20.幸福の対価

 【天魔】の宣言が、彼の耳に届いた、まさにその瞬間。

 全ての魔法陣が起動した。

 火の弾が、水の刃が、風の棘が、氷の砲弾が、溶岩の槍が。多数の属性、形状、威力の魔術が全て彼に向かった。

 あらゆる種類の攻撃が彼に降り注いだ。


「……効果なし、か。どうしたものかしら」


 だが、それら一切の魔術は彼に届かない。寸前で結界のような何かに弾かれ、逸らされ、消失させられる。そこに属性や形状は関係ない。

 ただし、【天魔】は英雄だ。

 魔術をぶつけた際の結果は、一度見ただけで全てを覚えていた。その記録から考えると、唯一の違いは威力の差による結果の変化。

 威力が低い順に、消失、弾き、逸らしへと変化している。かといって、最大威力の魔術をこれ見よがしに用意すれば彼は回避するだろう、【天魔】はそう推測する。

 だけど、と続けて思考する。


「……やってみましょうか。【雷雨ヴァルト】」


 【天魔】は右手に多数の魔法陣を展開し、組み合わせた。威力を限りなく高く、それ以外は全て捨て去った魔術を構成していく。その間、左手でひたすら最速で形成できる雷の属性の魔術を乱射。バチバチと発光しながら彼へと放たれた雷撃は、結界に弾かれてその光を眩く散らす。

 雷の魔術には、時間を稼ぐ、そして彼の視界を阻害する目的があった。

 防御魔術などで防いだ時、炎もしくは雷が目眩しとして有効になる。単純に威力が高く、発生が早く、そして何より相手の視界を阻害しやすいのだ。

 彼の視界から、【天魔】は自身の体を完全に隠す。第一の狙いは、成功した。

 第二に、この魔術を完成させ、彼にぶつける必要がある。


(……無茶をするしか、ないか)


 【天魔】は密かに、確実に、その一手を狙った。

 その最中。彼は完全に阻害された視界をどうしたものか、と考えていた。【天魔】の魔術は防ぐことが出来ている。だが、視界を阻害しているということは何かしらの狙いに基づいて妨害しているのは間違いない。


「……とはいえ、ここまでだな」


 そろそろ、仕掛けるか。

 彼は右手で長刀の柄を握った。そして、抜刀しようとした、その瞬間。

 違和感を覚えた。


「何処に……?」


 前方から絶え間なく打ち出されている雷の魔術。その先に、【天魔】は居なかった。無人の状態で魔術を吐き出し続ける魔法陣に彼が気づいたと全く同時。

 【天魔】が、彼の左側に現れた。


「……ちッ!!」

「喰らいなさい!!【爆震弾バルカー】!!」


 咄嗟に【天魔】を蹴り飛ばそうと彼は右脚で左方向へと薙ぎ払う。蹴りは【天魔】に直撃し、激しく吹き飛ばした。

 だが、魔法陣は違った。

 【天魔】の手から離れ、結界のゼロ距離で発光し始めた魔術に対して彼が右腕を盾にするように構えた直後。



 轟音が鳴り響いた。



 【極藝】の砲撃よりは弱いが、限界まで圧縮した魔術の爆弾。【天魔】は自身の体に防御魔術を展開することで防いだ。

 対して、彼は顔を歪めた。彼の右腕の表面に、焦げたような痕が残っていたからだ。威力は高くないとはいえ、結界のゼロ距離の爆発を防ぎ切ることは出来なかった。

 【天魔】は彼の腕の負傷を確認すると、その口の端を上げて煽るように彼に言った。


「やっぱり、貴方の防御は絶対じゃない。私は破る手段をもう思いついてる。どう?降参しない?」

「そういう言葉は追い詰めてから言え。たかが腕に傷をつけた程度で勝ったつもりか」

「……いいでしょう。殺してあげる。【地殻の揺クィエカ】、【天翼ウィルクス】」


 【天魔】は魔術を起動し、地面を大きく揺らした。

 浮かび上がる【天魔】とは対照的に、地面に立つ彼はその揺れをもろに喰らい、バランスを大きく崩す。その瞬間を逃さず、【天魔】は二つの魔術を発動した。


「【鉄薔薇の縛鎖バインド】、【爆震弾バルカー】!!」


 彼の動きを阻害する、鉄の茨の魔術。そして、先ほどと同じく爆撃の魔術。行動を阻害し、確実に魔術を命中させるための二つの魔術。

 これならば、確実に当たる。

 そう、【天魔】が確信した時。

 異常な悪寒を感じた事で、【天魔】は【爆震弾バルカー】を解除し一気に上昇した。

 彼は、抜き身の刀を構えていた。揺れる足場の中、明確に【天魔】を狙い、刀を突き出した。



「【雨月うつき】」



 空中にいる【天魔】に放たれた、長刀による彼の攻撃。鉄の荊を裂き、明らかに届く距離ではなかったにも関わらずその突きは【天魔】の脇腹を掠めた。


「っ、やってくれるわね……【治癒の雫フィーラ】!!」


 その傷は、すぐに治癒された。魔術によって傷痕は無くなったが、破れた衣服に【天魔】は舌打ちをした。衣服など【天魔】はすぐに直せるが、直せるから壊されても平気、というわけではない。怒りをそのまま攻撃へと転化した。


