第4話 聖女の騎士から邪神の騎士へ

 邪神による「着替えるからよそを向いておれっ」との厳命を守るため限界まで曲げていた首をさすりながらブラッドは歩く。

 となりを行く邪神の歩みに合わせ、長い脚をゆっくりと動かすよう意識しながら。


「わあ、なんじゃあれは! あの屋台のほわほわは!」

「あれは綿菓子ですね。ワタの実を天日に干して砂糖をまぶしたものです」

「ほおぉぉぉ、砂糖!……ということは、つまり甘いのか。ではでは、その隣のあれは?」


 邪神が見つめる先には、道ばたの屋台があった。

 色とりどりの綿菓子が並ぶ店の前には、子どもたちが並んでいる。邪神よりも幼い者ばかりなのだろう、どの子も保護者と手を繋いだり抱き上げられたりしてふわふわの菓子に胸を躍らせている様子だ。

 そんな光景を見つめてごくり、生唾を飲み込む邪神の目は輝いている。

 あんまり熱心に見つめているものだから、ブラッドは今すぐ屋台に立ち寄りたい気持ちでいっぱいになってしまう。

 全身全霊でお仕えすると決めた相手の望みを叶えたい。そして喜ぶ顔を見ることこそブラッドの喜びである。

 けれどぐっとこらえて、ブラッドは邪神をうながした。


「店に寄るのは後ほど」

「べ、別に食べたいわけではないのだぞ! ただずっとなんじゃろうなあ、と気になっていただけで」

「はい。重々承知しております」


 邪神ともなれば人の視線を気にしなければならないことをブラッドは理解している。

 凶悪な邪神という存在の格好良さを保つためには、街中でにこにこと甘味をむさぼるわけにもいかないのだということを。

 

 ブラッド自身もまさに今、そのために邪神の望みを叶えられずにいるのだから。

 

