25.敵
彼はジルクを【護心】と呼んだ。
この世界の都市を守る、五人の英雄の内の一人。体術を極めた、規格外。
その当人、【護心】は目を細めて彼に問いかけた。
「【真影】は今、何処にいる?」
「安全な場所にいる。……安心しろ、命の保証はしてやる。【剣聖】や【天魔】から聞いてるかどうかは知らないが、精霊を返還すればすぐにでも解放してやる」
「……信用ならんな。例えお前に精霊を渡したとて、必ず【真影】を解放する確証が無い」
「どうせ信用なんかしねえだろ」
嘲笑うような声色と、正反対に無感情な表情が、【護心】へと向けられる。敵対している相手の言う言葉を、信じる人間はいない。
彼の態度はそれを如実に表している。
彼は、ジルクへ、【護心】へと聞こえるように呟いた。
「……さて、どれほどの実力を隠している?」
「どれほどだろうな。試してみろ」
左手を前に、右手を後ろに。重心を丁寧に傾けた【護心】。
様子を見ていた彼は、納得したように言った。
「やはり、利き手は逆だったか」
都市で変装していた【真影】を【護心】が止めようとした時。構えは真逆だった。
左手が後ろに、右手が前に。
門の前で最初に会った時、酒を飲んでいた時、都市の中を歩いていた時。違和感を感じないほど自然に。戦闘時のみ、【護心】は利き手を逆にしていた。
「おっと?バレてたか」
彼の言葉に、笑みを浮かべて【護心】は構えた。
「下らない策だな」
「……もしかして、嫌われたか?」
「最初から嫌いだ」
巫山戯た様な【護心】の言葉に、彼は即答した。その彼の言葉に、思わず苦笑いしながら【護心】は足に力を込めた。ほんの一瞬、ためを作る。
彼は左手に掴んでいた長刀を手離し、立ち上がる。まるで、彼に今から仕掛ける、と合図をするようにして【護心】は動いた。
「そう、かっ!!」
小手調べに、【護心】は彼に拳を何発も打ち込んだ。顔面、胴。
彼は、丁寧に防御した。
右手で顔面への横薙ぎを受け止め、左手で胸部への突きを弾き、立ち位置を入れ替え、彼は両手の痺れを取るように振るった。
「もう少し労えよ。……こっちは、」
ポタポタと、水が落ちるように音が鳴った。暗闇に隠れ、彩度の怪しいその液体は、粘性のあるものだった。
強い光に照らされれば、赤く鮮やかであっただろう。
それを示すように、彼は言った。
「怪我人だ」
「……」
流血の原因。【護心】の攻撃を防御したことで、彼の腕の傷が再び開いた。【天魔】との戦闘でも、彼は極力長刀を使用しないように止めていた。それは、傷口を慮っての事だった。
今回は、そうもいかない。
【護心】の主力は体術。武器を使うのは相性が悪い。彼はそのためにあえて長刀を手放した。
「怪我人……?」
【護心】は訝しんだ。
「その割には、痛がっていないように見えるが」
「単なる強がりだからな。……今にも痛みで倒れそうだ」
「謀るな。嘘でないことは俺でも分かる」
「……あっそ。なら、はっきり言うよ」
彼は、悲痛な表情を浮かべて叫ぶように、苦しむように。目を伏せて、深呼吸を繰り返す彼の口からその言葉が溢れた。
「痛い。……ふざけてなければ、気絶しそうなほどに。息をするのだって、辛い。苦し……」
「フッ!!」
彼が言い終わる前に、【護心】は再び殴りかかった。
右の拳を、彼の側頭部目掛けて放った角度として、真横から打ち込む。彼は目を伏せていた、確実に攻撃は当たる、【護心】はそう予測していた。
だが。
「っ、おいおい……反応出来るのかよ……!!」
【護心】の拳を、彼は自身の右手で掴んだ。目を伏せていたとは思えない反応速度に、思わず【護心】は戸惑った。
そんな【護心】へと、彼は文句を言うように呟いた。
「人の話は、最後まで聞けと……」
ぐん、と【護心】の右腕を彼は無理矢理引き、左の拳を構える。
認識出来たのはそこまでだった。
「ッ!?」
彼は二の句を紡ぐことが出来なかった。
彼の全身に衝撃が走った。激しく吹き飛ばされ、威力を抑え切れなかった彼は、遺跡に残っていた柱に胸部を打ち付けてしまい、激しく咳き込んだ。
「ぐ………かはっ」
何が、起きたのか。
【護心】の姿勢を見て彼は理解した。
【護心】は、自身の動きを利用してカウンターを叩き込んだのだと。
斜め前の方向に、前のめりに倒れ込むように。掴んだ【護心】の拳を、彼が強引に自分の方向へと引きつけた瞬間。
構えられた彼の左の拳。その拳を確認した【護心】は敢えて前方向へと重心を移した。
