5.必然の遭遇

 彼と【剣聖】が出会う、少し前。

 【剣聖】は一人、とある場所を訪れていた。都市外部、離れた距離にある場所。

 遺跡へと。


「……ふむ」


 【剣聖】は一人呟いた。その呟きは、違和感によるものだった。

 そこにあるのは大量の魔物の死骸。煙のように魔物の体内の残留魔力が漂っている。その残留魔力の出所は、魔物の体に刻まれた斬撃部分。魔物の状態だけを見れば、何もおかしい部分はない。

 だが、【剣聖】はこの場の異常に気づいた。その理由は何だったのか。



 そこにあるのが、死骸のみだったからだ。



 遺跡には戦闘の痕跡が一切残されていなかった。斬撃から考察すれば、刃渡りの長い武器による攻撃。剣か刀の類であったはず。だが【剣聖】は魔物の死骸以外の場所に痕跡を見つける事が出来なかった。

 踏み込んだ跡、斬撃痕、返り血を浴びた跡。

 一切の痕跡が無かった。


「相当な手だれだな」


 つまるところ、可能性として周囲には一切攻撃を当てないよう、魔物だけを正確に斬り裂き、かつ立ち回りを徹底した、限界まで効率的な戦闘が起こった。

 それが可能な人間が、この世界に訪れたのであれば。


(……警戒するべき、か)


 思考しながら【剣聖】は一人、遺跡を歩き回った。戦闘の痕跡以外にもおかしな点はある。

 魔物の死骸を放置した事だ。魔物を殺した後に、冒険者であれば自身の功績の証として魔物の一部を持ち帰る。が、この場の魔物達は殺されたまま放置されている。更に言えば、死骸が腐ることを考慮して埋める、そんな行動を取ろうとした形跡もない。

 つまり、これを行なった人物は魔物の処理に関して全く気に留めていない。

 そこまで考えたところで、【剣聖】は自身の右手を耳に当てて声を発した。まるで、話相手へと声をかけるように。


「【天魔】」


 五人の英雄。その一人、魔術の天才の名を【剣聖】は呼んだ。その声に呼応するが如く、【剣聖】の頭の中に声が響いた。


『何かしら?』


 聞こえるのは、澄んだ女性の声。その声の主、【天魔】は【剣聖】へと問いかけた。


「遺跡の調査が終わった。君の言うとおり、警戒対象とすべき人物が都市に足を踏み入れた可能性がある。念のため、調べてくれないか?」

『その必要はないわ』


 即答した【天魔】は、言葉を続ける。


『今日一日、都市に足を踏み入れたのは一人だけ。調べるまでもなく、その男が遺跡の戦闘の張本人でしょう。今、【極藝】が男の武器を解析してる。終わり次第、私自身も遺跡に行くわ。他には?』


 自信家。【剣聖】が聞こうとしていた質問すら先読みされて答えを渡される。その事実に苦笑を浮かべながらも、【剣聖】は【天魔】に賞賛の言葉を送った。


「流石だな、【天魔】。相変わらず完璧な答えをくれる」

『ふふっ……どうも』


 耳から手を離して【剣聖】は再び歩き出した。

 自身の治める場所。

 この場で戦闘を繰り広げた人物が訪れた場所。



 この世界、唯一の都市へと。



『……ごめんなさい、少し問題が起きたわ』


 しかし、すぐに頭の中で声が響いた事で【剣聖】は歩みを止めた。


「どうした、【天魔】。今から戻るところだが……」

『緊急事態よ。貴方を都市まで飛ばす。良いかしら?』

「了解した」


 その言葉を合図に、【剣聖】の周囲の空間が歪み始めた。景色が陽炎のように揺れ、【剣聖】の姿が掻き消えていく。ほんの数秒の出来事。



 次の瞬間、【剣聖】は都市にいた。



 倒れている男。

 振り下ろされる、ナイフ。

 目前で起こる出来事。【剣聖】は大きく、しかし静かに踏み込み、剣を振るった。ナイフのみを的確に斬り、行動を阻止した。

 弾き飛ばされ、落ちる金属の音。静寂に包まれたその場で、【剣聖】は長剣を下ろした。


「ーー少し、落ち着いてくれないか?」


 その言葉を発端に、こちらへと向けられた鋭い瞳に臆することはなく。【剣聖】は、丁寧に名乗った。


「まずは、初めましてだな。俺は、【剣聖】と呼ばれている者だ。ようこそ、この都市へ」



ーー◆ーー



「……ああ、初めましてだな」


 彼は突如現れた自身を【剣聖】と名乗る人物への警戒をいとも容易く解いた。一言呟くように言った後、彼へと非難の視線を向けるジルクに苦い顔を向けた。無論、顔の下半分を隠すマフラーによって彼の目元以外は見えていないが。

