第2話 放たれた邪神
封印されていた邪神が立っている。
それものほほんと、呑気にあたりをみまわして。
聖女のありったけの力を食らったとはとても思えない無傷の状態で、邪神は部屋の中央に立っていた。
「な、な、なんで……!」
聖女ピリカが驚き、よろめく。
「なんで? うん? なぜじゃろうな」
恐れおののくピリカの言葉に邪神は首をかしげた。心底ふしぎそうな顔をしながら、はて? と室内を見回す。
「わしは封じられておったはずなのじゃが、気づけばなぜか自由の身。どういうことじゃろうなあ」
身動きにあわせて邪神がまとう質素なワンピースがひらりと動く。
むき出しの肩は華奢で、スカートから伸びる裸足の脚は頼りない。
ピリカよりやや小柄な外見だけを見るならば、歳のころは十二、三といったところだろうか。
幼い容姿に見合わない老人めいた口調でぼやく邪神の前に、ひざまずいたのは騎士ブラッドだ。
「邪神様に申し上げます! 先刻、我が国の聖女ピリカ様の魔力により邪神様を覆っていた結晶が崩壊。結果、封印が解かれ邪神様がこの場に立っているというのが今の状況です!」
上官に告げるようにハキハキと答えた騎士ブラッドの言葉に、邪神が目を輝かせた。
「聖女が、わしを?」
「はい」
「国の聖女がその魔力でもって、わしの封印を解いた……」
しゃべるほどに邪神のうす青い瞳は輝きを増していく。瞳だけではない。立っている彼女の周囲にもぱちりぱちりと光がはじけて室内を照らす。
「はははははははっ」
ぱちぱちきらきら。
邪神が笑うのに合わせてはじける光は数と強さを増した。まるで光の花のようなその光景を前にして、聖女ピリカはゆっくりとしゃがみこむ。腰が抜けたのだ。
「魔力があふれてはじけてる……こぼれた魔力が目に見えるほどの光を持つなんて、あり得ないわ。あり得るわけがない。なに、なんなの、こんなに強い魔力を持つ生き物がいるなんて、わたくし知らないわ……!」
呆然とつぶやく聖女をよそに、邪神は天井に笑顔を向ける。
「国が封じたわしを、国の聖女が自由の身にした! わしは自由じゃ、自由の身じゃ!」
喜びに満ちた叫びと同時に、邪神は跳んだ。いいや、飛んだ。
背中から生やした魔力の翼でもって、永く過ごした大聖堂の地下室を飛び出る。勢いあまって天井を破壊したのはご愛敬。攻撃による破壊ではなく、身にまとった魔力の壁でうっかり穴をあけてしまっただけだ。
***
大聖堂を飛び出た邪神は、上空から聖都を見下ろした。
美しい都だ。
巨大な湖に面した都は清らかな光に照らされて、きらきらと輝いて見える。
左右にそびえる高い山から吹き下ろす風は清涼で、聖なる都にふさわしい爽やかな空気に満ちていた。
そこに暮らす人々はみな活き活きとしており、都の豊かさを物語っているようだ。
「……良い街に育ったのう」
まじまじと眺めて邪神はつぶやく。
感嘆まじりの声を聞くものがいたならば、彼女は本当に邪神なのかと戸惑っただろう。けれど喜びのにじむその声は聖なる都の空高く、澄んだ青色にとけて消えた。
しばし都を見下ろしていた邪神は、ふと魔力の羽を霧散させる。ひゅるりと落下するに任せて降り立ったのは、都の正門を見上げる道の上。
鳥のようにかろやかに舞い降りる少女に気づいた者はいなかった。
昼をいくらか過ぎたおだやかな時間帯とはいえ、聖都を目指して行く者、都を出て進む者たちでにぎわう街道であるのに、だ。
それが邪神のなせる技なのか、あるいは完全な偶然のたまものなのか。
定かではないが、降り立った少女の異様に、額に生やした角と肌をきらめかせる鱗とに気がつく者が出るのは時間の問題。そう思われたが。
万人に開かれた都の正門を駆け抜ける影がひとつ。影は風のように速く駆け、邪神のそばでひざまずく。
その身にまとっていた黒いマントで邪神の頭からすっぽり覆い隠しておいてからの、早業だ。
