8.本心の発露
彼と【剣聖】の二人はしばらく廊下を進んでいた。
入った時とは正反対に、白一色の長い廊下をひたすら歩き続ける。光が差し込む事で殊更明るく見える廊下。どこを見ても中世感がありながら現代的。はっきり言えば違和感ばかりが目立つような雰囲気。それでいて荘厳さを欠いていない。
彼としては何度か見た事のある様式。唯一違うのは、各所に漂うように感じられる何かの力。
そして。
「……」
彼は酷い違和感を覚えていた。
その違和感に逆らわず、足を止める。
違和感の正体を知るはずの人物へ、【剣聖】へと彼は視線を向けた。ただ歩いているだけのように見えるその実、心の底で何を思っているのか。
【剣聖】は彼が足を止めた事に気づき、振り返った。
「どうした?」
「お前が何を考えているのかを聞きたい」
「もう少しだけ、待ってくれないか?丁度今、着いたところ……」
「檻を用意して何がしたい」
斬撃が走った。
彼の首を確実に斬ろうと空間を喰らい、銀の軌跡を残す長剣。
それを彼は寸前で回避した。地面を蹴り、体を後方へと飛ばし、首の皮膚を掠る金属の冷たい刃を避け、着地する。
僅か一瞬の出来事。
あまりにも正確な斬撃。回避できなければ確実に彼の首が落ちていただろう。ただし【剣聖】にとって彼が奇襲に対応した事は完全に予想外の事柄だった。
「……この距離で躱すとはな」
呟いた【剣聖】の立ち姿は完全に先ほどと別物になっていた。
優しげな雰囲気は消え去り、瞳は鋭く、殺意を彼に向けている。姿勢を正した【剣聖】は、まるで警告するかのような低い声で彼に言った。
「大人しく、着いて来てくれないか?」
「案内をするだとかは嘘か。流石は英雄。口もよく回ることで」
「俺の役目は、この世界を守ることだ。そのために、俺は努力してきた。……お前を野放しにはできない」
斬られかけた首をさすりながら彼は疑問を持った。この言い方ではまるで彼がこの世界に害を為すと判断されているようなもの。現状、何もしていない彼へと向けられる言葉として確実に齟齬が生じる。勘、という可能性もある。
だが、どちらにしても【剣聖】は何かしらの確証を持ち、自分を捕えようとしていた。その事を踏まえた上で彼は思考する。
「……何故、俺を捕らえる?」
彼は対話の選択肢を選んだ。【剣聖】へと浮かんだ疑問をぶつけ、返答を求めた。
「説明する必要はない。……大人しくしてくれれば、何もしない」
だが、【剣聖】の答えは拒絶だった。
「殺そうとしておいて、よくもまあ」
「……それもそうか」
沈黙。
しかし、静寂はそう長くは続かない。【剣聖】は再び剣を構えた。彼もまた、【剣聖】の攻撃に対処するために身構える。
少しの睨み合いの後。
「【第三剣・
再び、斬撃が走った。
先ほどのような不意打ちではなく、堂々と正面から。一度に限らず、連続して長剣が振るわれる。【剣聖】は彼を見据え、また彼も【剣聖】を見ていた。彼は余裕を持って斬撃を躱す。体を傾け、腕を引き、後退し。確実に斬撃を回避していく。
お互いに一定の距離を保ったまま。
【剣聖】は前進し、彼は後退する。少しずつ歩くような速度で動く二人のやり取りは茶番のようにも見えるだろう。
しかし実際はお互いに力量を図る目的があった。
彼は【剣聖】の本気を。【剣聖】は彼の不確定な実力を。相手を注視し、どれほどの力量を持つのか。
「……」
時間にして、数秒。
埒が開かない。【剣聖】は心の中で呟いた。彼を捕らえる、そのために最初の一撃は不意打ちを放った。おそらく死ぬことは無い、瀕死の重症を負わせる程度で済ませるつもりだった。
だが、彼は正確に回避した。
彼の実力を見誤っていた事は、自身の落ち度だ。それでも彼を見逃す選択をするわけにはいかなかった。監視下に置き、見張らなければならない。
「……最後の警告だ。大人しく、捕まってくれ」
正眼に構えられた【剣聖】の剣。丁寧な動きから、繰り出された突進を合わせた一撃。
「……はあ」
溜め息。
どちらの口から漏れたものか。
答えは、攻撃の音にかき消された。
「【第一剣・
真っ直ぐ自身に迫る長剣の刃を前に、彼は長刀を構えた。
「【
彼の手にいつの間にか握られていた、二メートル近い長さの長刀。【剣聖】の長剣とぶつかり合い、激しい金属音を響かせた。音を置き去りにするほど速い剣戟。二つの武器は音を立てた後、お互いに弾き返されたように一気に距離を離した。
すれ違うように位置を入れ替えた二人。頬にできた小さな切り傷を撫でる彼は、相変わらずの無表情。反対に【剣聖】は苦々しげに顔を歪め、焦りを孕んだ声で呟いた。
「やはり、お前は危険だ……!!」
【剣聖】の腕に刻まれた真っ赤な一本の線。
堰を切ったようにいくつもの線を描いて腕を伝って地面に紅を描く血液。【剣聖】の咄嗟の判断によって皮膚を斬られるだけにとどまった彼の斬撃は、間違いなく【剣聖】の命を奪おうとしていた。
剣を握る手に更に力を込めた【剣聖】。その【剣聖】と対峙する彼の心情は、
「……」
一切の、『無』。
【剣聖】の焦りを読み取った事で表情すらも『無』へと変わる。
それは呆れか、それとも。しかしその変化は一瞬だった。彼はすぐにその顔に疑問を浮かべた。目の前の相手、【剣聖】の表情の変化に気づき、しかし理解が出来なかったからだ。
その疑問は言葉として彼の口から溢れ出ていた。
「何故、笑う?」
「……何だと?」
顔を歪めていたはずの【剣聖】。その表情は、いつの間にか笑みに。長剣から右手を離した【剣聖】はそのまま自身の頰に触れた。笑っていたことに気づいた事で、その笑みはより深くなる。
「そうか……はは」
思わず【剣聖】の口から漏れた笑い声。相手が危険であり、自分の命すら脅かさんとするこの状況で笑った。
それは、歓喜によるものだった。
【剣聖】としてこの世界を守って来た者として、本気を出せるかもしれない相手。捕縛しなければならない危険人物であると心では理解しつつも楽しさが心の内から溢れ出していた。
「お前との戦いは、楽しくなりそうだ」
「ちッ。戦闘狂かよ……」
「はははっ!その通りかもな!!
