第5話 世界情勢

 ドラゴン事件は世界情勢にも大きな影響を与えていた。

 

 影響力を落としつつあったロシアの代わりに中国が台頭し、アメリカとの直接対決も間近だとささやかれていたある日のこと。


 北京、中南海。

 中国の政治の中心であるこの地に、オークとオークの大型種が多数現れた。

 総勢八十頭を超えるその群れは、警備兵の191式ライフルの弾を浴びつつも暴れ回ったのだ。

 結局、全てのオークを駆除するまでに兵士が二十七名、中南海で働くエリート官僚が九名、死亡した。

 負傷者は百名近くに及び、最高指導部のメンバーの中からも重症者が出てしまった。


 この事件を受け中国共産党が各地の軍部から北京周辺へと戦力の移動を指示し、各地の軍閥からの猛反発を招く。

 そんな状況で、青海省とウイグル自治区の間に巨大な異世界生物が出現した。


 牛鬼。現地の人間はそう呼んだ。

 言われてみれば、遠目で見る限りは牛っぽく見えなくもない。

 しかし、象よりも太く筋肉質の足。長く伸びる首そして想像を絶する体格。

 全長八メートル、肩高五メートル、体重二十トン。今から三千万年ほど前に生息していた史上最大の陸生哺乳類、パラケラテリウムが凶暴化したような生き物。

 この巨大な生物が時速60kmで走り回り、次々に町を襲い始めたのだ。

 結局、六頭のパラケラテリウムモドキはう人民解放軍の西部戦区陸軍の手により討伐されたが、人民や軍に多大な被害を与えた上に七日もの日数がかかってしまった。

 

 直前にあった中南海からの戦力供出命令により軍内部が混乱したせいで被害が拡大したとして、ついに軍閥により共産党への叛乱が発生。瞬く間に中国全土へと混乱は広がり、共産党の一党独裁体制は終焉を迎えた。


 こうなると中国は分裂してしまう。過去、何度も繰り返されてきた通り、幾つもの地域が独立を宣言し中華人民共和国という国がなくなった。

 しかし、異世界からの生物はお構いなしに出現してくる。

 しばらくすると中国西部からヒマラヤにかけての山地などは魔物達が蔓延る危険地帯となり、更にその勢力は徐々に広がりつつあった。


 それ以外の地域でも、僻地は次々と魔物に支配されていった。

 軍が出てくれば大抵の魔物は討伐が可能だ。

 しかし、軍が出てこないと倒せない魔物がたくさんいるのも確かである。

 警察や自警団で相手にできるのは、せいぜい一角ウサギやゴブリン、魔狼程度であって、それ以上の体格のものが出てきたら手に負えなくなる。

 そうやって増えた魔物達は瞬く間にユーラシア全域に広がっていった。

 

 アメリカ大陸でも僻地から魔物の侵略は始まった。

 アメリカ軍は相変わらず世界最強を誇っている。更に各州の州軍も果敢に戦っているが、いかんせん人口密度が低い地域が広すぎた。

 その上カナダやメキシコとの国境からも次々と侵入されていく。


 こうして、世界の国々は戦争どころではなく、自国内の治安維持のために軍の出動を日常化させなければならなくなっていった。


 軍隊を維持するためには莫大な資金が必要である。

 更に、常時実戦に準ずる体制で置いとかなければならないのは、中小の国家にとっては死活問題であった。

 しかし、対応能力を持っていなければ、下手をすると街がなくなったりする。

 実際に、軍の初動が遅れて人が住めなくなった街が世界中にあった。

 近隣の町が陥落すると、周辺の町や村の安全性も担保できなくなり、安全な地域がみるみる減っていく。

 それが大規模な農地だったりすると、一気に食料生産に問題が出る。

 

 南米パラグアイにおいて大豆の農地が魔物に占拠され、世界的な大豆価格暴騰を招いた。

 

 それまでもアメリカミシシッピ川流域でのスライム大発生や、アマゾンから溢れた魔物がブラジルの草原地帯に雪崩込んだスタンピードにより上がりかけていた大豆の価格が、パラグアイの大豆地帯壊滅により制御できない大暴騰に繋がった。

 

 こうなると家畜の飼料代が跳ね上がり、世界中で食肉価格も暴騰する。

 地域によっては、人は飢え、渇き、しかし他国に攻め込む体力もなく、地図から消えるのを待つのみになるのかと思われていた。


 そんな中に生まれてきた魔法使いの少女達。

 当初は日本にしか生まれなかった魔法使いも、時間と共に世界中に広まり始めた。

 そして、魔法は魔物の弱点であるとの情報。

 攻撃魔法が使える魔法少女が生まれた国は、こぞってテストをし……失望した。

 

 魔物も既存の物理法則から外れるものではないのだ。

 魔法使いのファイヤーボール一発で倒せる魔物は、携行型のグレネードランチャーでも倒せる。ストーンバレットで倒せる魔物は、小口径ライフルや、頑張れば拳銃でも倒せる。

 しかも、魔法を使うためには精神集中と長い呪文が必要であった。


 結局、どこの国でも魔物への対応は軍が行うことになった。

 そして、自前の軍を持たない国は周辺国に依頼するか、警察組織を強化するなどでなんとか国を守ろうと努力をしている。

 しかし、世界はゆっくりと破滅に向かっている……そう信じさせられるだけの被害が、各国に出ていた。


もっとも、現在のところ、一日あたりの死者数は一日に三千人が死亡する交通事故や、七千人が死亡する労災事例などと比べてもずっと少ないのだ。

 ただ、被害に遭った場合の凄惨さはそれらによる事故とは、一線を画するものであった。

 

 生きたまま食われる。連れ去られ生殖のための苗床にされる。猛毒により数十人が一気に死亡する。

 そんな姿が、時には防犯カメラで、時にはウエラブルカメラで撮られ、世界中に拡散していった。

 

 世界は魔物に怯え、政府を批判し、そして少しずつ疲弊していった。


 日本でも魔物対策は急務である。そして、その最大の希望が響であった。

 まだ中学生の響を直接最前線に立たせるわけにはいかない。まずは中卒を待つが、その間に法整備を進めておかなければ、以後の対策が後手後手に回ってしまう。航空法、自衛隊法、銃刀法、いろいろな法律を変えなければならない。

 

 響が使う超電磁砲レールガンも、光の剣も、チャージ砲も、空中浮遊も、どれも法律的に無し寄りの無しなのだ。これを対魔物対策として、全て合法にしなければならない。


 しかも、響のことを一般には秘匿したままで。


 (なんだよその無茶振り……やめてくれよ……)

 

 内閣総理大臣、武藤大義は新自由民主党の執務室で天井を見上げ、ため息をついた。

 異世界生物対策特殊法案として提出した法案の中に、紛れ込ませる形で特例措置を盛り込んではいるのだが……


 響の周りにマスコミが張り付くような事態には絶対にできない。彼女は人類の希望なのだ。くだらない政争の焦点なんかにもしてはならない。

 それが理解できない連中が、自己の利益のために彼女を利用しようと、常に何かをやらかそうとしている。その流れから彼女を守らなければならない。

 

 (まぁ、こっちはなんとかするから、内閣調査室の連中もうまくやってくれよ……)

 結局、現場のことは現場にやってもらうしかないのだ。

 がんばれ内調異世界生物対策班。がんばれ理沙さん、美智子さん。

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