第4話 双頭脳《ツイン・ブレイン》
地獄絵図という言葉は聞いたことがあるが、実際に見たことはない。だが、これがそうなんじゃないのか。
頭が無くなった、未だに首の付け根から血が溢れ出している中年男性。顔の上から2/3辺りまで垂直に裂かれ、中華包丁を口から突き出させている自分の彼女。赤みがかった室内色。充満する鉄臭い臭い。
『「オェぇぇぇぇ────ッ』
嗚咽感に耐えられなかった。ダムが決壊したように胃から逆流する。足元に流れる血に吐しゃ物が混ざって、嗅いだことのない異臭が鼻を刺す。同時に涙も溢れる。悲しみと混乱と悔しさによるもの──だと思う。
「──もう出くわしちゃったのね」
いきなり声が聞こえた。この場にふさわしくない平静で冷徹な声だ。顔を上げて声がした方を見ると、いつの間にか裏口の扉にニット帽の女がもたれ掛かっていた。その冷たい目には見覚えがあった。コンビニで弁当を買った時にすれ違った女だ。
『信じられません──やはり、そうでしたか……』
今しがた聞こえた冷徹な声とは打って変わった口調で言う。変な感じがしたがそれどころでは無い。斗希奈ちゃんが殺され、その斗希奈ちゃんを殺した斎藤を殺したのだ。俺と[俺]が。
「まさか……本当に同一の意識を持つ人間が現れるなんてね。──それも石無しで。お手柄だわ、杏美」
『
この女は何なんだ。ずっと1人でブツブツと言っている。大体、この状況を見てどうして平然としているのだ。人が死んでいるんだぞ。
「早くここを離れるわよ」
背中を扉から離すと言ってきた。この女は頭がおかしいのか。俺は人殺しをしたのだ。ここを離れるということは、逃げるということ。殺人の上に逃走など出来るはずがない。
「に……逃げる訳には……いかない」
『そうだ……人を殺したんだぞ?』
主導権を[俺]に渡しているのに人前で喋ってしまった。けれども、[俺]は俺と同じ考えである様だった。だから、自然と被せるように言葉を続けたと分かる。すると、ニット帽の女は口の端を上げながら言ってきた。
「人殺し?そっちの女は君が殺したんじゃないんでしょう?」
『あ、あぁ……と、斗希奈──ちゃんのはこの……斎藤という男が殺した……』
「なら問題無いわよ」
『はい。その通りです。その男は──と言いますか、ソレは人間であってそうでない生命体ですから。見て下さい』
『「何…………?」』
ニット帽の女が指差したのは、斉藤の首元だった。赤とピンクと黄色の断面からは、赤い血液がチロチロと流れている。嘔吐したばかりだからか、意外にも何も感じずにその断面を直視することが出来た。
「骨。無いでしょ?」
その言葉を、断面を見つめたまま確かめた。確かに、中央辺りに白い骨らしきものは見当たらなかった。
「人間じゃないって……」
『……どういう事だ?』
その時、裏口から店長が入ってきた。「ヒィィィッ!」と尻餅をついて脚をバタつかせている。腰が抜けたのか、立ち上がれないみたいだ。
「…………な……何があったんだ……」
顎をガクガクとさせて、裏口の外へ這いずって出ようとしている店長だったが、ニット帽の女に足首を掴まれてそれを封じられる。軽々と持ち上げると逆さ吊りにした。信じられなかった。あの脂肪をふんだんに溜め込んだ100キロはある身体を、女の子が片手で持ち上げたのだ。そのまま店長の水落につま先を軽くねじ込むと「ぐぇッ」と言った店長が口に泡を立てて気絶した。
『──っと。詳しい説明は後です。
店長を床に降ろすとニット帽の女が歩き出した。主導権を[俺]に任せたままにすると、その後を付いて行く。裏口を出る時に斗希奈ちゃんを振り返りそうになったが、[俺]は前を歩くニット帽の女に吸い寄せられる様に満満軒を後にした。ニット帽からはみ出した、長い髪が揺れるのを見ながら。
店の近くには黒いバンが停められており、女がスライドドアを開けて「乗って」と言った。女よりも先にバンに乗り込むと、ガラの悪そうな金髪の運転手に睨まれた気がした。
「古澤、出して」
「──分かりやした」
バンに乗り込んだニット帽の女の言葉でバンが発進する。どんどんと満満軒から離れて行くのが分かる。
未だに起こった出来事が整理出来ない。少しでも頭で理解出来るようにと考えを巡らせるが、無駄だった。正常に思考することが出来ないのだ。どうして考えを集中出来ないのか、その理由が今分かった。とんでもない激痛を感じていたからだった。
「ぐぁ────ッッッ!!」
『──い、痛ェ────ッ!!』
激痛を感じるのは右腕全体からだ。指先から肩の付け根まで、今までの人生で味わった事の無い痛みが頭までガンガンと響く。隣に座る女が「当然でしょ」と鼻で笑った。
「君は素手で
女は、自分たちの座る座席の後ろからボックスを取り出すと、その中から注射器を1本手に取った。針先からピュッと液を飛ばすと、それを無造作に俺の腕に刺してきた。
『「痛ッ!!」』
俺と[俺]が同時に言った。
「鎮痛剤よ。取り敢えず痛みは治まるわ」
別に注射は苦手では無いが、急に刺されたことは初めてだった。普通は「今から注射しますね」とか言うだろう。というか、何故そんな注射器が車内に常備されているんだ。スポイトを押し切り注射器の液体を俺の中に吸い込ませると、さっきまでの痛みが嘘の様に無くなった。女はそんな俺の顔色を冷たい目で確認すると、頷いてから口を開いた。
「それじゃ説明するわね。あの
その言葉にハッとなる。今、この女は「君」では無く「君達」と言った。それはつまり、俺の中の[俺]が居ることを知っているということだ。
『お、俺のことが分かるのか!?』
[俺]が反射的に声を上げた。そうすると、またニット帽の女は口調を変えて答えた。
『分かりますよ。私達も貴方と同じ──
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