「気になったものすべてをお手に取らせて差し上げたいのは山々なのですが、騎士の規則で制服時に私用の財布は持ち歩けないのです。今しばらくお待ちください!」


 望むものすべてを手にしてこその邪神。だというのにこらえてもらわなければならない現状が申し訳ない。

 身につけているのが騎士服でなければすべて売り払ってでも邪神の希望を叶えたいのに。


「騎士服の売買さえ禁止されていなければ……」


 ギリィッと歯ぎしりするブラッドのとなりで邪神が眉を寄せる。


「いや、着ている服を売り払うのはいかがなものかと思うぞ。裸の男を引き連れて歩きたくはないしのう」


 ドン引きする、とフードの下の顔が語っているのを見て、ブラッドは彼女を抱き上げ右腕に座らせた。


「ぬぁっ!?」

「走ります。少々我慢してください」


 言うが早いか走り出したブラッドの首に、邪神が慌ててしがみつく。


「お、お、お主は唐突が過ぎるっ! わしもこう見えて年頃の娘なのじゃから……」

「あなたは見るからに可憐ですが?」

「ぬあっ!?」


 邪神は可憐で格好良くて強くて最高だ。

 早く貢ぎたくてたまらないブラッドは騎士の宿舎めがけて駆け込むと、邪神を下ろして秒で私服に着替えた。もちろん邪神を下ろす際には最新の注意を払って優しく、丁寧に。

 邪神がきょろと部屋を見回すころにはブラッドの私物はすっかりまとめられ、脱いだ騎士服はきちりと畳み、整えられたベッドの上だ。

 そこにいつかのために用意しておいた手紙を乗せて、邪神に向き直る。


「行きましょう」

「む、支度が済んだか。それにしてもお主の部屋はずいぶんと物が少ないのう」


 手を差し出せば邪神は自らよじりと登ってくる。ブラッドの腕を心地よく思ってくれているようで、喜びに胸が高鳴る。


「ここに入ってまだ十日ほどですからね。部屋の物はほとんどが宿舎の備品ですし、そもそも俺は私物も鞄ひとつにまとまる量しか持っていません」


 ブラッドはほんの数日を過ごした部屋を見まわした。

 ベッドと小さな書き物机、それから申し訳程度の物入れがひとつ。それがブラッドに与えられた部屋だった。

 他の騎士の部屋に比べるとずいぶん狭い。騎士見習いが集団生活する四人部屋のひとりぶんのスペースより狭いくらい。

 それもそのはず。この部屋は元々、荷物置きだったという。

 ブラッドが騎士見習いとなったのはおよそひと月前。

 見習いになってすぐ聖女に見そめられて騎士となったため、特別なはからいで用意された部屋なのだ。

 騎士となってからは聖女の求めるままに着いて回ったため、ほとんど寝に帰るだけの空間でしかなかったから、不満もない。

 騎士の先輩たちにしてみれば嫌がらせのつもりだったのだろうけれど。

 田舎の村を出て身ひとつで聖都までやってきたブラッドにしてみれば、雨風がしのげて寝られる場所があれば十分だった。

 結局は真に仕えたい相手、邪神と出会ってしまったから深い思い入れもないまま出ていくのだけれど。


「お待たせしました。行きましょう」


 邪神を腕に座らせたまま、二階隅の角部屋を出て階段をくだる。

 そのまま敷地を出て行こうとしたところで、木剣を下げた人物と鉢合わせた。


「誰かと思えばブラッドじゃないか。聖女様の騎士サマが私服で何してんだ。もうクビになったのか?」


 嫌味ったらしく言うのは騎士見習いの少年、チェスナットだ。

 お互いが見習いのころからやたらと突っかかってくる彼を、ブラッドは好ましく思っている。

 強くなりたいと剣の稽古で張り合ったのは、きっと彼も『騎士』の称号に憧れてやまないからなのだろう。なかでも『聖女様の騎士』という栄誉を与えられたブラッドが羨ましくてたまらないのだろう。

 ブラッドにはその心がよくわかる。

 だって、見習い騎士より騎士のほうが格好良い。騎士よりも聖女様の騎士のほうが、格段に格好良いのだから。

 チェスナットと直接そう話したことはないけれど、彼の気持ちを確信しているブラッドは大きく頷いた。


「ああ。俺はもう聖女様の騎士ではない」

「はあ?」

「真にお仕えすべき方を見つけてしまったからな」


 隠すように抱えていたことも忘れて、喜びに湧く気持ちのまま邪神を見つめてしまう。今はフードに隠れて見えないその立派な角を、つややかな鱗を思い出すだけで心が浮き立つ。

 チェスナットの視線が邪神に向きかけたのに気づいて、ブラッドはこれはいけないと顔をあげた。


「そういうわけで『聖女様の騎士』が空席になったから今後、騎士内で異動があるだろう。見習いから騎士への昇格もあるかもしれないから、がんばれよ」


 次はお前が『聖女様の騎士』を勝ち取れよ、と応援の気持ちを込めて伝えてチェスナットの横を通り抜ける。


「はああああ!?」


 背後で上がった奇声に腕のなかの邪神がびくりと肩を跳ねさせた。

 チェスナットはしばしば奇声をあげると、伝えておくべきだったろうか。そう思いつつ、ブラッドはそのまま足を止めずに歩いて行く。


「おい、待てよ! 格好良いかどうかにばっかりこだわる頭がおかしいやつだとは思ってたけど、聖女様の騎士をやめるなんてどういうつもりだ!? 止まりやがれ、くそブラッド!」

「……のう。呼ばれておるが」


 叫ぶチェスナットの声が気になるのだろう。邪神が指先でブラッドの服をつまんで引っ張る。

 その姿にブラッドは強い衝撃を受けた。


「強くてかっこよくて可憐なだけでなく、有象無象を気にかける優しさも持っている、だと……!? あなたはなんと素晴らしい方なのか!」


 自分は本当に素晴らしい出会いをしたのだと、感動に打ち震える。

 その間もブラッドの足は止まらない。いや、あまりの感動にめまいがしてその場に座り込んでしまいたいほどであったけれど、腕のなかに抱えた邪神の姿がそれを許さなかった。

 仕えるべき大切な御方に土をつけるなんて、言語道断である。 


「な、なにをぶつぶつと言っておるのじゃ」

「邪神様の素晴らしさを称えておりました」

「お、おお。そうか」


 ブラッドの腕に抱えられながらも身じろぐ、ちらちらと背後を気にする邪神が愛らしくてならない。そんな邪神に「おい、聞けよ!」などと口汚いチェスナットの言葉を聞かせるのは、有害でしかないだろう。


「彼は時おりあのように興奮する癖があるのです。どうぞ、お気になさらずに」

「そ、そうか?」


 邪神に笑顔を向けつつますます脚を速めたブラッドは、騎士の宿舎がある敷地を出る寸前、ふと振り向いた。

 そのとたん、ぎゃあぎゃあと何かを言っていたチェスナットがびくりと震えて騒ぐのをやめる。


「な、なんだよ!」

「伝言を頼む。ブラッドが騎士団を抜けた、と伝えておいてくれ。部屋は片付け済み、退団に必要な自筆の手紙はベッドの上だ。騎士服もろもろも一緒に置いてあるから」


 仕えていた聖女には直接やめることを伝えたとはいえ、騎士の側の者に何も告げずに去るのはあまりに不義理だろう。そう考えれば、ここでチェスナットに会えたのは運が良かった。


「よろしく伝えてくれ。それじゃあ」

「な……な……!?」


 言いたいことを伝え終えたブラッドは、チェスナットに見送られて騎士団の敷地あとにする。

 いかした見送りの言葉のひとつも出てこないとは、我が好敵手はまだまだだな、とうっすら微笑みながら。


 

 


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