 二人の人物。片方は自らの代名詞たる剣を持ち。片方は無手。誰がどう見ようと武器を持っている方が有利であると判断するはずだ。

 にも関わらず、【剣聖】は最大限の警戒をしていた。既に【剣聖】から視線を外し、ジルクへと視線を向けていた彼に。


「サンキュー、【剣聖】の旦那、助かっ……どうした?」


 ジルクは怪訝そうに【剣聖】の顔を見た。

 堅い表情、細められた眼。彼を見る眼はまるで危険人物に対して向けられるもの。


「……いや、大丈夫だ。ところでジルク、お前はここで何をしている?門番はどうした?」


 ただし。警戒はしていなくとも疑惑の視線が、【剣聖】の細められた目が、自分に向けられるとはジルクは思ってもいなかった。

 本来、門番として城門横の控え場にいるはずの人間が、彼と一緒にいるのはおかしい。その当然の疑問を投げかけた【剣聖】。目を逸らしたジルクは言い訳を考えた。


「えーっと……」


 言い淀むジルクへ、【剣聖】の先ほどよりさらに細められた目が向けられる。背筋に段々と寒気が上る。どうにか言い訳を、と必死に考え、口を開いて閉じてをジルクは繰り返し、言い訳が思いついたのか、前を向いた先で。【剣聖】は、絶対零度の微笑を浮かべていた。


「お前……俺に直談判してまで、門番の仕事を斡旋してくれって言ってたよな?……おい、目を逸らすな。きちんと答えろ」

「……ははっ」


 思わずジルクは目を逸らして乾いた笑いを漏らしたが。

 【剣聖】の微笑が無表情に変わった事で笑いを漏らす余裕すら無くなった。



ーー◆ーー



 【剣聖】の数十分にも及ぶ説教によって、ジルクの姿が真っ白に燃え尽きたように幻視しかけたその時、漸く【剣聖】は彼に声をかけた。


「……そうか、君が例の記憶喪失者か」

「誰から聞いた?」

「門番の……ナユ君からだ。長い刀を持ち込んだ記憶喪失者の男がいる、と」


 ああ、と思い出すように彼は城門で会った兵士を思い出した。あの時きちんと連絡をしていたのだろう。酒を飲み、サボっていた誰かとは違う。


「あの男は真面目だな」

「そうだな。ナユ君は、真面目だな」

「……何でそんなに強調するんですかね」


 誰か、に向けて二人は口調を強くした。当の本人は渋い顔を浮かべて目を逸らす。その様子に毒気を抜かれたように【剣聖】は構えていた剣を納めて彼へと握手を求めるように手を出した。


「改めて。俺は【剣聖】。評議会筆頭兼、この都市ーーいや世界の守護者を担っている。よろしく」


 笑顔を浮かべて言った【剣聖】。


「……ああ、よろしく頼む」


 彼も同じく手を出した。お互いの手を握り、方や笑顔で、方や無表情にお互いの顔を見たその時。


「……?」


 その瞬間【剣聖】は僅かに違和感を感じた。異物感、というよりは、消失感。普段はあって当たり前、気にせずともあって当然の物が無い、と言うような感覚。突然の感覚に【剣聖】は握った彼の手を離せなくなった。


「……もういいか?手を離して欲しいんだが」

「ん?あ、ああ、すまない」


 ただ、彼からすれば長い握手だな、としか思わなかった。【剣聖】が違和感を覚えていたことなどいざ知らず、彼は手を離すように求めた。

 彼にとってはただの握手。それを証明するかのように彼はさっさと【剣聖】の手から己の手を離す。中途半端に残されてしまった腕を眺めて笑いながら【剣聖】は腕を引いた後、ふと気づいた。


「と……目立ってしまってるね」


 周囲を見まわした【剣聖】はポツリと呟く。先ほどの男と彼の立ち回り、そして【剣聖】が現れた事で更に視線を集めていた。人々は聞こえないように小声で称賛や噂話をしているが、これだけの人数。三人にも聞こえないはずがない。それに加えて、【剣聖】の有名性。三人に注目が集まるのは当然と言えた。

 場所を変えるか、と考え【剣聖】は彼に声をかける。


「君に話がある。ついてきてもらってもいいかな」

「話?」

「ああ。大切な話が、な」


 意味深な【剣聖】の言い回しに彼は訝しんだ。わざわざこの様な言い方をした上でただの話し合いで済むはずがない。ならば、断るべきだろうか。そこまで考えたところで、しかし彼は思考を止めた。例え何かを企んでいたとしてここは相手の思惑に乗るしかないだろう。



 自分は、余所者であるのだから。



「……分かった。着いていく」

「ありがとう」


 勘繰ったところで何も知らない自分はどうしようもない。そう結論づけて彼は【剣聖】に着いて行くことにした。

 しかしその歩みはすぐに止まった。


「えーと、俺は……?」


 ジルクが、独り言の様に呟いたからだ。

 彼と【剣聖】が振り向いた先にはバツが悪そうに愛想笑いのような苦笑いのような、よく分からない笑みを浮かべているジルクへ、【剣聖】は笑顔で声を掛けた。背後に鬼を幻視させるような冷えた瞳と共に。


「ん?何か質問でもあるかな、ジルク君」

「何でもないです。いやあ、ははは……【剣聖】の旦那も人が悪いなぁ……」

「次はクビだ。真剣にやるように」

「全力で取り組ませていただきます!!では!!」


 早口で言い切り、走り去っていくジルクを半目で見つめながら【剣聖】はため息を吐いた。


「はあ……待たせてすまないね。早速行こう」


 そう言って歩き出した【剣聖】の後ろ。続くように彼も歩き出した。

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