第三章

第三章


 かつて王国の守護者と呼ばれたブルクット族に単なる威信以上のある種の神聖さを帯びさせていたのは、『鷲の目の剣』と呼ばれる聖剣の存在だった。

 二千年前、建国の英雄ダファネアに神々が与えた聖なる二つの力。

 ひとつは『鷲の目の剣』、もうひとつは『鷲の目の杖』と呼ばれた。聖剣は死を、聖杖は生を操るものと言われる。

 聖剣と聖杖を駆使して闇の王を追ったダファネアは、その旅の終わりに二つの力を神々に返そうとした。

 しかし、神々はその二つをそのまま人間に与えようと言った。ただし、それらを王国内に遠く離して安置するよう忠告することを忘れなかった。

 神の如き絶対的な力は人間の手に余る。それを操ることは至難の業であり、また危険でもある。しかし、節度を持って接するならば、それらは王国の精霊たちから『善き力』の加護を得ることができるだろう。

 聖剣はブルクット族のもとに、聖杖は森深い湖の中の孤島に住むスナ族のもとに預けられた。

 ベルーフ峰の奥深くブルクット族しか知らない聖地に『鷲の目の剣』は隠されていた。部族の禁忌として、そのことを口にするのもはばかられる。

 聖地には族長と二人の長老しか立ち入ることができないとされていた。

 ただし部族の成人の儀式の時だけは例外で十五歳になった者は族長と長老とともに聖地に入る。そして聖剣の先を使って顔の刺青の最初の傷をつけるしきたりだった。


「セレチェンよ、顔にしるしの刺青がない者がブルクット族を名乗っても誰も納得はしないだろう。それとも、王都の人間はそんなことは気にしないのか」

 クランは馬上から問いかけた。

 王都からの使者が村を去って数日後、クランとセレチェンは王都への旅に出た。

 二人の馬には狩りの時とは違い、旅支度がしてあった。丸めた敷布や予備の食糧でふくらんだ鞍袋が揺れている。

 もっとも、街道をたどって行くならば、ほとんど野宿の必要はない。王国には宿駅の網の目が張り巡らされていた。王都へは五日ほどの旅だ。

「クランよ、そんなことは気にせずともよい。長老の私がブルクット族だと言えば済む」

「部族の血などと言ってもあやふやなものだな。私を素性が知れぬなどとさんざん仲間外れにしておいて命がけの旅となると御指名か。ウルめ、怖気づきおって」

「族長の代理は私から頼んだ。それにお前を王都へ連れて行くと言ったのも私だ。もう何度も言ったはずだが。お前の天幕が恋しいなら戻ってもよいぞ。そら、まだ白く見えているだろう」

 ベルーフ峰の山麓に広がるブルクット族の村、その近くに白い点が見えていた。クランは切れ長の目を細め、青い瞳をそちらへ向けた。

「セレチェン、私は旅が嫌なわけではない。前にも言っただろう。どこか遠くへ旅に出たいと」

「うむ。それで、どこへ行こうというのだ」

「どこへというわけではないがな。狩りの帰りに道しるべのところを通るだろう。あの風に吹かれている旗竿を見ると、そんな気持ちになる」

「そうか。クラン、見てみろ。ナビ教の神殿だ」

 セレチェンが指さす先に荒れ果てた石造りの建物が見えた。

 さほど大きくもない三角屋根の塔がまばらな木立に囲まれていた。草原の中でその建物は地面から生えてきた植物のようにも見えた。

「ナビ教の神官たちは王国中を遍歴しながら修行をした。旅する祭司たちだ」

「私は修行をしたいわけじゃない。それにナビ教というと、いかがわしい魔法使いらしいじゃないか」

「それは違う。シュメル王が即位してナビ教は王の庇護を失った。その後、神官の中にそんな境遇に堕ちた者もいるというだけだ」

「ちょっと前に村の広場で炎の魔法を見せると言って自分が火だるまになり、しばらく村で面倒を見てやったという。そいつはナビ教だろう」

 セレチェンは怪訝そうな顔でクランを見た。

「お前、なぜそんな村の中のことを知っているのだ」

「カラゲルさ。あの男、よく私の天幕で話し込んでいくからな。あいつも変な男だ。私と天幕で二人きりなのに何もしやしない。鷲だって牡と牝がいたら……フーウィーッ……ホッ、ホッ、ホッ!」

