10.檻の中

 転移魔術の光に包まれて消えた彼と【剣聖】は、瞬き一つの間に全く別な場所へと移動していた。【剣聖】は難なく着地するものの、彼はうつ伏せの姿勢で床へと放り出されていた。

 当然の如く顔面から着地した彼は呻いた。鼻の骨が折れたのではないか、そう思うほどに勢いよく落下した彼は、しかし起き上がると鼻を抑えながら呟いた。


「……ついには囚人扱いか。一周回って笑う気すら無くなったな」


 毒づいた彼の体に魔術の鎖は巻き付いていない。彼は自身の周囲を見回した。


「……大丈夫か?」

「お前の心配は不愉快だ。さっさと消えろ」


 まず真っ先に目に入った鉄格子の先にある【剣聖】の顔を罵倒してから無視。そして、改めて彼はゆっくりと周りを見回した。何処までも広がっているのではないか、果ての見えない黒く何も見えない景色が広がっていた。これは最早部屋と呼べるものなのか、おそらくは魔術によるものだろうと彼は結論づけた。

 今、【剣聖】はこの空間のど真ん中に用意された道の上にいる。幅3メートルほどの道の端は、一方は虚空に呑まれ、一方からは外からの光が差し込んでいた。

 空中を漂う複数の箱型の牢屋。基本的には同じ高さにあるが、揺れているため多少上下の差があった。共通の形状であると思われるその牢屋の構造は側面は鉄格子、そして上下から板で挟んだかのような簡単な作りをしている。

 内装に関して、彼は少しだけ驚いた。古今東西、牢屋とは環境が劣悪であったり質素であったり、とにかく有難い環境ではない事が当たり前。

 しかし、ここは違った。タンスやベッドといった生活に必要な代物。部屋の隅に個室として用意されているトイレ。足場はよく見てみれば床そのままではなく敷物が敷かれている。

 牢屋自体と内装。これらは【天魔】の魔術によるものか、と彼は予想した。この形式であれば、牢屋に関しては増築などと言うまどろっこしい真似をする必要は無く、内装もすぐさま替が効く。また問題が起これば【天魔】本人に感知されるという二重の利があるのだろう。


「酷い扱いだな」


 彼は独り言のように、しかしその実聞いている人間がいる事を分かった上で言葉に出す。その人物、【剣聖】はひたすら申し訳なさそうな表情を浮かべるだけ。彼はこれ以上は意味が無いな、と心中で呟いた。フラフラと彼は部屋の中を歩いた後、ベッドを眺め、


「で、何が聞きたいんだ?」


 備え付けのベッドへと体を倒しながら彼は【剣聖】に声を投げかけた。【剣聖】に対して嫌味、皮肉を言い、罵倒までした彼。

 しかし【剣聖】が見た彼に嫌悪感はなく、また罪悪感も毛ほども感じられない。はっきりと言えば異常。まるで、そう。


「……貴様、多重人格者か?」

「お前がそう思うのなら、それでいい。俺の機嫌がいいうちに質問してくれ」


 彼が視線を向けた時。【剣聖】は思わず腰の剣へと手を伸ばした。

 先の戦闘中、僅かに見せた彼の『無』の表情。それに近い表情を彼が浮かべていたからだ。


「どうした?」


 ただ彼にその気は無いのだろう。【剣聖】へかける声色は以前と変わっていなかった。倒した体を持ち上げ、彼はベッドに腰掛けた。


「君は、何故、この世界……いや、これは……やめておこう」

「懸命な判断だ。……ああ、そうだな。俺としてもややこしいのは面倒だ。質問しやすいように、一つ条件をつけようか」


 彼は口の端を上げた。形だけの笑みを浮かべたその様は、まるで暗い闇を背負っているかのような、拒絶と魅力を内包した彼の表情。

 【剣聖】へと挑発するように、彼は言った。


「お前からの質問……一つだけ何でも答えてやる。ただし、お前も俺の質問に必ず答えろ」


 【剣聖】の心を見透かしたような言い回しを彼はした。【剣聖】からすれば、彼へと問いたい事は山のようにある。そして、彼にも【剣聖】へと答えを求めたい何かがある。条件を付けたのは、その為。何度も同じ質問を繰り返すのは悪手。

