうではなく。その、聖女がわしの封印を解いたとはいえ勝手に出ていくのはどうなのかと思うての」


 そわりそわり。ポピーの視線が向けられているのは、遠くなった大聖堂。

 彼女が何を心配しているのか、ブラッドはうすうす感じていながらあえてわからないふりをして微笑んだ。


「勝手に封印を解いたのは聖女です。ならば、あなたも好き勝手に行動して何がいけないというのでしょう」

「じゃが……」

「あなたの過ごした年月は存じ上げませんが、ずいぶん久しぶりなのではないですか? 今は自由を謳歌しましょう。そのうえでまた戻ってきたくなったなら、戻って来れば良いのです」

「むう」


  しぶるポピーの手を引いて門へと向かう。

 大門が開かれているのは日中のみ。夕暮れまではまだしばらく時間があるが、出発するならば日の有るうちが良い。

 そう思ったのだけれど、門に向かう道に人や馬車が溢れていてなかなか先へ進まない。


「ずいぶんと人が多いの。いつもこうなのか?」

「確かに日暮れ時は近隣の町村へ帰る荷車や馬車で混雑しますが、ここまででは……」


 あまりの混雑ぶりに、ポピーが蹴飛ばされでもしては一大事とブラッドは荷袋を下げたのとは反対の腕でポピーを抱き上げていた。

 抱き上げられることに抵抗のあるらしいポピーがしぶしぶとはいえおとなしく抱かれることを選ぶくらいには、あたりは人でごった返している。


 聖都で一泊をする金は惜しく、また魔物が活性化する夜までに村や町へ戻りたい。

 そう考える者は多く、混雑する時間帯であるのは確かだ。けれどその行列は目的地に向かって颯爽と去っていくため、立ち止まることはない。

 だというのに、ブラッドたちはなかなか大門までたどり着けずにいた。

 先ほどはまだ余裕があると思っていた日暮れが、もうすぐそこまで迫っている。


「これほど進みが遅いのは、事故かあるいは……」


 つぶやくブラッドは声を途切れさせ、腕のなかの大切なひとを見つめた。

 邪神の封印を解いたことを国が把握したのだろうか。聖女だけでは門を封鎖するなど思いつかないだろう。

 邪神の存在自体が極秘とされていたのだから、封印解除を伝えた相手もきわめて上層部だろうとブラッドはあたりをつける。

 それならば門の通行に制限を設けていたとしてもおかしくない。


「さて、どうやって門を抜けるか」


 騎士の服を返してしまわなければよかったかと思いはするが、勝手に騎士を名乗ることで犯罪者として指名手配されては自由な旅の妨げとなる。

 邪神のひとっ飛びで抜けられそうな気もするが、誰かに目撃される可能性を考えれば別の方法を探りたい。


 どうしたものかと考えていると、不意に西日をさえぎる影が生まれた。


「やっぱり、お兄さんたちだ」


 朗らかな声を仰げば、幌付きの馬車の御者台に座る青年の笑顔とぶつかる。


「あんたは、今朝の」

「うん、朝はお買い上げありがとうございました」


 人好きのする笑顔を向けてくるのは、今朝の門前でポピーの外套を売ってくれた商人の青年だった。

 淡い黄色の髪と人懐こい黄緑の瞳の青年は人でごった返す大門を見やって、ブラッドたちに視線を戻す。


「お兄さんたちも門を通れなくて困ってる感じ?」

「ああ。さっきから待っているんだが列が進まなくてな。何が起きているか、わかるか?」


 青年も今しがた列に並んだところだろうが、商人仲間からの情報を持っている可能性もある。そう思って聞けば案の定、彼は軽くうなずいた。


「うん、何でも十代半ばの女の子が家出したとかで。その年頃の子を連れてないかって、聞かれてるらしいね。該当する子が居たら門の詰め所に案内されるとかで、ずいぶん時間がかかってるって」

「そうか……」


 十代半ばの少女とは、またずいぶん幅広く網を張ったものだ。

 どうしたものか。思案するブラッドに商人が手招きをした。


「なんだ?」

「まあまあ、もうちょっと近くに寄ってよ」


 にこにことうかべる笑顔は親し気で、まるで既知の相手に話しかけているかのよう。彼と自分たちとはほとんど初対面と変わりないというのに、である。

 だからこそブラッドは警戒心を抱いてポピーを商人から遠ざけた。

 自身の身を盾にするブラッドの耳元に、御者台から身を乗り出した青年がささやきかける。


「もうすぐ、聖都に定期的に出入りしている商人たちが早急な通行を求めて一斉に騒ぐ手筈になってるんだ。足の早い果物や肉を載せてる者もいるからね、悠長にしてはいられないっていうのが僕ら商人の総意さ。騒ぎになれば門番も通さざるを得ないだろう? 僕もその機に乗じて門を抜けるつもりなんだけど、ちょうど荷台にひと二人ぶんくらいのすき間があるんだよね」