「【憤怒の黒炎イフリィーティア】!!」


 感情を薪として燃え上がる、怒りの炎。感情の強さに呼応するその魔術は、【天魔】の怒りを燃料として燃え上がる。

 消えることの無い、黒い禍々しい炎として。

 その魔術は、彼とその周辺を全て飲み込むように彼に迫った。


「……回避だな」


 彼は、長刀を構えた。対象は黒炎ではない。【天魔】でもない。

 揺れる地面の上で、彼は地面に向けて攻撃をした。


「【羅刹らせつ】」


 薙ぎ払うような斬撃が、地面を削る。跳ね上がった土と岩石が黒炎を防ぎ、前方に炎を纏って転がっていった。同時に彼の意図しなかったことではあるが、【地殻の揺クィエカ】の範囲としていた地面が大きく削られたことによって魔法陣が破壊された。


「本っ当に苛つくわね……!!」

「こちらの台詞だ。空から一方的に攻撃しておいてよく言う」


 【天魔】にとってここまで自身の魔術が通用しない相手は久しぶりであった。そして、苛立ちが募るのも久しぶりの感覚だった。

 だからこそ、【天魔】は新たな魔術は構成せず上空から彼に問いかけていた。


「それだけの力が有りながら、人を助けるどころか殺して回った意味は何?嫌がらせかしら?それとも、自分の力を誇示したいのかしら?」


 少し挑発の混ざったその問いに、彼は疑問を返した。


「助ける?お前らは、人助けをしてるのか?」

「……当然でしょう。【剣聖】の目指した理想。『全ての人の幸福』を目指して、都市を守るために私達はいる」

「それはごく少数を省いた、大多数の幸せでしかないだろう」

「何を馬鹿な事を……」

「お前は分かっているはずだ。【予知魔術】によって【牢獄】に隔離した五人にとっての幸福は、一体何だったんだ?二人は復讐。三人は自死。だがお前はその五人をどうした?」

「……」


 無言を貫く【天魔】へ、彼は続ける。


「【予知魔術】には条件がある。そして、その条件を満たすためにお前は【牢獄】にいた五人にそれぞれにとって因縁のある相手と会わせた」

「……本人達から聞いたのね」

「ああ。レグトには、ナユ、レグトを信じず非難した連中を。肌の爛れた少年には、漁村の連中を。シスターには、自身を襲った加害者達を。未亡人の女には、姉とその夫を。ルゥクは例外だが」


 そして、彼は心底呆れたように言った。


「正気の沙汰とは思えないが。……【予知魔術】を発動させるためだったと考えれば意味はあったんだろうな。レグトと少年は復讐心を露わにした。シスターと未亡人の女は自殺を試みた。その光景を予知したからこそ、【天魔】、お前は【剣聖】にその事を全員を【牢獄】送りにした」

「……」

「当たり前の話だ。『全ての人の幸福』?不可能だ。一度自分を裏切った、自分を殺した相手の幸福を願いながら自身の幸福を望む。そんな事が出来るならばそもそも理想じゃない。ただ実現可能な現実だ」


 それに、と彼は更に続けた。


「少年の話が特に印象的だったな。自分を迫害し、焼き殺した連中と会った時。二度目の人生では幸せになれると聞いて『過去のことは忘れよう!これからはよろしくな!!』と平然と肩を叩いてきた、と。そして少年が怒り狂った途端、全員で一斉に非難した。……あまりにも、醜い連中だ。だが、【剣聖】はその醜悪な連中すらも幸福にしようとしている」


 【天魔】は黙って彼の話を聞いていた。何故ならば、【天魔】自身もこの都市の矛盾に気づいているからだった。

 気づいていながらも、何も言わなかった。


「それで、お前はこの都市が本当に正しいと、そう思っているのか?」

「……」

「無言は肯定と同じだ。あと………距離が少し近すぎる。油断しすぎだ」


 ダン、と唐突に彼は右足を地面に叩きつけて長刀を構えた。

 その動きに【天魔】は対応出来なかった。彼には殺意が無かった。怒気が無かった。敵意が無かった。

 どんな人間であろうと、攻撃の意思を消すことは出来ない。その認識の齟齬が、彼の奇襲を許す結果となった。


「【刹那せつな】」


 俗に言う、居合い。

 彼と【天魔】の距離を瞬く間に食い潰したその動きに、【天魔】は魔術を展開することが出来なかった。


 彼の刀は、【天魔】の首を裂いた。

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