自由の身ですよ、邪心様

exa(疋田あたる)

第1話 封印解除

 聖魔国の中央に位置する大聖堂の地下に部屋が存在することを知る者は数少ない。さらに、その地下に封印されている者がいることを知るのは、ほんの一握りだけ。

 先だって聖女と認定されたピリカ・スターライトもまた、そのひとり。

 そのピリカは地下へと続く階段を下り、湿っぽい廊下へと降り立った。


「地下にこんな場所があったとは……」

「ふふん。わたくしを誰だと思っていて? 聖女ですのよ。国の極秘も聖女の名と同時に託されたのですわっ」


 連れてきた騎士ブラッドが手にしたランタンであたりを照らす。暗く静かな空間を見回した彼が感心したようにこぼすのに、ピリカは誇らしげに胸を張って見せる。


「国の極秘! さすがはピリカ様。しかしそんな特別な場所に入るには許可が必要なのでは」


 見慣れない地下の廊下を興味深そうに眺めながらも騎士は問う。

 地下の存在を知る者が少ないためか、ここへとつながる隠し扉の前には見張りなど立っていなかった。

 ピリカは腰に手をあて、お気に入りの騎士に向かって肩をすくめてみせる。


「わたくしは聖女よ? 聖女が必要だと考えて行動することに、誰の許可がいるものですか」


 まったくわかっていないわね、とばかりにピリカは続ける。


「それに、いいこと? わたくしは国のためを思ってこの場へやってきたのですから、何を恥じることもありませんわ!」

「さすがは聖女、ピリカ様です。ところで国のためとは?」


 首をかしげる騎士ブラッドを引きつれ、ピリカは薄暗い廊下を進んでいく。


「国の地下に邪神がいるだなんて、あなた許せますの? いいえ、許せるものですか! 民にあだなす邪悪なる者の存在など、わたくしが聖女を務めている時代にそんな者の存在を許すわけにはいかなくってよ!」


 ピリカは燃えていた。

 そう、これは民のためなのだ。

 慈愛に満ちた聖女が民のために国の脅威である邪神をうち滅ぼす。なんと素晴らしい献身か。

 感動は民心を動かし、聖女ピリカ・スターライトの名は広く知らしめられるだろう。そして長く語られることだろう。この国の歴史における華々しい一幕として、偉大なる聖女の成し遂げた偉業のひとつとして、長く長く語り継がれていくことだろう。


「ふふ、うふふふふふふふふっ」


 輝かしい未来を思い描いたピリカの口から歓喜の声が漏れ出る。

 ふと、ピリカはその声が反響するのを聞いて改めてあたりを見回した。

 古い。とにかく古い廊下だ。

 床に敷かれているタイルはところどころずれて、踏み固められた地面が覗いている。壁のレンガも経年劣化なのだろう、あちらこちらが崩れて欠け、ぽっかりと空いた穴は暗がりのなかでなお暗さを増している。