彼が引っ張る自身の右腕に逆らわなかったために、【護心】の体は彼の右後方へと、一気に加速。
その勢いを利用して彼が左の拳を打ち出すより遥かに早く、【護心】は左の裏拳による迎撃を行い、彼を吹き飛ばした。
カウンターを仕掛ける、その前にカウンターを仕掛けられた。
彼が思考を回す間、【護心】は油断なく構えて倒れている彼へと警戒を続けていた。
「生憎だが。俺は、嘘つきの言葉を最後まで聞く前に、嘘つき本人を叩け、という信条の持ち主でな。お前の戯言の真偽ぐらい、最後まで聞かなくとも分かる。……【真影】を解放しろ。そうすれば、俺もここで手を引く」
「……」
「……おい、答えろ」
彼は無言で立ち上がった。両腕から流れる血。闇の中ではただの黒い粘液に過ぎないそれを暗闇の中でぼんやりと眺めた。
刹那。
彼の纏う雰囲気が激変した。
「……!?」
両腕から血を振り払う。その行動を行った後の彼の姿は、【護心】の目には異様に写った。ビシャリと辺りに叩きつけられるようにして広がる黒。その黒を踏み潰すように彼は立った。
雰囲気の変化に、【護心】は身体を強張らせた。
久しく味わうことの無かった感情が、【護心】の心の中で膨れ上がった。
恐怖。
城門での彼の殺気は、手加減したものに過ぎなかったのだと。
「……あーあ、マジかよ。……だけども、逃げるわけにはいかんな」
だが、【護心】は引かない。強く拳を握りしめ、彼を真っ直ぐに見据えた。恐怖とは、戦う者にとって必ずぶつかる感情。
それを御した故に、【護心】は構えを解かなかった。
「……逃げないのか。どいつもこいつも」
面倒な、と溢れた呟きが一つ。
次の瞬間、彼は血塗れの両手を下ろした。自然な立ち姿、されど隙はない。彼に、【護心】は再度仕掛けた。
矢継ぎ早に繰り出される両の拳。上下左右、様々な位置角度にあるように彼の目に映っていた。
それを彼は、正確に受け流し続けた。
(……!?やりづらい……!!)
心の中で【護心】は呻いた。
彼の腕の上を【護心】の拳が滑っていく。連撃は全て当たりはすれども威力そのものは大半が失われている。そして、【護心】自身の体勢も時折不安定になっていた。
原因は両方同じく、彼の血液による妨害だった。いや、妨害と言うと大袈裟な言い回しになるかもしれない。
彼の腕についた血液と、彼が先ほど地面に撒いた血液。
前者は【護心】の攻撃を、後者は【護心】の体勢を阻害していた。
そして何よりの原因は彼の動きにある。徹底的に防御と回避に専念しているのだ。例えこちらが隙を晒しそうになろうとも、決して攻撃してこない。加えて言えば、完全に攻撃しないにも関わらず、時折隙を突こうとする動きは見える。大振りの攻撃を仕掛けようと踏ん張れば、足元の血液がそれを妨害する。
攻撃を仕掛けなければならず、大振りは出来ず、しかし【護心】が誘いをかけても彼は乗ってこない。
「……何を考えている」
「何も。強いて言うのであれば、自己犠牲は何も産まない。早く諦めろ」
「何の、話……」
「自分を犠牲にして相手の能力を探る」
彼の言葉に、【護心】の動きが僅かに鈍った。
「自分が最年長だからと、命を張って情報を取りに来た、違うか?」
続く彼からの問い。限りなく、【護心】の考えに近い答えだった。
全て、ではないが。
「まあ、間違ってはいない。……ただ、訂正させてもらうと」
【護心】は、大きく踏み込んだ。
「俺は勝つつもりだった」
一際大きな衝突音が鳴った。
【護心】の右の拳を、彼は真正面から左手で受け止めていた。
その一撃を最後に、示し合わせたかのように二人は構えを解いた。
「……やっぱり、お前は強いな」
「褒め言葉は有り難く受け取っておく。……【真影】を本当に助けたいのならば、【剣聖】と【天魔】を説得しろ。俺を倒すよりよっぽど早い」
自身の両腕を摩りながら彼は【護心】に背を向けた。
警戒心の無い、その行動に。
【護心】は気づけば問いかけていた。
「何故、【真影】を盾にしなかった?」
「……質問の意図が分からんな」
彼から返ってきたのは、そんな答えだった。
彼から決して目を離さず、ナユを抱えて【護心】は立ち上がった。その場を後にする【護心】の心には、一つの疑惑が浮上していた。
(……)
彼は果たして、本当に敵なのか。
一抹の不安を抱えて、【護心】は歩き出した。
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