14.【進み始めた】


 その時、ナユは立ちながら遠くを見つめていた。

 門番として警戒しながらも、事実退屈な時間が過ぎていることは間違いなかった。何時間か前にこの世界を訪れた記憶喪失の彼。

 その彼を最後に、今日はもう誰も来ないのだろう。

 空を眺め、流れる雲を目で追いかけていた時だった。


(……ん?珍しいな)


 視界の端に、誰かが見えた。

 一日に二人目の来訪者。

 疑問に思いながらもその人物へと目を向けたナユは。


「………は?」


 茫然。

 正に言葉通りの反応をしてしまった。その人物の首元に巻いてある白のマフラー。自然に歩いてくるその様子にナユは呆気に取られてしまった。


「よ、ナユ。門番ご苦労様」

「……いや、いやいやいや!!どういう……!?」

「あんまり詳しくは話せない。で、頼みがあるんだが」


 自然な口調と足取り。状況は明らかに異常なはずなのに、目の前の人物は何も気にした様子はない。そのままナユの目の前まで近づいた彼は、静かに言った。


「俺の刀、返してくれないか?」


 感情の感じない声。どろりとした暗い瞳。思わずナユは後退りした。

 まるで人とは思えない声色。まるで何もかも見通すかのような、一種の恐怖を感じさせる瞳。目を逸らすことも出来なかった。

 だが、恐れを抱きながらもナユは言った。


「駄目……に決まってるじゃないですか……」


 体を震わせてそう告げた。

 その言葉に、だよな、と彼は呟いた。仮にも相手は門番、そうそう簡単に武器を返すような真似はしないだろう。だが、ナユは本職の門番ではない。この世界で希望したから担っているだけの話。

 それを彼は知っている。

 彼は、ナユの右肩に自身の右手を置いた。


「俺の刀。返してもらって良いか?」

「………!?」


 ナユは、微動だに出来なかった。右肩は動かない。動かそうとしても、まるで岩か何かにでもなってしまったように感じる。それほどまでに、彼は強くナユの肩を掴んでいた。


「返してくれるか?」

「……お断りだ」

「そうか。……話は変わるが。リネという女と都市の中で知り合った」


 彼が口にした名前。動揺したナユは、しかし何とか抑え込んだ。心の揺らぎを表に出さまいと、必死に。僅かな焦りのこもった視線で彼の目を睨み返した。

 しかし彼が動じた様子は無かった。

 ナユが睨み返したその瞬間。彼は、笑った。形だけの笑みを浮かべ、脅迫するように。


「それが、どうした?」


 少しずつ、ナユの心の壁が剥がれ始めた。必死に発した声は震えていた。それを分かっているからか、彼は笑みを深めて言葉を続けた。


「お前と夫婦だと聞いてな」

「それで……?」

「リネはお前の幼馴染の事を知っているのか?」


 彼が淡々と告げた言葉。ナユを見ることはなく、これ見よがしに空を見上げる様は、白々しくしか見えない。

 だがナユは沈黙した。知っている人間にしか、通じない彼の言い回しを、ナユは理解した。

 否、してしまった。


「俺の刀は?」


 恐怖を孕む虚無のような彼の瞳。死の恐怖すら容易に塗り潰せそうなほどの闇。ナユは、俯くように顔を逸らした。選択の余地は最早無かった。


「……ちょっと、待っててください」



ーー◆ーー



 開いていく城門を前に、彼は歩き出した。

 彼にとって二度目の入城。

 今度は、長刀を携えて。英雄達が何の対応もしなかったことに彼は疑問を抱いたが。

 足を止める事はない。

 彼は、進み始めた。

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