 秘されているのだから当然だが、掃除の行き届いていない天井には蜘蛛の巣が張られており、別の隅からは水がにじんで時おり滴って落ちる。

 ぴちょん。ぴちょん。

 歩くうち、高揚がおさまってきたピリカの耳に水音がやけに大きく響く。

 かつん、かつん。

 ランタン片手に先を行く騎士ブラッドとピリカの靴音とが変に反響して、いくつもの足音となって聞こえてくる。

 そんなはずはないのに、誰かが後ろからつけてきているような気がしてしまって、ピリカは何度か振り向いた。

 道は一本道。迷いようがない。

 ただ、進むごとに空気が重々しくなっていくように感じるのは気のせいだろうか。


「聖女ピリカ様?」

「な、なんでもありませんわっ」


 騎士ブラッドが振り向き背後の影が遠ざかったことで、ピリカは自身が足を止めていたことに気がついた。

 慌てて先に立って歩き出すピリカは、齢十四の少女だ。歴代最年少で聖女となったとはいえ、暗がりはちょっぴり怖いのだ。

 暗いのは窓がなく陽の光が差し込まないせい、足音は気のせい! と自分に言い聞かせながらピリカは騎士の持つランタンの明かりを追いかける。

 やがて騎士ブラッドは廊下の最奥で立ち止まった。

 そこには飾り気のない、重たげな扉。いつからここにあるのか、古びた金属の色合いが空気の重苦しさに拍車をかける。

 明らかにまずいものがこの向こうにいる。

 ピリカがそう感じたのは聖女ゆえか、暗闇への恐怖心がそうさせたのか。

 思わず後退りかけたピリカだったが。


「ピリカ様、行きましょう! この向こうに邪神が! ピリカ様の伝説のはじまりを飾るにふさわしい敵がいるんでしょう!」

「え、ええ! そうよ。そうよね! 行かなきゃ、行くわよ。着いてきなさい、騎士ブラッド!」


 騎士の思わぬ勢いに押されて頷いてしまった。

 それを聞くが早いか、ブラッドは金属の扉の取っ手をがっしり握り、ためらいもなく押し開ける。


「あっ……」

「これは……!」


 扉の向こうは光に満ちていた。

 驚き立ち尽くすピリカとブラッドを照らす光は、部屋の中心から放たれている。

 正確に言えば、部屋の真ん中で透き通った結晶に包まれた少女が光を発していた。

 結晶は透明であるが、角度によっては銀色に光にきらめいている。

 不規則に光る結晶の明かりが、暗いはずの室内を明るく満たしていた。

 

 光に引き寄せられるようにふらふらと部屋のなかへと進んだピリカとブラッドだが、結晶のなかの少女を見上げて浮かべた表情は正反対。 


「「なんて……」」

「なんてかっこいいんだ!」

「なんておぞましいの!」


 叫んだ言葉もまた正反対だった。

 互いに顔を見合わせるとピリカは眉を寄せる。


「何を言っていますの! あなたにはあの少女の頭の角が見えないの? 鱗まで生えて、あれではまるで魔物だわ。いいえ、人と魔物が混ざった、ひどく醜い化け物よ!」


 叫ぶピリカにブラッドは目を丸くした。


「聖女様こそ何を言うんですか。角ですよ、鱗ですよ。どちらもかっこいいじゃないですか! それにあの金属質な銀髪がまた良い! 全身を銀で彩られた結晶のなかの姫君……まるで物語の登場人物だ!」


 暗赤色の瞳をきらめかせて力説するブラッドの姿にピリカは驚いた。

 騎士ブラッドは若い。騎士団のなかに若い騎士はいくらでもいた。そのなかでも群を抜いてブラッドは顔が良かった。

 本当は騎士ではなく騎士見習いだったのだけれど、そんなことどうだって良くなるくらいに顔が良かった。

 さらりと流れる黒髪に切れ長の目。凛々しくありながらも太すぎない眉の下、暗赤色の瞳がもの言いたげで。

 剣術の訓練中の彼の姿にピリカはうっかりときめいてしまったのだ。

 周囲は入団してひと月ほどの騎士見習いを登用することに「あまりに若すぎる」「経験が浅すぎる」と反対したけれど、そこは聖女であるピリカの「彼でなくては嫌!」という一言で押し通した。

 だって顔が良かったから。

 ブラッドの剣の腕がたつこともあって、特例としてピリカの希望は叶えられたわけだけれども。


「ほら、見てください聖女様! この光を放っているのもあの少女ですよ。彼女の溢れんばかりの魔力がそうさせているんですね。すごいな、結晶を伝ってどこまでこの魔力が広がってるのか……」