【第二剣・
一転。
大声で笑い声を上げ、【剣聖】は剣を構え直す。流れる血など知ったことでは無いと言わんばかりに大きく振り上げられた腕。大上段に構えられた長剣を、真っ直ぐに振り下ろした。
「ッ!?」
咄嗟に回避行動を取った彼の側をありえないほどの風圧が通過する。単純な剣の振り下ろしが遥か先までの床を抉り、深い斬撃跡を作り出す。明らかに先ほどまでと威力が違う。
「躱したか!!ならばーー」
尚も楽しそうな笑みを浮かべ彼へと迫る【剣聖】。内心で舌打ちし、彼も長刀で迎撃に移った。
「【第四剣・
「【
【剣聖】の長剣による連撃を、彼は長刀で捌く。弾かれた長剣が地面へと幾つもの跡を残し、その斬撃の痕の深さがその威力を物語る。当然のように彼は対処しているが、【剣聖】はこの世界の頂点に立つ人物。言い換えれば、規格外の剣士。その斬撃の速度、威力、正確性はいずれも突出している。
だが、それでも。
彼は少なくとも【剣聖】と対等であった。
油断すれば細断されかねない【剣聖】の斬撃を瞬き一つせずに正確に長刀で弾き、体を傾け躱し、時には反撃し。試合として見れば、一進一退の攻防。
「はあッ!!」
「しッ」
お互いが放った強力な一撃に、鍔迫り合いが発生する。至近距離に近づく二人は対照的であった。【剣聖】は笑い、彼は淡々と、まるで作業をするように。激しい金属音と共に、瞬時に距離が離れた二人。
再び、斬撃の応酬が始まるかと思われたその時。
終わりは突如訪れた。
「【
彼の周囲を覆い尽くすように現れた、銀色のオーラを纏う複数の鎖の束。空間に開いた穴からとめどなく現れたそれに彼は瞬時に長刀を構え、しかし抵抗する余裕は無く鎖にその体を縛られて捕まった。
「なッ……!?」
驚愕する【剣聖】の前で彼の四肢と胴体を捻じ切らんばかりに絡みつく鎖の束。それぞれが絡みついた瞬間、かかる圧力によって彼の体の皮膚が裂け、赤が地面を彩るように飛び散った。彼の手元から長刀が落ち、嫌な金属音を響かせた。
「づッ……」
前のめりになるよう、鎖が動き床に叩きつけられた彼。這いつくばるような姿勢になった彼の先の空間に再び穴が開く。人一人が容易に通れるほどの大きさのそこから、一人の人物がゆっくりと姿を現した。ツバの長い帽子を被り、魔法使い然とした格好、紫色の長い髪。
彼の前まで歩み寄った人物は、敵意を隠そうともしていなかった。アメジストのような色の瞳、宝石のような冷たい視線で彼を見下ろしたのは、
「……理解できないわね。貴方、一体何がしたいのかしら」
この世界の英雄の一人、【天魔】であった。
「……ッ」
その【天魔】の行動に、【剣聖】は声を出す事が出来なかった。彼との立ち合いが楽しいと感じていた。そのために、立ち会いを妨害されたことに僅かな怒りを感じていた。しかし【天魔】の行動の方が正しいと心では理解してもいた。
それでも納得し切れなかった【剣聖】は、【天魔】へと複雑な感情を抑えて声をかけた。
「……【天魔】」
「楽しそうなところだったでしょうけど。ごめんなさいね、【剣聖】。この男を逃すわけにはいかないのよ」
【天魔】は右手を彼へと向けた。その手のひらから広がるように魔法陣が作り出されていた。
一重、二重、三重、五重。
重なり続ける魔法陣が完成すると同時に、彼を捕らえた鎖の量を遥かに超える多さの鎖が一気に顕現した。【天魔】はその鎖を、彼へと放とうとした。
「【天魔】。少し待ってくれないか」
しかし、【剣聖】の静止の声が上がった。【天魔】はその事にため息を吐きつつ、鎖の動作を停止させた。
「何よ?」
「少しだけ、彼に聞きたい事がある」
「駄目。今、こうしている間にも逃げられる可能性がある。話をさせるなんて、もっての外」
【天魔】の視線は彼から外れない。明確な拒絶の意思を示していた。
それでも、【剣聖】は食い下がった。
「それでも、だ」
「………………分かったわ。少しだけよ」
手を引いた【天魔】に、ありがとう、と言いつつ【剣聖】は彼の目を見た。
「一つだけ、問う」
その呆れたような眼。もしや、話し合いを望んだのは間違いだったか。【剣聖】はその不安を後回しにして問いかけた。
「君はーー」
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