 遠まわしに馬車に乗って行かないか、という青年の誘いは、ブラッドとポピーにとってあまりに都合が良かった。

 あんまりにも都合が良すぎるものだから、ブラッドは疑う心を捨てきれない。

 その気持ちが表情に出ていたのか、あるいは商人の青年が若いわりに人の心の動きに敏いのか。

 青年は身を起こすとからりと笑う。


「申し訳ないけれど、悩んでる時間はないよ。ほら、はじまった」

 

 青年の言葉を待っていたかのように、門のあたりでわっと声が上がった。

 てんでにざわついていた集団の声が波のようにしだいにうねりを帯びて、ひとつの響きを作り上げていく。


 通せ、通せ。

 日暮れまでに帰らなきゃ、帰らぬ人になっちまう。

 通せ、通せ。

 聖都は来る者選び、去る者追わずではなかったか。

 通せ、通せ、通せ、通せ。


 それはまるで歌劇の合唱だった。

 いや、抜け目なく仲間内で団結する商人たちのことだ。劇団員のひとりやふたり雇って、集団のあちらこちらに潜り込ませているかもしれない。

 実際のところはわからないが、商人たちの目論見は成功したらしい。


「む、先頭が動き出したぞ。どうするのじゃ、ブラッドよ」

「どうする? 僕も流れに乗るから、そろそろ止まっていられないよ」


 ポピーと商人の青年とに急かされて、ブラッドはあれこれ考えた。商人が聖女とつながっている可能性。フードをかぶった人物が邪神と知っての罠。あるいは人懐こくだましておいてブラッドたちを売り払う算段を立てているやも……あれこれ考えて考えて考えた結果、ブラッドは考えるのを放棄した。


「乗らせてもらう!」


 腹をくくったブラッドは、ポピーを抱えたまま地を蹴る。

 じわりと動き始めていた青年の馬車の荷台に転がり込めば、それを待っていたかのように馬が足を速める。


「前後にも幌がついてるから、閉めて。暗くなるけどしばらくの我慢だよ。それから積み荷と積み荷の間に布の塊があるだろう。それで自分たちを覆ってすき間に寝そべるなり座るなり、とにかく静かに動かずにいて」


 青年が早口に告げた言葉を受けて、ブラッドは素早く荷台の前後の幌を張った。途端に暗くなった荷台のなか、ポピーを抱えて木箱の間に滑り込む。


「せ、せまいのう」

「そうですね……俺の膝に座ってください。すこしはマシになるかと」

「うむ」


 手早くもぞもぞと体勢を整えて、引っ張りだした布でふたりの姿を覆い隠す。

 そうしている間にも馬車は門へと進んだのだろう。

 幌越しに騒がしい声が聞こえてくる。


「そこの荷馬車、止まれ! まだ検査が済んでいないだろうっ」


 ひどく近くで怒鳴る声は、門番の兵士だろうか。

 荷台を調べられれば隠れようもない。そうなった時は、派手に暴れてポピーだけでも逃がそう。主人を逃がし大暴れする配下というのも悪くないシチュエーションだ。

 ブラッドは腕の中の華奢な体を抱えてそう決意したけれど。


「門番さん、僕の顔まだ覚えてくれてないんですか? 悲しいなあ、五日に一回来てるカイですよ。いつも出入りしてる商人は通れるって聞いてたんだけどなあ。それに、今日中に次の村に着かないと聖都で仕入れたあれこれがまるっとダメになっちゃうんですけど。それってちゃんと保障してもらえます~?」


 馬車を操る商人の青年、カイは気負いもなにも感じさせない声音で言った。

 それがあんまり穏やかなせいか、あるいは商品がダメになるという脅し文句が効いたのか。

 門番の声が苛立ったように悪態をつく。


「ああ、もうわかった! お前はよし! さっさと行けっ」

「はーい。お勤めご苦労さまです~」


 カイがうれしそうな声をあげて、それっきり。

 馬車はそのまま速度を緩めることなく、喧騒を抜けていった。

 

 

 

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