 うきうきと話すこれは誰だろう。

 聖女ピリカが気に入った騎士のブラッドは、静かな視線がかっこよかったのだ。

 鮮やかな剣技で先輩騎士を打ち負かし、それを誇るでもなく冷静に振舞う大人っぽいかっこよさに惹かれたのだ。

 断じて、こんな邪悪に憧れる子どものような男を専属騎士にしたわけではない。


「すごいな、かっこいい! 邪神様は最高だ」

「騎士ブラッド!」


 結晶のなかの少女を見上げて顔を緩ませるブラッドの名をピリカは呼んだ。

 きょとんと振り向いたブラッドに苛立ちを募らせながら、聖女ピリカは両手のひらに意識を注ぐ。


「見ていなさい。そんな邪神なんてわたくしが消し去って差し上げます!」


 邪神を消してから改めて、聖女ピリカに相応しいクールな騎士に躾け直す。

 そう心に決めて、ピリカはありったけの魔力を手のひらに集めていった。

 室内を照らしていた結晶越しの光を押しのけるように、聖女ピリカの手のなかで光の玉が明るさを増していく。

 ピリカは額を流れる汗を感じながら笑った。


「ふ、ふふふ。御覧なさい、わたくしの聖なる魔力の強さを! 邪神の放つ光など、かすんでしまうんだからっ」


 優越感を覚えながらありったけの力を込めた。強すぎる力が渦を巻き、ピリカの手の腕バチバチを音を立てる。

 その音を聞きながら、ピリカは出来上がった魔力の塊を振り上げた。


「聖女ピリカの有難い聖なる魔力を受けて、消し飛びなさいっ、邪神!」


 全力で放たれた光が邪神をめがけて飛んでいく。魔力の塊が邪神を包む結晶にぶつかった瞬間、すさまじい光が室内で爆発した。

 音はない。

 ただひたすらに目を焼く真っ白な光が、閉じたまぶたの裏までも白く染め上げる。

 光が部屋を覆いつくしたのは、ほんの数秒。すぐに光は消え、結晶が放っていた光さえもかき消えた。

 とっさに閉じた目を恐る恐る開けたピリカがはじめに見たのは、うす暗がりのなか騎士服の背中。

 どきん、と胸が高鳴った。

 騎士ブラッドがピリカをかばうように前に立っていたのだ。

 彼の手にはいつの間に抜いたのだろう、幅広の剣も構えられている。

 まぶしさに顔をしかめ、状況を探ろうとする真剣なその顔こそ、聖女ピリカが気に入った騎士ブラッドだ。

 邪神が消え騎士もあるべき姿に戻って、ここから聖女ピリカの輝かしい伝説が始まるに違いない。

 そう感じてピリカが微笑んだとき。

 パキン。硬質な音が部屋に響く。

 なにかしら。聖女ピリカが不思議に思って騎士の肩ごしに前を覗くと。

 パキ、パキパキパキ……。

 結晶にひびが広がっていく。


 邪神は消し飛んでなどいなかった。

 邪神を封じる結晶の光が弱まったから、てっきり消滅させられたのだと思ったピリカだったけれど。

 部屋の半分ほどを覆う巨大な結晶は、ピリカの全力を持って放たれた魔力を受けてわずかにひび割れただけ。

 その亀裂が音を立てて広がっていく。ひび割れた箇所からポロポロと崩れては落ちる。


「な……なんてこと! わたくしの聖なる魔力でも砕ききれないなんて……!」

「でも、封印は解けそうですよ」


 騎士ブラッドの声が弾んで聞こえたのは、ピリカの気のせいだろうか。

 けれどピリカには、彼の表情を確かめる時間は無い。

 パァンッ!

 不意に結晶が破裂した。

 いや、破裂したのでは無い。内側から砕かれたのだ。

 パラパラと崩れ落ちる結晶のかけらの向こうで、動く影がある。


「なんじゃ? 身体が軽いのう」


 くあぁ、とあくびまじりに伸びをしたのは銀の髪から銀の角を生やした少女。邪神だった。



 

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