 クランの呼び声に答えてオローが急降下してきた。

 鷲は馬の後ろから風切り音とともに飛んできて、差し出した手甲の上につかまった。乾いた羽の匂いがクランの胸を満たした。

「なあ、オロー。お前もあの男の長話にはうんざりだろう」

 その時、ナビ教の神殿の陰から一頭の馬が姿を現した。草原を滑るような速度でこちらへ近づいてくる。

「見ろ、クラン。あれはカラゲルではないか」

 セレチェンの言葉に顔を上げたクランは街道へ向かって来るカラゲルを見た。

「何のつもりだろう。見送りにしてはずいぶん遠くまで来たな」

 街道へ入ったカラゲルは二人の方へ馬を近づけてきた。道の真ん中に馬を止めると稲妻の刺青をうごめかして笑った。

「俺も行くぞ。王都へ」

 セレチェンは困惑の表情になった。

「族長は承知か」

「族長の務めを果たさぬ親父など知ったことか。せめて息子の俺が行かねば部族の面目が立たぬだろう」

「族長は立派に務めを果たしている。私は自分から……」

「おい、セレチェン」

 クランが脇から声をかけた。

「こいつ、王都の祭りに行きたいだけだぞ。前々からうるさく言っていたからな」

「クラン、ばらすなよ」

 苦笑いしたカラゲルは早くも馬首を王都の方向へ向け直していた。

「年寄りと女だけの旅など危険だ。俺が護衛を務めてやる。さあ、行こう。のんびりしていると『死者の日』の行列に間に合わなくなってしまう」

 

 三人は草原の街道をたどっていった。石積みの道しるべがあると新たな石を積み、そのまわりを歩いて回って旅の安全を祈った。

 クランはオローを空に放ったり、手甲に据えたりして進んでいた。鷲の鳴き声とクランの呼び声が澄んだ空気に響く。

 ベルーフ峰を含む山並みはしだいに遠くかすんでいった。空は晴れ渡り、川の浅瀬を渡る時は馬の足元で水しぶきが美しくきらめいた。

 冬営地へ向かう遊牧民たちが羊の群れを追って行く。カラゲルが手を振って挨拶すると顔も分からない遠くから気さくに挨拶を返してきた。

 街道を進んでいると風に乗って人の声が聞こえてくることがあった。

「セレチェンよ、あれは何だ」

 クランは尋ねた。あたりには自分たち三人しかいない。その声は聞き覚えのない、低く唸るような、歌うような声だった。

「ブンド族のシャーマンだ。いにしえの言葉を朗唱しているのだ。ほら、あそこに」

 地平線遥かに十数人の騎馬の人影が見えた。馬のほかに天幕一式を積んだ駱駝も一緒だ。そこに街道はないはずだった。

「ずいぶん遠くだな。声はすぐ耳元で聞こえたが」

「風のせいだ。喉を震わせるあの声の出し方にもよるだろう」

「何と言っている」

「それは分からん。あのシャーマン自身も意味を知らないようだ」

 ブンド族は少人数の集団を成して王国各地を放浪している部族だった。集団は多数あるが、そこには必ずシャーマンが同行している。

「いにしえの言葉を朗唱すると土地の精霊が答える。答えた方向へ進む。もし、答えなかったら引き返す。それが彼らの旅だ」

「街道を使わないのか」

「街道は王国の統治と便宜のために作っただけのものだ。彼らには彼らの道がある」

 カラゲルが口をはさんだ。

「あの連中は旅芸人さ。歌や踊り、曲芸やらいろいろだ。前はよく村にも姿を見せたが、この頃はあまり見ないな」

「ブンド族はただの旅芸人ではないぞ。古王国の信仰を守っているのだ。精霊に最も近い存在だ」

「そうだろうか。俺にはただの乞食芸人にしか見えないが」

 その時、また風に乗って低い朗唱が聞こえてきた。

 クランの手甲の上でオローが鋭く鳴き声を上げた。空へ放ってやると風に乗って舞い上がり、まるで朗唱に和するように青空に円を描いた。

 セレチェンは遠い目をして地平線にかすむブンド族の影を見つめた。

「彼らは宿駅にも姿を見せる。そのうちに会えるだろう」

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