6.英雄言えども
【剣聖】の後に着いて行った彼が最初に目にしたのは、厳かな雰囲気のする建物だった。ジルクと酒を飲んでいた時に見た、荘厳なれど質素な印象を持たせるその場所。いざ近くで見てみれば不思議な事に、足を踏み入れ難い圧を彼は感じていた。
「……」
「どうした?」
違う、と彼は心中で呟く。単なる圧で気圧されたわけではない。何かの力が確実に働いている。都市全体を囲うように一重。評議会の建物を囲うように二重。そして評議会の建物の中心を守るように三重。感覚が間違っていなければおそらくは【天魔】による結界の類だろう。そこまで考え、彼は首を振った。
「……いや、なんでもない」
それでも彼が何かを出来るわけでもない。大人しく【剣聖】の後に着いて評議会の建物へと入って行った。
そして、【剣聖】と彼が建物の中へと消えてすぐの事。瞬きをするような僅か一瞬の間に、その人物はそこにいた。建物が太陽の光を遮っている物陰から、そう、まるで影から出て来たように。
全身を黒の衣服で統一した彼女、【真影】は面倒臭そうに、しかし必要な事だと理解して一人呟いた。
「……【天魔】」
『分かってるわ。感知した』
こういったところが嫌いだ、と【真影】は心の中で毒づく。見張っていろ、報告しろ、と口では言うくせに一言言えばもう分かったと言わんばかりの口調と態度。実際に彼女自身が理解している、と分かっている事が苛立ちを加速させる。
だが、【真影】は暗殺者だ。己の感情一つ、制御が効かなくてどうする。最早慣れた怒りをため息と共に吐き出した【真影】は建物の中にいるであろう【天魔】に語りかけた。
「そ。なら、報告だけ。アイツ、私には気づかなかった。杞憂じゃないかな?」
『……そう。ありがとう』
珍しく返事の遅かった【天魔】に違和感を覚えながらも話を終わらせる。怒りを抑えて無感情に徹したまま報告を終えた【真影】は、現れた時と同じようにその場を去ろうとした。
「……」
気のせいだろう。そう言い切れる根拠を彼女は持っていなかった。第六感によって、【真影】は何かを捉えた。
説明不可。ただ、何かを感じた。
「……【天魔】」
『何?今、少し時間がーー』
「念の為に結界を張り直して」
『……理由は?」
どう答えようか、と悩んだ時間は一瞬。答えは自らの口からこぼれ落ちていた。
「勘」
あまりにも馬鹿げた理由。だが、決して無視できるものでは無い。
《勘》とは、己の重ねた経験から何かしらの思考順路、プロセスを経て本人には説明出来ない気付き。【真影】の答えに、【天魔】は、
『……分かったわ』
焦りの籠った声で答えた。
【天魔】にしてみれば【真影】が普段そういったものに頼らない事はよく知っている。暗殺者という職業ゆえ感覚に頼らず確実な情報を元に動く【真影】が、勘などという不確実な感覚を理由に結界の張り直しを提言した。
それと同時、【天魔】も自身の訳のわからない焦燥感が勘違いによるものでは無いと確信した。
『今すぐやる。貴方も早く戻って来て』
「了解」
この焦燥が、不穏なもので無ければ良いけれど。【天魔】はそう考え、円卓を囲うように置かれていた椅子に座って【真影】が戻るのを待った。
「……」
「戻ったよ。……何悩んでるの?早く結界を張りなおしなよ」
「言われなくても、やるわよ。少し黙ってて」
魔術を扱う者以外には不可視の結界。無論限度はあれど、それでも尚、【天魔】の結界は魔術という観点に置いて最高峰の術である事に間違いはなかった。
【天魔】は両手を上に向け、魔術の構築を開始した。紫色に輝く円形の紋章へと魔力を込め、強度、範囲、持続時間、様々な設定をして結界を生成していく最中。
「……で、どうする?」
【真影】は右手で腰に挿してあった長さ30センチ程度のナイフを抜き、円卓へと腰掛けた。そして、無言で結界を生成する【天魔】へと、【真影】は問いかけた。
「何を?」
【天魔】のその返しに、手元で弄ぶようにナイフを回しながら【真影】は淡々と言った。
「あの男。私が殺そうか?」
至極、簡単な事であるように。【真影】は【天魔】に提案した。
しかし、
「そこまでしなくていいわ。というか、する必要も無い」
【真影】への返答は、吐き捨てるような声色だった。
【天魔】は手元で形成完了した結界を、そのまま広げるように空中へと放り投げた。爆発的に一気に広がった魔法陣は、物理的干渉をせず部屋の外へと消えていく。
「本当にいいの?」
「ええ。あの男が『世界の柱』に辿り着いた、その時。何の目的か、分かる」
「……へえ」
「はず」
「は?」
舌の根が乾かない内に、確信を持った発言から曖昧な言い方をした【天魔】。【真影】は若干の苛立ちを感じさせる声で【天魔】へと問いただした。
「何、それ?そんな曖昧な言い方、何か意味があるの?」
そして【真影】のそんな発言を、
「……ふっ」
【天魔】は鼻で笑った。分かっていないわね、と言わんばかりの態度。【真影】は最早数えるのも面倒なほど見たその態度に、ため息を吐いた。人を小馬鹿にしたような目。だが毎回毎回文句を言っても【天魔】は変わらないと【真影】は理解していた。
「はいはい、意味があるんだね。で?どうやって分かるの?」
「秘密よ。というか、予想はついているのでしょう?いちいち聞かないで、不愉快よ」
挑発するような【天魔】。笑顔を浮かべた【真影】。
ここから凡そ十分間、呼吸する間も無く続けられた二人の英雄の罵倒合戦。
その争いは、この部屋にもう一人の英雄が現れるまで止まることはなかった。
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