第3話 聖女ピリカは青ざめる

 天井にぽっかりと空いた穴から大聖堂のステンドグラス越しの光が降り注ぐ。

 色とりどりの光を浴びた聖女ピリカは、まるで絵画のように美しい。

 けれど美しい光景の真ん中に座る聖女その人は、呆然と空を見上げていた。


「聖女様!? いま騎士ブラッドが駆け抜けて行きましたが、一体何があったのですか!」

「あ……」


 穴のふちからのぞきこみ声をかけたのは、大聖堂に詰めていた聖騎士たち。

 座り込む聖女の姿を見た彼らの数人が慌てて穴へと飛び降りてくる。


「お怪我はありませんか!」

「何があったのです、大聖堂の地下に部屋があるなんて。なぜこんな大穴があくようなことに!?」


 口々に問いかける騎士に囲まれて、ピリカは回らない頭を必死に動かす。

 

「怪我は、ないわ……この穴、穴は……」


 邪神が明けた穴だ、などと言えるはずが無かった。

 公言してはならない相手のことを誰かれかまわず口にするほど、ピリカは愚かにはなりきれない。ブラッドを同行させたのは自分自身につけられた騎士であるから構わないだろう、という認識の甘さはあったけれど。

 そもそも、聖女ピリカのなかでは華麗に邪神を倒して自身が賞賛される未来しか無かったから、邪神の存在を知られたところで問題ないと思っていたのだ。


 だというのに、現状はどうだ。

 邪神を倒すどころか傷ひとつつけられないまま、逃げられてしまった。


 何がどうしてこうなったのか。

 自身でもわからない事態に言葉が出ず、黙り込むしかないピリカに騎士が重ねて問う。


「あなた付きの騎士は。騎士ブラッドはどこへ走って行ったのですか」

「騎士、ブラッド……彼は」


 名を耳にしたことでピリカは思い出していた。

 邪神が天井を突き破り飛び出していった瞬間、騎士ブラッドはピリカのことを守ってくれた。

 その胸にピリカを抱きしめ騎士のマントで覆い隠し、降ってくる瓦礫から守ってくれた。

 突然の轟音と落下物に恐怖し、うずくまったピリカが見上げた先で、厳しい顔をして天井に空いた穴をにらみつけるブラッドは大層格好良かった。

 たくましい腕のなか、ピリカは恐怖も忘れときめいてしまったほど。

 けれど。


「彼は瓦礫からわたくしを守って、そして、行ってしまったの。大切な方ができたから、もうわたくしには従えないと……」


 騎士ブラッドはピリカに怪我が無いことを確かめ、これ以上の落下物が無いと見てとるや頭を下げたのだ。


「聖女ピリカ様。引き立てていただいたこと感謝しております。しかし、その栄誉は他の者へ与えてください」


 ブラッドが何を言っているのか、わからなかった。

 発された言葉はピリカの頭のなかを上すべりしていく。

 栄誉をほかの者へ。それはつまり、彼自身は今の栄誉を、聖女ピリカのそばに居られるという栄誉を手放すということ。

 騎士のマントや彼の頭から、小さな瓦礫や土埃がぱらぱらと落ちてくるのを呆然と見上げていたピリカは、ようやく言葉の意味を理解して声を荒らげた。


「なにを言うのですか。どういうことです!」


 叫ぶピリカに対して、騎士ブラッドは落ち着いている。

 いや、瞳に燃えるような意思を宿してピリカを真っ直ぐに見つめるブラッドは、覚悟を決めているのだ。

 これまで見たどんな表情よりも見る者の目を奪う顔をして、彼は言う。


「剣を捧げたい相手ができてしまったのです」

「そんな……」


 ピリカは信じられなかった。

 今この時までの間にこの空間にいたのは、騎士ブラッドのほかには聖女ピリカと邪神だけ。

 そしてピリカの騎士をつとめる栄誉を他の者に渡す、というのはつまりピリカの騎士をやめるということ。

 ピリカの騎士をやめて剣を捧げる相手がいるとしたら、今この時に候補にあがるのはひとりだけ。


「そんな、まさか。邪神のことを……?」


 そうつぶやくのが精一杯。ピリカが言葉を失っている間に騎士ブラッドは「はい」と短く頷いて、天井にあいた穴へと飛び出して行ってしまった。

 他の騎士の話どおりであれば、彼はそのままどこかへ駆け去ったという。

 どこへ行ったのか、それはピリカにもわからない。

 どこかはわからないが、彼は向かったのだろう。邪神の元へ。


「彼は、もう戻りません」


 事態に翻弄されるばかりのピリカにも、そのことだけはわかっていた。

 一度も振り返らず去って行った騎士ブラッドの姿が、そう告げていたのだ。


「もう戻らない!? なぜ!」

「良いのです」


 良いわけはなかった。

 聖女ピリカが自ら選んだはじめての騎士だ。

 華々しい聖女としての経歴の第一歩を飾るにふさわしいと感じた相手が、いなくなってしまったのだから。


 けれど今はそれよりも大切なことがあった。

 聖女ピリカは震えそうになる声を必死で鎮める。大失態だ。大失態を犯した自身の進退はまったくわからない。

 それでも今はまだ、ピリカは聖女なのだ。その矜持だけに支えられながら、聖女ピリカはひとりですっくと立ちあがる。


「それよりも誰か、王に連絡を。伝えねばならないことがあります」


 騒ぐ聖騎士たちに告げたピリカは、青ざめた顔で天井を見上げた。

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