 【剣聖】は、理解した。その上で、再度彼に問いかけた。



「……君は、何を求めてる?」



 その質問は核心に迫るものだったのだろうか。笑みを消して彼は無表情に戻った。


「その質問で、本当にいいのか?」

「……」


 【剣聖】が押し黙ること、数分後。


「ああ、それでいい」


 覚悟を決めるように【剣聖】は頷いてみせた。

 その頷きを確認し、彼は答えた。



「俺が求めるものはーー


 【この世界の存亡を握る鍵】だ」



 その曖昧な答えに、【剣聖】は顔を顰めた。


「……それでは答えになっていない」

「いいや、それが答えだ。……何だ?聞けば全ての答えを教えてもらえるとでも?ともあれ、俺は答えた。お前にも答える義務がある」

「答えるとでも?」

「いいや、お前は必ず答える。間違いなくな」


 彼は確証を持っていた。【剣聖】の性格を知り、その性質を理解していた。曖昧な答えをした彼に、【剣聖】が答える義理はないだろう。

 だが、この質問であれば【剣聖】は間違いなく答える事を彼は確信していた。


「お前の願いを知りたい。つまり、お前にとっての理想を教えてくれ」


 彼のその質問は【剣聖】を困惑させた。条件に反し、釣り合っていない。絶対に答える、という制限を己へと課した対価として、果たしてそれは妥当な質問であろうか。

 だが、【剣聖】にとってありがたい事であることは間違いない。

 答えても損は無く、その質問自体には答えたい、という思いがあった。


「俺の理想……月並みな言い方になるが、全ての人の幸福だ」

「本心は?」

「……本心、だと?」

「……そのために都市を作ったのか?」

「当然だ。俺たちの居た元の世界では貧困が、戦争が、理不尽が、多くの命を奪った。

不幸は当たり前、弱者は強者に抗う事もできずただ搾取されるだけ。努力が踏み躙られ、才能がモノを言う、永遠の不公平という名の現実。

……それを覆すための、二度目の人生、永遠の命だ。善人は新たな生を謳歌し、悪人は矯正し、今度こそ理想を実現させる」


 力強く【剣聖】は語った。理想を現実とするため、夢物語を実現させるため。あわよくば、彼にその思いが届くことも【剣聖】は期待していた。

 だが彼は、そうか、と呟いただけだった。


「それがお前の理想か。理解したよ」


 ベッドへと寝転び、彼は言う。


「……理解出来るなら、何故、この世界に害を成そうとする?」

「質問は一個までだ。……答えるのは、自由だがな。お前こそ、何故俺を捕らえた?俺が一体何をした。この世界に来て、この都市にたどり着いて、それだけだ。なのに危険、害を成す、処刑する……思い出してみれば言いたい放題だな」


 そう、考えれば考えるほど、腑に落ちない。彼は本当に何もしていない。強いて言うのであれば、世界の外から来た、たった一要素のみ。

 彼を警戒する【剣聖】達、その確証の出所が一切不明なのだ。


「俺は答えないが、お前が答えるのは自由だ。……俺が何をした?何故そこまで警戒する?」

「教えるつもりはない」

「……へえ?」

「『聞けば全ての答えを教えてもらえるとでも?』。お前の言った言葉だ。……安心しろ、お前が危険ではないと分かり次第、解放する。それは、約束しよう」


 そう言い残し、【剣聖】は光が差し込んでいる方へと去っていった。得られた情報を吟味しつつ、思考を回し始めた彼へ、声がかかった。


「アンタも災難だったナ。歓迎するぜ、新入りさんヨォ」


 特徴的な声。聞こえてきたのは、中央の道を挟んだ反対側の牢屋から。ニヤニヤとした笑みを浮かべる、無邪気な子供のような笑顔を見せる青年がそこにいた。


「誰だ、お前は?」


 彼の警戒心を隠さない態度に、しかし青年は笑みを深めた。


「おや、これは失礼しタ。僕の名前はルゥク。分かりやすい自己紹介だと、そうだなア……快楽殺人鬼と呼ばれる存在サ!よろしク!」

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