15.【燃やされたモノ】

「いらっしゃい!!お一人かい?」

「ああ」

「空いてるお席へどうぞ!!」


 額にバンダナを巻いて厨房の奥から声をかける男性。彼の返事に、男性と同じく額にバンダナを巻いた女性が元気よく応じる。

 そのまま、彼は空いていた壁際の席へと座った。


「注文が決まったらお声掛けください!!」

「分かった」


 そう言って再び女性は厨房へと入って行った。


「……」


 目の前で熱せられている、机の上の鉄板を流し見て彼は注文表を眺めた。

 商品としては、各種肉類、アルコール、野菜や白米、その他つまみ。豚、牛、鶏、魔物肉。彼としては全く馴染みの無いような肉も多くあった。


「魔物の肉、か……」


 ポツリと彼は呟く。その何気ない呟きを、拾う人物もいる。


「何だぁ?魔物の肉、食べた事ねえのか?」


 酒を片手に彼を馬鹿にするかのような笑みをその男は浮かべていた。いくつかのテーブルに別れて座っていた大人数の青年達。その一人が彼を揶揄うように声をかけた。


「おい、やめろよ」

「ああ?別に良いじゃねえかよ。だってコイツ、一人だぜ。どうせ一緒に飯食う奴もいねえんだから、絡んだっていいだろ」

「お前な………」


 注意する仲間を無視し。青年は彼に笑いながら問いかけた。


「なあ、お前、もしかして魔物の肉も食ったことねえの?」

「……まあ、そうだが」


 彼のその答えに、男は笑った。


「はっはっは!!こりゃ傑作だなぁ!!良いとこのお坊ちゃんか!?魔物の肉食うなんざ常識だろ!!」


 明らかに赤くなった頬。上機嫌に立ち上がりはしたが、足元は覚束ない。

 間違いなく、男は酔っていた。


「……常識、ね」


 彼は、男の顔も見ずに呟いた。そして、


「ふっ……」


 鼻で笑った。

 思わず漏れてしまったかのような彼の笑い方。当然、笑われた本人は穏やかではいられなかった。


「あ?何笑ってんだよ、お前」

「いいや?まさか、酔っ払っている人間に常識を説かれるとは思ってもいなかったんでな。つい笑ってしまった」

「………は?お前、喧嘩売ってんのか?」


 立ち上がって彼の側まで詰め寄った青年。しかし彼はそちらに顔どころか視線すら向けなかった。


「馬鹿、飲み過ぎだ!!」

「うるせえ!!」


 仲間の一人が青年を止めようとしたが、押し除けられてしまう。彼の肩を掴み、頬を酒とは別の理由、怒りで上気させた青年は大声で怒鳴った。

 

「ああ、そうだよな!魔物の肉も食ったことの無いような、苦労もしてねえ野郎に、分かるわけねえか!!必死こいて働いても、まともな食事にありつけねえ、そんな惨めな気持ちすら、味わったこともねえんだろうな!!」

「おい!落ち着けって言ってるだろ!!」


 酔っ払い、息継ぎの回数も多い、滑舌も怪しい、そんな状態でも青年は怒りを感じていた。

 元の世界で生きていた時、青年達にとって魔物の肉は安く出回る買いやすい物だった。動物の肉を買うなど、貴族か金持ちの人間にしか出来ない娯楽だった。いつか、俺達も。動物の肉にありつけた、そんな妄想じみた夢を何度も抱いてきたのだ。この世界で、その夢は叶い、青年は幸福を得ていた。

 それを、彼は鼻で笑った。

 青年は許せなかった。自分が経験した苦労も知らず、自身を嘲笑う彼が。


「いい加減、俺の顔を見ろよ!!」


 無理矢理彼を立たせてその顔を見た青年は、釣り上がった口端をその瞳に映した。愉快そうに、巫山戯たように、戯けたように歪む彼の口。

 その瞳が一切笑っていない事に気づかない青年は彼を殴り飛ばした。頬を捉えた右の拳が彼を壁へと吹き飛ばす。

 大きな音が鳴った事で周囲の客の視線が一斉に彼と青年に向いた。


「はあッ、はあッ!!馬鹿にしやがって……!!」

「馬鹿野郎、何をしてる!?」

「離せ!!殺してやる!!」

「ちょっと!落ち着いてください!」

「ぐ………離せぇッ!!!!」


 青年の仲間達。店員の女性。近くにいた客。

 暴れようとする青年を抑えている最中、彼は悠然と立ち上がった。

 その態度が、青年の怒りを助長させると分かっていながら。怒りで暴走する本能とは異なり、冷静な理性。青年だけが彼の僅かな変化を捉えた。

 またもや煽るように、しかしほんの少しだけ持ち上がった彼の口の端。

 青年は怒りに任せて体を動かした。


「ッ!!離せ!!」

「うわっ!?」

「きゃあッ!?」


 止めに入った者達を再度押し退けて青年は彼に殴りかかる。右拳を握った大振り。それが彼の顔面に叩きつけられる直前だった。

 青年の視界がブレた。

 

(は?)