「うん? お主はさっきの騎士か」
「はい」
ひざをついたまま頷いたのは、騎士ブラッドだった。
邪神にかけられたのは騎士のマント。留め具の鎖が絡む自身の腕を見下ろして、邪神はうすく笑った。
「そうか、もう捕獲に来たか」
「捕獲?」
「ああ、国の聖女の騎士なのじゃろう。一度は逃がしたが、やはり必要だったと捕まえにきたのではないのか」
問われて、ブラッドは即座に首を横に振る。
「いいえ! 邪神様にお仕えしたくて追ってきました!」
「お主、聖女の騎士じゃろう?」
騎士は主をひとりと定める。
そうと知っている邪神が不思議に思ってたずねれば、ブラッドはあっさり答えた。
「やめてきました」
「やめた?」
「はい! きちんと聖女様に『お世話になりました』とあいさつをしてから来ました!」
「なんのために」
「邪神様にお仕えしたくて!」
問いには間髪入れず返事があり、迷いのない目で見つめられた邪神は「はて」と首をかしげる。
「そも、お主の言う『邪神』とはなんじゃ」
「は」
邪神とは何か。
それを邪神本人から問われてブラッドは固まった。
聖女がそう言っていたから、目の前の少女を『邪神』だと認識していたのだけれど、では邪神とは何なのか。
ブラッドは改めて考える。
「……邪神とは。邪神とは、強大な力を持つ神の如き存在です。かつ、神聖なものとは真逆に位置するのが邪神かと。そう、強さとダークさがたまらなくかっこ良くて最高に魅力的なのが邪神様です!」
言い切ったブラッドの目はキラキラと輝いていた。
何を隠そうこのブラッド、厨二病なのである。
それも「強いほうがかっこいい」という理由で剣の腕を磨きあげ、ど田舎の出身ながらも騎士団の見習い試験を一度で突破してしまうほどの異様な熱意を持つ厨二。
経験など皆無なくせに顔の良さと剣の腕の確かさだけで聖女の専属騎士の座を手に入れてしまった、実力派の厨二病なのである。
二十二年生きてなお治らぬ病にどっぷり浸かる彼が、角と鱗を生やした相手に憧れずにいるなど、無理な話。
聖女付きの騎士という名誉ある職を蹴っ飛ばしてでも、邪神のそばに居座る覚悟を勝手に決めていた。
「俺は今、自由の身です! どうか邪神様にお仕えさせてくださいっ」
「自由の身……聖女や国がわしを捕えるよう言ったわけではないのだな?」
「はい! 俺の愛剣、血染めの
意気揚々と背中の剣を捧げるブラッドを前に、邪神はぼうっと佇む。
目の前の騎士を見ているようで見ていない彼女の瞳が、ゆらと揺れる。
「自由、自由なのか……? のう、騎士」
「はい! あなたの騎士ブラッドです!」
「街を、見て歩くことは許されるか?」
ぽそり。小さな声で遠慮がちにこぼされた問いかけだったが、目の前で膝をついているブラッドの耳にはしっかりと届いた。
「もちろんです!」
朗らかな答えに邪神の顔がぱっと明るくなる。
しかし。
「あ、でも……」
ブラッドはざわめく周囲に目をやった。
人の行き交う門前の道の真ん中。立ち尽くす小柄な人物と、その足元にひざまずく騎士の男。
目立っている。明らかに目立っている。
不審な目を向ける者もいれば、ひそひそと話しながら遠巻きにする者もいる。ちらと目をやれば、門番が手にした槍を握り直すのが見えた。頭を覆うヘルメットに隠れてわかりづらいが、向けられた視線には踏み込むべきか悩む気配がうかがえる。
うっかりしていた、とブラッドは自省する。
やめてきたとはいえ、ブラッドがまとうのは聖都の由緒正しい騎士服。
格式あるそのマントを騎士が脱いで着せかけるなど、相手がただ者では無いと公言しているに等しい。そのうえその相手は裸足で地面に立っている。
それは人目を集めもするだろう。
今まで気が付かなかったとは、ずいぶん興奮してしまっていたらしい。
けれど尊い邪神の姿を民衆にさらすのはもったいない。どうしたものか、とうつむいて考えはじめたブラッドの頭に落ちてきたのは小さな声。
「無理なら良いのじゃ! 良い、わかっておる。ちょっと言ってみただけじゃから……」
すっぽりかぶった騎士のマントの下、控えめに笑う邪神はいじらしい。
見た目が最高にかっこいい上に聖女が腰を抜かすほどの魔力を持っていて、さらには見るものの心をくすぐるかわいらしさまで待ち合わせているなど、最強が過ぎる。人を惹きつけてやまないからこそ邪神、さすがは邪神。やはり何としてもお仕えしたい……! とブラッドは脳内でのたうちまわる。
いっそ邪神の素晴らしさを叫んで回りたいぐらいだが、そこは高貴な存在に仕える者(予定)としてぐっとこらえ、すまし顔を保つ。
何を隠そうこのブラッド、かっこいいものが大好きだが、かわいいものもまた好きなのである。
尊さに打ちのめされたがる己の心と戦うのが忙しいあまりにブラッドは返事をするのも忘れて立ち上がり、門へ向かって通り過ぎかけた馬車に飛びついた。
一頭立ての幌馬車だ。
驚く御者の青年と二言、三言かわせば、御者の表情がやわらかくなった。馬車を道の端に寄せて止めた青年とブラッドとで、荷台に向かいごそごそ。
しばらくしてブラッドはにこやかな御者のそばを離れて、邪神の元へいそいそ。
「失礼いたします」
「ぬあ?」
邪神の背中とひざに腕を添えて抱え上げる。いわゆるお姫様抱っこである。
もちろん、邪神のその身はマントですっぽり隠したまま。
まるで重さを感じていないかのようにすたすたと歩いたブラッドは、道の端のやわらかな草の上に邪神を丁寧におろす。
そして差し出したブラッドの手の上には、畳まれた布。
「服、かの?」
邪神が恐る恐る受け取った布を広げれば、庶民的なフード付きのチュニックと膝丈のズボン。
反対の手で足元に置いたのは、編み上げのサンダル。
どちらも商人の青年から買ったばかりの品物だ。
「街中を歩くのに大きさの合わないマントを被ったままというのもどうかも思いましたので」
「ふむ、それもそうか」
うなずいた邪神の足元にひざをついたブラッドは、少女の片足をうやうやしくとると自分の太ももに載せた。
「ぬあっ!? なにを!」
「お御足を拭かねば履き物も履けませんから。足裏に小石でも入り込めば大変ですので」
赤面した邪神の足が逃げぬよう、けれど力を込めすぎないように優しく掴んでブラッドは彼女の足裏を拭く。
聖女の騎士に選ばれたからとポケットに入れてあったハンカチが大活躍である。
「ぬぬぬ、それくらい自分でできるが!?」
「俺がそうしたいのです」
抵抗しようとする邪神を見上げて、反対の足も拭いていく。
主の役に立てているという充足感がブラッドを笑顔にしていた。
そのまますっかり両足をきれいにし終え、編み上げサンダルをはかせてしまう。きつくし過ぎないように、かといってゆるくて転んでしまうなど言語道断、と丁寧に丁寧に作業を終えて。
ふと、ブラッドは周囲からの視線が途切れたことに気がついた。首をまわせば背後に止まる馬車の幌が見える。
ブラッドと目のあった御者の青年がぱちりとウインクをした。
その顔に浮かぶ笑顔は「大切な人がお忍びで街歩きを望んでいるんだ」と話した時に見せたおせっかいな期待に満ちたもの。
とはいえ、今の状況で助かったのは事実。
ブラッドは、ふたりの姿を隠すように馬車を動かした商人に目礼をして邪神に向き直る。
「さあ、次はお召し物を」
「それくらい自分でさせい!」
着替えの手伝いを申し出る途中でブラッドの手の上の服は、邪神にひったくるようにして奪われた。
「ですが」
「くどいっ、あっちを向いて待っておれ!」
邪神は顔を赤くして怒っているようだったので、ブラッドは彼女が隠れるように騎士のマントを広げることしかできなかった。
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