 投げられた、と理解したと同時。

 卓上、熱く熱せられた鉄板に、彼の顔の左半分が叩きつけられた。

 ジュ、と焼ける音が嫌に響いた。


「あ゛あ゛あ゛あああ!?熱い熱い熱い熱い痛い痛い痛い痛い痛いぃぃ!!」


 痛みに悶え、卓上の物を散らしながら床に転がり落ちた。

 青年は叫ぶことしか出来なかった。

 手で触れれば痛みが走るために抑える事は出来ず、しかし何かをする事も出来ない。大声を出して気を逸らそうとするも、ほとんど効果は無い。


「無様だな」


 その様子に、彼は一言。

 言い返そうと彼を見た青年達の一人は、言葉を失った。彼の頬には何の痕も残っていない。その瞳は、まるで闇のように暗かった。それに気付かなかった、先ほどまで青年を止めようとしていた仲間は怒鳴った。


「ふ………ふざけんな!!お前、頭イカれてんのか!?」

「殴りかかってきたのはそいつだ。俺の行為は正当な反撃。そう、偶・然・投げた先が鉄板の上だった。意図的じゃあない」

「テメェ……!!」


 飄々と言い。彼は、しゃがんだ。悶える青年に視線を合わせ、痛みによって涙を流す青年を見つめた。


「……俺は、ここで『人の肉』を焼けるとでも思っていたんだがな。特に、少年ぐらいの肉が」


 沈黙。

 何を言っているんだ、コイツは?

 店の中で聞いていたほぼ全員が、彼に対してそう思った。例外は、青年の仲間達。表情を固くさせ、中には彼が言おうとしている事を察したか、怯えたような表情を見せる者すらいた。

 彼は、そのまま続けた。


「『随分と醜い面』になったじゃねえか。『親は普通な癖に』。お前らの親の顔なんざ、知らないが」


 未だ悶えていた青年は、その言葉に痛みを忘れたように彼を見た。

 目は火傷によって塞がり、顔の半分は火傷によって、髪が焦げた、青年は。青年を介抱していた仲間達は。

 選ぶような彼の言葉遣いに、言葉を発することすら出来なかった。


「『半分だけ醜いなんて、気持ち悪い。俺ならお断りだね。あ、そうだ!いっそのこと、もう半分も醜くしてやるよ!』鏡、見せてやろうか?今のお前の顔がよく見えるだろうさ」


 異様な静けさが場を支配していた。その沈黙の中、彼だけが喋り続ける。

 感情の無い表情。虚無のような瞳。

 何の感情も抱いていないように見えて、しかし何かの感情を抱いているようにも見えた。


「『安心しろよ。お前が死んでも誰も悲しまない。だって、お前の両親死んでるもんな。……あ、これ言っちゃいけない事だったわ!あはは!』。お前らも苦労したんだな、俺には理解できないが」


 無機質な棒読みで告げられる、いつかの自分の言葉。当時ではない、今だからこそ深く心に突き刺さるその言葉。

 いつの間にか、店にいた人々の視線の先は彼から青年達に移っていた。


「『明日、お前は炙られて死ぬんだってさ!精々生贄になって役に立ってくれよ!』。面白い言葉だな。やはり、理解は出来ないが」


 ガタガタと震える者。腰を抜かす者。『違う……違う……』と何度も繰り返す者。顔を真っ青にしてガチガチと歯を鳴らす者。沈黙しながら瞠目する者。


「『あはは!面白い悲鳴だ!痛い痛い、熱い熱い、だってさ!』……で?再び聞いた感想は?」

「あ、あ、あ…………」

「そんで、これが今のお前の顔だ」


 いつの間にか彼の手元にあった無骨な手鏡。それに映った自分の顔を見た青年は絶叫した。その叫びは、傷の痛みによるものが、はたまた別の何かか。

 彼にとって、それは重要ではなかった。叫ぶ青年を放置し、立ち上がった彼。

 先ほど青年を止めようと組みついた、仲間の一人に、彼は声を掛けた。


「ああ、そうだ。もう一つ聞きたい事があった」


 視線を向けて、首を傾けて彼は問うた。

 無表情、無機質な瞳。まるで人の形をした何かが、人のふりをしているような。

 その口から紡がれる言葉。




「人を焼いたその手で、焼く肉は美味いか?」




 頭を抱え、発狂し出した青年達。荒れる店内。

 いつの間にか彼の姿は消えていた。

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